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外国語を学ばないという選択はあっていい

受講生などから、「いま他社で受けている英会話レッスンがつらい」と打ち明けられることがあります。他のサービスについて口出しすることはできませんが、「もう辞めようと何度も思ったけど、せっかく入ったし、なんとなくズルズルと」「そのうち良くなるかもしれないから我慢している」など、聞いているこちらもつらくなるような内容です。

なかには、すっかり自信をなくし、怯えながら英語にしがみついているような学習者もいます。大人が自分の意志で、希望をもって学びはじめたはずなのに、英語学習との関係がこじれてしまっているのです。

英語を学ぶ人たちをサポートする役目なので勘違いされやすいのですが、私は「英語を含む外国語学習を、誰にでも、とにかくどんどん勧めたい」とは思っていません。むしろ、外国語を学ぶ・学ばない選択がもっと自由にできるようになったらいいなと思っています。

もちろん、たとえば日本人が英語を使うことで可能になることはたくさんあります。私自身の経験を例にするなら、コーチングの事業にしても、アメリカでの研究や仕事にしても、英語抜きでは成り立たないものばかり。日本以外の国の人たちと出会い、その人たちと友人や師弟になり、長く良い関係を続けてこられているのも、英語なしでは考えられません。

科学的に見ても、バイリンガルの脳は認知症になりにくいなど、外国語学習には長所があることがわかってきています。教育者の中には、外国語を通じて世界の人々が交流することが平和につながると考えている人もいます。

外国語を使えるようになることにメリットがあるのは間違いないです。世界的な風潮として、母語以外の言語を学ぶことは大いに推奨されています。ただ、誰もが外国語を使えないと困るかどうかはわかりません。確かにそういう環境や立場に置かれている人もいますが、母語だけで困らない人もいます。また、外国語が使われる場面であっても、通訳者や翻訳機の力を借りれば済むということもあります。

実際、作家や言語学者、国語教師、コピーライターなど、母語に造詣が深い人たちの中にはモノリンガルがたくさんいます。彼らの豊富な知識や表現力は、すべての言語活動を1つの言語に集中させてきたからこそ得られた可能性があります。私は20歳ぐらいまで日本語モノリンガルでしたから、あのまま進んでいれば、今頃はもっとうまく言葉を操れるようになっていたのかも。英語を話すようになってできたことがある一方で、そのために失われた機会もあるはずです。もし私がモノリンガルだったら、いまの世界はどう見えていたのか、興味がわきます。

また、もしもこの先、なんらかの理由で英語を使わなくなっても、私は構いません。きっと今とは違う、別の世界が新たに見えてくるのでしょう。それはそれで楽しみです。

英語を学ぶのがつらくなったら、まずは休みましょう。「どうして英語を学びたいと思ったんだっけ」と、自分にやさしく問いかけてみてください。先生やコーチとの相性が合っていなかったら、環境を変えてみてもいいと思います。「求めていたのは英語じゃなかった」と気づいたら、英語から離れたっていいんです。語弊はありますがあえて言うなら、たかが英語。少なくとも、自分を苦しめてまでやる必要はありません。

大切なのは、学ぶ目的と、学び方を自分で選ぶことです。そこがしっかり見えてくると、時間やエネルギーなど、貴重なリソースの使い方が変わってきますよ。


Photo by Aditya Saxena on Unsplash

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