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島流し2日目 その2【海士の越境者を訪ねて#2】

★この内容は 2022/3/15 の記録です。

町役場を後にし、ここからは2組に分かれて、さらに2人ずつ島の越境者を訪ねていく。

※前回の記事はこちら


還流コーディネーター ロドリゲス拓海さん

私たちのチームが次にお話を伺ったのは、ロドリゲス拓海さん。

ペルーの血が流れる、東京生まれ、東京育ち。20代半ば。

早稲田大学在籍中に、都市と地方の教育格差への関心を持ち、隠岐國学習センター(島の高校生の予備校のような場所)にインターンに来たことがきっかけで海士町と関わりを持つ。

学習センター在籍中は、センター外の島の人たちとひたすら会ったり会話をしていたそう。

インターン終了後は、大人の島留学制度で再度来島。

島留学が終わっても島に残り、今は島の運営側として、島留学や人の還流を支援する立場として活動をしている。

東京から海士町へ、完全なる越境者だ

この日は、島に来た人が住む場所を作るために、『空き家』の清掃をしていた。

島の住まいの課題

いま、島では家が不足している。移住したい人がいても、住む場所がなく順番待ちになっている

しかし島では、新しく家を建てようとすると、資材や重機の運搬などで通常よりも多くの費用がかかる。だから空き家の活用はとても重要なミッションだ。

ここまでの内容を聞くと。役場に勤めていると思ったが、そうではなく、事業主として、町から委託を受けて活動しているそうだ。

若者がたくさん働いている

島にいて何度も驚いたのが、若者の姿が多いことだ。

この日の空き家清掃も、大学生の女の子たちが一生懸命作業をしていた。

気がつけば軽トラの荷台は満タンに。

上の写真の子は、『軽トラ運転するためにMTの免許を取りました!』と。なんとも頼もしい。

男性はいないのか、ロドリゲスさんに聞いてみると、島留学の8割くらいは女性の応募なのだそう。

いまの大学生は、まちづくりに興味ある人が多く、今までの自分とは全く違う環境に身を置いてみたいと考え、応募してくる方が多いそうだ。

また昨今のコロナ禍を受けて、リアルな現場や、活動するフィールドを欲しているという側面もあるとのこと。

マルチでありたい

ロドリゲスさんと対話を進めていくと、彼のユニークさが更に見えてきた。

彼はただ委託業者として働いているだけではなく、島の小学生からは、『学校の給食の野菜を作っている人』と認知されている。

野菜の生産と出荷もしているそうだ。

島に来て家庭菜園を始めたら、港のセンターで売ってみなよと言われて販売を開始。

売っているうちに『○○ないの?作ってよ』と声をかけられ、それらを作って要望に応えているうちに、学校給食にも野菜も出すことになっていた。

「マルチでありたいんです」

「島をよくしたいというよりは、自分が住んでいるところをよくしたいんです」

野菜以外にも、島のあちこちに関わりながら、会話を重ね、新しいことを始め、離島でマルチなキャリアを積み上げている。

町長と同じ目線の高さで

そんな活動的な彼に、我々は合間に色々な質問をぶつけていた。

「余所者が島に打ち解けるポイントはありますか?」

「稼ぐことについてどう思いますか?」

思いついたことをそれぞれが聞いていったが、どんな質問にも迷うことなく彼の意見が返ってくる。

彼自身の言葉で。

しかも、島全体の捉えた目線で。

大江町長と同じ目線で。

私たちはどうだろう?

一方、普段の私たちに置き換えてみたとして、委託の方が委託元のその先の目線で語られるだろうか?

委託と言わず、我々自身が、所属組織よりどれだけ大きな目線で、普段から自分の言葉で語ることができているだろうか?

そう内省せざるをえなかった。


わくわくと美味しいを届ける 大野祥子さん

続いて向かったのは"アヅマ堂"。

菓子工房であり、週末限定でオープンするベーカリー。

以前は和菓子屋さんだった建物を利用している。

店主は大野祥子さん。

東京では広告代理店やインテリアのプロモーション会社、PR会社などで働いていた。

ブラックな環境のこともあったが、"自分の生活がよくなる"ことだから働けたという。

旦那さんとの結婚を期に、2人で海士町へ移住。祥子さんは島への移住なんて、考えたこともなかった

それが今では、海士町の素材を生かした玄米グラノーラ『あまのーら』や、水引アクセサリー『amairo』の販売なども行っている。

どれも島に来てから始めたことだそう。

アヅマ堂は、夫婦で手作りした『あまのーら』をフリーマーケットに出したら反響が大きかったことから、製造工房としてオープンさせたのがはじまり。

オープンまでの経緯も興味深く、クラウドファンディングを活用したとのこと。詳細はこちらのクラファンのページから。


パン屋さんがなくなった

ここまでの経緯に、ベーカリーの文字はひとことも出てこない。

そんな祥子さんがパン屋もやることになった理由。それは島のパン屋さんがなくなったから。

島にはベーカリーがなくなり、山崎パンしかなくなる。「誰かパン屋さんやらないかな」と思っていた。

そんななか、アヅマ堂を運営する祥子さんは「パン作れないの?」と言われたりすることもあったそう。

他にやる人はいない

そんな言葉をかけられながら、改めてアヅマ堂を見渡してみる。

すると、パンを作る機材は『アマノーラ』を作るための機材でまかなえそうで、更に、菓子製造許可などもひととおり取れていることに気づいた。

『他にやれる人はいない』

ここが世田谷だったら、他にも人はたくさんいるし、自分がやろうとは思わなかっただろう。

でも、島は小さいから、どうやっても当事者意識が出てくる。

友人のレシピ開発してる人に相談したら、どうやら出来そうということがわかり、そこからは一気にベーカリーのオープンに。

現在アヅマ堂は、週末限定でベーカリーとしてオープンしているそう。


自分と家族が気持ちよくなるか?

祥子さんと会話をしていると、自分の判断軸をしっかり持っていることが伝わってくる。

やり取りで返ってくるのは、そんな判断軸,価値基準に基づいた、明瞭でシンプルな答え

『島のために』や『島がよくなるように』ではなく、『自分と家族が気持ちいい状態になるように』

その舞台が偶然移住した海士町だった。そんな印象。

自分の軸をきちんと持っていれば、いる場所なんて関係なく、どこでだって輝ける。そんなことを感じさせてくれる時間だった。

与えられた場所に、『足りない』を言うだけじゃなく、自分の軸で、出来ることから、一歩踏み出してみよう。


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