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2021.1.6 じいちゃんが始め挑んだバラ作り孫の俺まで影響及ぼす

【農家に生まれて】

農家三代目の俺。

農家三代目って、珍しいですよ。

普通だと、先祖代々畑を持っていて
作物を育てている農家がほとんどです。

十代目とか普通にいますから。

俺のおじいさんが戦前(70年以上前)に花の生産を始めた。
畑は持っていなかったので、農家より畑を借りて川崎市で
菊やカーネーションを作り始めたそうです。
(今でいう新規就農者なのです。)

そもそも自分の畑(土地)もなく、戦前という時代に
花の生産をするって、何がそうさせたのか知りたい!

残念ながら45年前に亡くなってしまったいるので、
もう聞けないのです。

その後、川崎市が住宅や工場が増え、畑をやれなくなり
川崎を離れ茅ヶ崎市に移動。といっても借地農家が移動するものだから
茅ヶ崎でも畑を地元農家から借りての農業。

茅ヶ崎では全国的にもまだ生産者が数人程度のバラの切り花栽培を開始し、
俺のじいちゃん「横田長吉」は日本切バラ協会のトップにもなっていた。

そんなじいちゃんも道半ばで亡くなり、俺の親がバラ生産を続けていた昭和の終わりに、俺も学校を卒業し家業に入りバラ生産を手伝い始めた。

そしてすぐその頃に、借りていた農地が県営住宅建設の収用法で立ち退きになり、立ち退きの代替え地として、現在農業をしている平塚市に移り住んだ。

このときにはじめて、立ち退きの保証の代替え地として、平塚の畑を手に入れた。ようやく、借地ではなく自分の農地・畑(親父の名義ですが)でバラを生産することが出来るようになったのです。

じいちゃんが川崎で借地農業を始め、
親父が茅ヶ崎で借地農業を継続し、
俺の代でようやく自分の畑を手に入れる

という、変わった経歴の農家なんです。
農家三代がそれぞれ畑を探して引越しをするなんて、ありえないのでは??

そんな不思議な農家経歴なので、他の農家と考え方や感じるものが違うようです、俺は。

考えかた や 感じ方 の違う事が、良いのか、悪いのか・・・
賛否両論あるみたい。俺はいつも楽しいけれど!

この先も色々起こるはず、すでに起こり始めている。次はどこへ何を!

挑め!俺!!


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