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健全なコミュニケーション

毎日noteを書けるくらい余裕を持った生活を心がけようと決意してアプリを入れて…連続3日間投稿した後から1週間経った。言葉通りの三日坊主である。ネタはあったものの書き上げられなかった。

1つ前に眠れないというタイトルで記事を書いたが、結局薬を飲んだらコロンと眠れた。何とか気負いしないよう気合いを入れたおかげか昼間に眠気が強すぎて困ることもなかった。常用し過ぎると依存性は若干あるものなので、なるべく疲れ果ててコロンと寝たいものである。

今は、疲れて果ててコロンと寝落ちて深夜に起きてしまった結果、これを書いている。

健全なコミュニケーションにとても憧れがある。

機能不全家族というやつで育った私にはとても遠い存在のものだった。

今、密な交友関係にある中でも特に毒気のない友人と楽しい予定があった翌日。

昔の友人とも呼べないくらいしか話したことがなかった一応部活が同じだった子。その子が意外と近所に住んでいることが分かり、会うことになった。

何というか音声付きの記憶があまりないくらいの関わりだった。

昔、家庭崩壊に悩んで荒れていて尖っていた時期真っ最中なのもあって、私を嫌っていた人はたくさんいただろうし…その子もそのうちの1人だと思っていた。

社交辞令だと思っていたのに、何だかんだ会ってくれるのか。

自分のことが苦手だったかなんてことは再会初日であるし、案外話が弾みに弾んでしまって聞き損ねてしまった。

まぁ昔どうだったかなんて思い出してもお互い辛いだけかもしれない。

その子は、とても健全なコミュニケーションがとれる子であった。正直思い出の中の彼女と話し方が違いすぎて驚いたが、一昔前と言えそうなくらいの年月が経っていたので、想像通りなはなずもなかった。

私もその子も変わったから、こうして今仲良くすることが出来たのである。

お互い解れてきた頃、やはり久々に会うのは緊張したと話していた。結局、とんでもなく食べて話して…飲んで。とても充実した日になった。

比較的、不器用ながらも人間関係を良好にしようと善処し…とても社交性があるだとかコミュニケーション力が高いといった評価を受けることも増えた。

昔、卒業文集にまで私のことを自慢の親友だ…
と好きなところをびっしりと書いてくれた友人を悲しませ、見放されたことがある。仲良くしてくれる人間がもう1人もいなくなってしまった。その頃の周りは敵ばかりと思っていた時の自分に、今は何とか踏ん張って人間関係を築けていることを伝えたらびっくりするであろう。

ただ、私はとても不安である。健全なコミュニケーションに実感が湧かないのである。他人の親子や友人同士の会話などに聞き耳を立てたり、フィクションではあるものの作者の実体験に基づくであろうそういったコミュニケーションを見ているとこういう物なのか…と涙が出てくることがある。

普段、私は好きな人間と話した後ほど楽しかった気持ちと共に反省を頭の中で反芻している。好きだからこそ嫌われたくないし、失言などもう嫌なのだ。嫌な思いをさせたくない。

久しぶりに会ったその子に今までの話や当時の話を話して『周りの気持ちをすごく考えているだね』と言って貰えた。通信簿に花丸をつけて貰えたような感覚だった。

なんでそんな素敵な言葉が言えるの??どう生きてきたの?親も素敵なの?本はどんなものを読むの?あなたのその考え方がとても素敵で、今とても感動しているよなんて…そんなことを心の中で大声で叫んだが、普段抑えても漏れ出てしまう不適切な言葉が多い中、なぜか素直なそんな感情は表には出てきてくれなかった。

素直になりたいし、嬉しいことがあった時…大好きな人達に躊躇なくハグできるようなギャル心を育てたい。

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