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無償の愛をばら撒くことこそが人間の生きる意味

約3年前の上京したての頃、時間もお金もなくギリギリの生活をしていた。

毎日朝から晩までバイトか養成所、空いた時間でネタを書く。
ゆっくりできる休みはなく、あっても何かの予定で全部埋まっていた。

昼ご飯は食べないか食べても食パン1枚程度、晩御飯は納豆と卵かけご飯に味噌汁。
同期やバイト先の人と外食するとき以外は、9割方この献立だった。
贅沢な食事ではないが、僕はこれで十分だった。
納豆と卵は飽きないし安いし美味しい。


だから僕は、この生活を半年間も続けられた。

ダイエットもしていないのに、半年で僕の体重は58kgから50kgにまで落ちた。

49kg台に差しかかったとき、僕の身体に異変が起きた。

とにかく頭がふらふらし、意識が朦朧とするのだ。
ほろ酔いのときと似た感覚、もちろんお酒は飲んでいないのに。

自分が今どこで何をしているのかが自分でも理解できないというか、自分の意思で自分を操縦しているとは思えない感じがするのだ。

熱を測ってみると、37.0℃と微熱。
頭痛や吐き気、咳などは全くない。

だがその微熱は、1ヶ月以上も続いた。

そんな1ヶ月以上続くありえない微熱をほったらかしにしていると、ある朝、とんでもないレベルの朦朧が押し寄せてきた。
ほろ酔いだったのが、ベロ酔いに進化したのである。


これは流石にやばいと思い、病院へ向かった。

ふらふらしながら黄色いハマーを漕ぎ、なんとか辿り着いた。

そこは、近所の小さな内科で、お医者さんはおじいさん一人だけ。
いわゆる地域密着方の病院だった。

僕は前に、そこで健康診断をしたことがあった。
なので、お医者さんは僕のことを芸人の卵だと認知してくれていた(前に行ったときの会話の流れで)。

そして、容態と事情を説明した。
検査の結果、栄養不足によるものだと言われた。

正直、頭が朦朧としすぎてあまり覚えてないのだが、なんかアメリカかどっかのモデルに設けられている基準値を下回るほどの痩せ具合とのこと。
しかもここ半年で急に体重が落ちたので、そのストレスとかもあるとかなんとか。

そして、お医者さんは言った。

「もうこういうときはね、いっぱい休んでいっぱい好きなもの食べるしかないよ、薬とかもあるけどそういうのは正直意味ないから、根本的な解決にはなんないから、暑かったらクーラーつけて、これ食べたいと思ったらそれ食べて、きついと思ったら休む、いいね?」

生返事の僕に、お医者さんは続けてこう告げた。

「芸人さんは大変だと思うけど、自分の身体が一番大事だからね」

そして、封筒のようなものを僕に差し出してきた。

僕は、朦朧とした意識の中、それを受け取り、お礼を行って病院を後にした。


その帰り道、スーパーに寄って速攻、爆買いした。

前から食べたいと思っていたキムチを手に入れた。
他は何を買ったか覚えていないが、キムチを手にした満足感だけは今も残っている。

そして、家に帰ってクーラーをつけた。

天国だった。

これをしないで今まで生きていたのか、なんという強者だ。

自分で自分に感服した。

そして、そういえばと思い、お医者さんから受け取った封筒を開いた。

すると、中から1万円札だけが出てきた。


僕は、びっくりしすぎて固まった。


こんな人がいるのか、こんな優しい人がいていいのか。
無償の愛にもほどがあるんじゃないか。

僕の心を、感謝と感動が貫いていった。


そして、その1万円をそっと封筒に戻した。

お医者さんは僕に好きに使ってほしくてくれたかもしれないが、流石に使う勇気がでなかった。
だが、返すのも忍びない、どうしよう。

そうだ、手紙を書こう。

そういえば来週またその病院に行かなければいけなかった、そのときに感謝の気持ちを手紙にして届けよう。

僕は、A4用紙に思ったことを綴った。
とても感動したこと、感謝を感じていること、このことを一生忘れないこと、そして、僕もお医者さんのような心優しい人になりたいこと。

次の週、お医者さんに手紙を渡した。

「ありがとう、とても嬉しいです。
、、ちょっと待っててね」

お医者さんは手紙を読み、急いで返事の手紙を書いてくれた。

「これ今急いで書いたから、帰ったら見てね」

僕はお礼を言い、病院をあとにした。

その足で駅前のすき家に行き、大好物のネギトロ丼を頼んだ。

ネギトロ丼がくるまでの間、手紙を読もうともらった封筒を開けた。

すると、中からまた1万円札が出てきた。


なんで。
なんでここまでする。

僕は、無償の愛に潰されそうだった。


急いで書いてくれた手紙には、僕の手紙に対する感謝のこと、僕の体調を気遣うこと、僕を応援していることが書いてあった。
手紙に書かれてある文字全部に暖かみがあった。

そして、最後に追伸で、

「どうかもう一回だけ世話をやかせて下さい。食べることは大事です!」

と書かれてあった。


ずるい、ずるすぎる、こんなお金使えるわけないし、僕にできるお礼は感謝の意を伝えること以上はできないじゃないか、どうすればいいのだ。


僕は考え、思った。

僕がこのお金を好きに使うことがお医者さんに対する一番のお礼なんじゃないか。
お医者さんは心の底から僕に好きに使って欲しくてこのお金を渡してきた、じゃあお金を使う以外の1番のお礼はないのではないか。


よし、使おう、使ってやろう。

僕は、もらった2万円を何に使おうか考えた。

一番好きなもの、なんだ、何がある、考えろ。

考えれば考えるほど、そのお金を使うことが申し訳ない気がして、やっぱり1万円だけ使うことにした。

1万円ならいいか、好きに使おう、でも何があってももう1万円はとっておく、死ぬまで。


そして、1万円を握りしめ、パチンコ屋に向かった。


4万負けた。


人生すぎた。

あんなに重みのあった1万円が秒で消えていった。

何をしているんだ俺は。

好きなことに使えってそういうことじゃないだろ、まじで。

自分の愚かさに反吐が出そうだった。

皆さんはくれぐれも真似しないでください。
地域密着型の内科でお医者さんにお金をもらう機会があっても絶対にパチンコだけは行かないでください。
とんでもない罪悪感が押し寄せてきて心臓が止まりそうになります。

だが、こんな僕でもあとの1万円はとってある、もちろん今でも。

これだけは絶対に使わない、何があっても。
この1万円がある限り、僕はお笑いを、いや人生を頑張れるから。
僕が頑張る原動力になってくれているから。

そして、僕もお医者さんのような、無償の愛をばら撒く人間になるんだと思わせてくれる。



無償の愛をばら撒くことこそが人間の生きる意味なんだと教わったから。

自分ではなくまわりのために。
目の前の人のために、僕は生きるのだ。

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