レコード神社 vol2 「教訓1」
新宿の中古レコード屋をめぐるでもなく、
家の近所のBookOFFでこんな名盤に出会えるなんて。
加川良『教訓1』
教訓1(CD)を初めて聞いたのは、中学二年生の時だった。
時代は90年代半ば、音楽では渋谷系ど真ん中の
時代である。
ギターを弾き始めていたこともあり、
日本のフォークミュージシャンは色々とチェックしていた。
親がフォーク世代のこともあり、
吉田拓郎の「ともだち」というライブ盤が家にあったので
フォークというもにあらかじめ免疫ができていた。
しかし、
「教訓1」は想像以上であった。
裸の言葉が自分に突き刺さる、感覚である。
加川良さんの真っ直ぐな言葉が
当時の若者に必要な言葉、音楽だったのであろうことが
<懐かしい>という感触ではなく
<何かに抗う勇気>を奮起させている。
言葉をしっかり受け止めて味わう楽しみ
その言葉を豊潤させて新しい『音楽』が生み出される
若者文化、それ自体に興味がわいた。
中学二年生のわたしは
小沢健二『Life』を愛聴し、『教訓1』に触発されていた。
なぜかこの二つの音楽が「東京」意識させた。
URC=アンダーグランドレコークラブ
はっぴいえんどのCD買った時も
遠藤賢司のCDを買った時も
「URC」というレーベル名が付いていた。
「URC」会員制のレコードレーベルの名前である。
会費としてお金を払っておくと
毎月レコードが送られてくる。
作り手にとっては作品を作る前に制作費や広告費が
手元にあるので非常に良いシステムな気がする。
便利だからといって
今のサブスクと決定的に違うのは
作り手とリスナーの距離ではないだろうか、
URCのレコードにはその当時の若者が
時代にもまれながらもひとつの
文化を形成した<熱気>が
いまだにその純度を失わずにパッケージング
されていることに感動を覚える。
URCの作品を手にした時の
独特の気持ちの高ぶりの正体は
レコードのドキュメント性ではないだろうか。
ドキュメントは内密化されればされたほど
内容が濃くなり、中心は激しさを増す。
当時のフォークに憧れた、地方の若者たちも
「東京」に対する憧れをつのらせ
時代の「ドキュメント」に感化せれていたのではないだろうか。
1995年コーネリアスのセカンド「69/96」発売
音楽はサンプリングや小室サウンド、モーニング娘
CDも買わなければいけない!レコードも!
コーネリアスのTシャツ欲しい!
音楽自体よりも付随するその他の情報が多すぎる時代
<消費という祝祭>のなかで<都市>に
あこがれを抱きつつも
音楽そのものに耳を傾けることが出来る空間
自分にとっての<風街>を加川良さんに作って頂いた気がする。
また、
「教訓1」は<若者文化の熱気とうねり>の
リアルさが実直につたわる数少ないレコードだということが
40歳の今しみじみ思う。
「1969年の夏、あなたはどこで何をしていましたか?」
中津川フォークジャンボリーが
東日本と西日本のフォークの
天下一武道会もしくは文化の交配種会
日本初のウッドストックともいえる。
きっと若者たちは家出をしてヒッチハイクで中津川を目指したのであろう。
1969年第一回
1970年第二回
1971年第三回
計3回行われているジャンボリーだが
参加された歌手の方々のメンツがこの上なく濃い。
その後の日本の音楽に影響を与える方々のオンパレードである。
アマチュア枠でなぎら健壱氏が出ているのが興味深い。
もちろんテンガロンハットをかぶる前のなぎら氏である。
まだ「チンカ、チンカのルービー一つ」などとは言っていない。
このフォークジャンボリーの凄さを確かめるための
一番よい方法は
正月に実家に帰省されたときでも
お酒をたしなみながら
1969年〜1971年の間、高校生だった人=親戚の音楽好きのおじさんに
中津川フォークジャンボリーのことを聞くことである。
当時の文化的背景や出来事を人から伝えられることによって
の見えられる経験がある。
本やネットでは得られない生きている人から吸収できる感覚。
この感覚が沸き起こるのはなぜか?
それは
「人に伝える価値のある音楽体験」がある人と話をしているからだ。
「1969年に夏、あなたはどこで何をしていましたか?」
この問いはわたしの中で、
ある種の基準のようなものを作り出してしまった。
JAZZ喫茶のマスター、レコードショップの店員、バーのマスター
年上の方々にこの質問をして見るのも面白い。
このレコード神社もみなさんとご一緒に
「人に伝える価値のある音楽体験」
真夜中の民俗学を深めていければ喜ばしいことこの上ない。
あ、そういえば
「1969年の夏、あなたはどこで何をしていましたか?」
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