46才、ワンチャンに、つまづく

最近、子供たちがやたらと「ワンチャン、ワンチャン」という言葉を発している。ワンチャン。ワンチャンス。言い換えればラストチャンス。サッカーでいう、ラスト5分でマイボール。「ワンチャンものにしよーぜ!」的なワンチャン。そんなワンチャンがなんだか様子がおかしい。なんとなく聞いていた、子供たちの「ワンチャン」を。違和感を覚えながら聞き流していた。でも、ある時溜まりなたまった違和感を言葉にしてみた。「ワンチャンってなんやねん」すると「ワンチャンはワンチャンやん」親に対する言葉遣いはさておき、ワンチャンはワンチャンって、白いものは白い的なように言われて、シュン⤵︎、となるオヤジ。こんなオヤジでもある程度、文明の力にはお世話になってきた。いや、生活必需品の文明の力は謳歌してきた。でも、自分に活かす文明の力にはややうとい。でも、知ってるんだ、ググるってことは。

で、早速ググってみた。ワンチャン。ワンチャンは今や時代の波にもまれもまれて、『たぶん』的な意味合いに変化を遂げていた。「ワンチャン、行けるわ」訳すと→「たぶん、行けるわ」的な。まじで?あってる?新しい言葉が生まれたり、変化したりはみてきたけども、外観変わらず中身だけ変わる言葉に出くわして、自分の年齢に哀しみと愛しさを覚えた。

オヤジにはオヤジの時代があるんだ。

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