仲のいい人が自殺した


仲良くなった人が悉く自殺した。
親戚も自殺した。
同じマンションに住んでいた子も自殺した。
おれが引き寄せているのではないかと思うほど。
仲良くなった人が自殺したという事実はあまりにも重い。
おれも死ななければいけないのではないか、彼らの後に続かなければいけないのではないか、と思考が偏る。
おれが昔から繊細で、ある種の危うさを併せ持っていることはもはや明らか。
このまま何も深く考えず、楽な方へ流されていくのがいいかなぁと考えたが、
おれはこの感性を何かの形で表現したい。
何らかの形で昇華させたい。自分の外に出したい。そうでもしないと、お腹の辺りの内臓がぐちゃぐちゃに掻き回され続けている気分だ。

それで人々の心を動かしたい気持ちがあるわけではないけれど、言葉にできない感情や、「なんとなく」の不安を目に見える形で創造できたら、少しは安心できるのではないだろうか。

生きることは辛いけど、死に直面することはもっとつらい。はずだ。
自殺を決意した人、実行した人は、ある意味では、その恐怖に打ち勝つことのできる勇気を持った人だと思う。

死ぬことは怖い。しかもその運命からは絶対に逃げられない。生物である以上、年老いて死んでいくことは明らかであり、確定している未来だからだ。
その恐怖を和らげるための宗教はやはりなくならないし、酒クスリタバコギャンブルセックスなどに依存して溺れて正常な判断力をわざとなくす行為もなくならない。
なにかに熱中している間は、自分の運命と向き合わずに済むから。
考え始めたらネガティブな方向に加速していってしまうことを、考えなくて済むから。

賢い選択だと思う。
皆、生きるために必死でやっている。
死んでしまった友人たちも、何かに縋ってでもいいから、正気を失ってでもいいから、生きていて欲しかった。

心が優しくて、繊細な感性を持っていて、この世の愛を具現化したような、そんな尊い人間から、思慮の足らない畜生共から傷付けられて、死んでいく。
でも自殺してしまったみんなもやはり、死にたいわけではなかったのだと思う。
正常な判断力を失い、思考を放棄したかったのだと思う。考えることを辞めたかったのだと思う。

家族で転生を図った猿之助だって、結局は転生した先で生きたかったわけで、死ぬことそれ自体が目的ではなかったように思う。
生きるために死ぬって選択も分からないではないけれど、僕個人の希望としては一度も死んでほしくなかった。

死んだ方がいい人間なんて掃いて捨てるほどいるが、僕の好きな人たちだけは生きていて欲しかった。
その人が好きそうな流行りの曲や、おいしい食べ物に出会うたびに、会いたくなって、会えないことをすぐに思い出して、行き場のない愛情を飲み込む作業が増えるのは、きつい。

配偶者や幼い子供を亡くした後も、しっかり生きている人は、えらい。尊敬する。

共に生きましょう。
今、近くにいる人とは、来世でも近くにいるはずだから、もっと仲良くなりたい。
縋ってしまうかもしれない。
縋って欲しい。

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