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やればやるほど僕らの未来は明るい


先日、約4年間組んだコンビを解散した。

正直、まだ自分自身、頭の整理がついておらず、目に見えるもの全てがぼやけて見える状態だ。

なので、毎週投稿しているこのnoteを今週はお休みさせていただくつもりだったが、今しか書けないこともあるかなと思い、無回転の頭でキーボードを打っている次第である。





僕たちは高校の同級生だった。

クラスは5年間いっしょ、学生の頃からお笑いの話をよくしていた。

そして、20歳でお互い社会に出た。

僕は京都へ。
あいつは静岡へ。

社会人になってからも定期的に会い、酒を飲んではよくお笑いの話をした。

会社を4年間勤めた24歳のとき、僕は会社をやめ、地元の福岡に帰ることを決心した。

そのときに、「俺って今から何でもできるんや、自由なんや、じゃあ1番やりたいことをやらないとだめなんじゃないか」と思い、そこからお笑いへの道を意識しだした。

とにかく漫才師に憧れた。

しかし、僕は僕が認めている人としかコンビを組みたくないという思いがあった。

この認めているのいうのは、おもしろいことはもちろんのこと、こいつとなら売れなくても一生添い遂げれると思わせてくれる何かがある人をさしていた。

ひとりで東京にいって養成所に入り、そんな人に出会える確率なんてそうないだろうと思った。

僕はただお笑いをやりたいわけじゃない。
そういうやつといっしょにお笑いの道を歩んでいきたい、それだけだった。


そして考えた。
誰とならやりたいか。

1人しかいなかった。

あいつから断られたらお笑いへの道はあきらめよう、潔ぎよく地元に帰ろう、そう決めた。

だが、僕の知ってるあいつは保身的なタイプで、挑戦という2文字が1番似合わない男だった。

たぶん断られるだろう、でも押したらいけるかもな、いや無理矢理やらせるのはよくないか。

色々考えながら呼び出し、浜松の鳥貴で告白した。
向こうは考えると言い、その日は楽しく飲んだ。

後日、考えた結果たどり着いた答えをもらった。

「今まで自分から何かを挑戦したことがない、だから何かに挑戦してみたい」

答えはYESだった。

2019年8月3日、僕たちはコンビを結成した。

京都の並河という田舎のジョイフルで、正式にコンビになった。

あまり言いたくはないが、そのときは一旦「ノックは3回」という鬼ダサいコンビ名で活動していた。

「ノックは3回」は、2人でたまに行っていた静岡にあるカラオケバーの名前である。
本当に適当につけた。

2人とも社会人をしながらM-1に出たり、フリーライブへ出たりと、上京するまでに多少の自信をつけようとした。

そして2020年2月、晴れて上京し、吉本の門を叩いた。
2人で同じ家に住み、4月からNSCに通いだした。

家は2DKのボロアパート、江戸川区の端の端、瑞江という場所。

今思えばその瑞江に住んでいるときが1番充実して楽しかった。

NSCに入ってからは「デッドエンド」というコンビ名で活動した。
これは、2人がすきだったナンバデッドエンドという漫画からとったのが由来だ。
結構気に入っていた。

NSCを卒業し、デッドエンドという名前を改名することになった。
なんか縁起が悪い気がして、僕から改名しようと言い出した。

今思えば、そこから解散への道が始まっていたのかもしれない。

そして、デッドエンドから「胡桃」へ改名した。

これは、瑞江のときに2人でよく行っていた近所のスナックの名前で、僕が半ば強引につけた。
正直、デッドエンド以外ならなんでもよかった。

胡桃になって1ヶ月、僕たちは引っ越すことになった。
これも僕から言い出した。
相方と2人で住むことが嫌になったのと、単純に交通の便が悪すぎたことが原因だった。

僕は世田谷区の方へ、あいつは杉並区の方へ引っ越した。

胡桃になってからは、ずっともがいていた。
色々な漫才に手を出し、何が自分たちに合っているか必死に模索した。

だが、その答えが出ないまま、胡桃は終わりをつげた。

次は改名ではなく、正式な解散だった。

2023年8月22日、相方が芸人を辞めた。
と同時に、この世から一組の漫才師が消えた。

世界からすればしょうもないことで、誰も気にならないようなことだが、僕からするととてつもない出来事で、とてつもないと感じれば感じるほど、世界との差を痛感させられた。


僕からすると間違いなく大きな出来事で、27年生きてきてこれ以上に衝撃的なことはなかった。
だって、報われなければならなかった2人が何も報われず離れ離れになり、あっけなく終わったから。

人生すぎるにもほどがあった。


僕は、なにか大きなことや人生でのターニングポイントがあるたび、そのことに対する教訓を見つけては次に活かしてきたのだが、今回のことに対する教訓は何一つとしてない。

何一つとしてわからないのだ。

何が正解で何が不正解だったか。

あのとき何をしてどうしていたらよかったのか、いまだ答えがでない。


ただ一つ言えるのは、運命なんかはないということ。

あのとき並河のジョイフルでコンビを結成した2人は確かに売れる運命にあったと思うし、それに見合った努力を積み上げてきた。
なのに、夢半ばで敗れた。

だから運命なんてハナからなかったのだと。

売れる運命にのって努力をしてきて売れなかった。
人生は不条理を差し出してくるだけで、他は何もなかった。
故に、運命なんてものはないのだと、そう感じた。


だが、確かに思う。
運命なんてないのなら、頑張らないより頑張った方が得だということ。

どうせ敗れるならやった方が死ぬときに悔いなく死ねる。

やってもやらなくても負けるなら、やったほうが自分が生きてきた意味を見出せるのではないか、そう思った。


僕は、みんなに言いたい。


「やれ、お前はとにかくやれ」


そして、いま自分にも言い聞かせている。


「やれ、やらないと終わる。
ここでお前の人生が終わるぞ」と。


この先、僕がどうなるのかはわからない。
どういう道を選んで、どうしていくかはまだ想像できない。


だが、やる。
絶対にやる。


先が見えない道でも、デッドエンドでも。
やればやるほど僕らの未来は明るいのだから。

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