私が三浦春馬さんの情報をシャットアウトする理由。

はじめまして。noteは読む専門でいこうと思っていましたが、TwitterにもFacebookにも書きにくい感情が生まれてしまったので、noteに書き記しておきます。

三浦春馬さんが亡くなりました。正直、凄く顔は好きなのですが、私自身集中力に欠ける人間なのでドラマを見ることが少なく、何作か見た程度で、なんとなく好き、という感じでした。

そんな私でもニュースの衝撃はとてつもないです。何作か見た、というだけの私ですらこんなに感情を引きずっているのだから、彼を愛する、彼と関わる全ての方は今も悲しい気持ちであるはず。

自己紹介もしていないので何者か分からないと思いますが、仲の良い女友達のグループLINEも三浦春馬さんとの握手会やイベントでの思い出、作品の話、ウェブ情報、メディア情報などがひっきりなく飛び交っているのですが、、、

全て読まずにいます。

簡単に言うと「三浦春馬さんでも自殺をする」ということを精神的に受け入れることが怖いから。

「三浦春馬さんでも自殺をする」ということを精神的に受け入れることが怖い。

そのまんまです。容姿端麗、名声も手に入れ、何も知らない私からしたら羨ましいと思う全てのものを手に入れている(っぽい)三浦春馬さん。

実のところも何も分かりませんが、あんな(私からしたら)完璧な人が自殺してしまうのなら、「何も手に入れていない私なんかあっけなく自殺してしまっても何もおかしくない」と思うのです。

※あくまで私の考えです。(こんな注釈をつけないければいけないことって面倒だなぁ)

「三浦春馬さんでも自殺をするんだから、私みたいな平民だって思い悩めば自殺してもおかしくないよね」という考え、申し訳ないですが覆りません。

仲間や大好きな人が自殺をしたら悲しい、悔しい。大学時代から毎年7月はそんな気持ちを思い出し、葛藤しています。葛藤したところで亡くなった仲間は戻らないし、自己満足の範疇なのですが…。

私自身も過去に死にかけた経験があります。じゃあなぜ今生きているか、というと「死んだ気になって生きてみよう」と思えて、食いしばって生きようと思えることがあったから。

〇年経ち、ありがたいことに目まぐるしい毎日になったため、食いしばって生きる状態ではなくなりました。ふと立ち止まった時に、三浦春馬さんのニュースを正面で向き合ってしまったら、自分も連鎖してしまう可能性はゼロではない気がするのです。

だから私は三浦春馬さんのニュースと向き合う気がないのです。多分これからも。

あくまで私の意見です。私みたいな考えだらけになると世の中成り立たないと思うので、私みたいな考えは一人でも少なくありますように。