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【インタビュー】不安定さから生まれるものー陶芸家・鈴木美雲さんがうつわに込める「余白」とは。

初めて会ったはずなのに、そんな気がしない人っている。

どこかで会ったのか、それとも前世ですでに会っていたのか。難しい理由はよくわからないけれど、記憶の「なにか」が反応して、一気に懐かしい気持ちになったり、親しみを感じてしまうことがある。

陶芸家 鈴木美雲さんのうつわに出会ったときがまさにそうだった。見て懐かしくて、触れて愛着が湧いてくる。初めて見たはずなのに、ともに長く時間を過ごしてきたような不思議な距離感に、ぐぐぐっと心を掴まれてしまった。

鈴木さんは山形県で作陶する陶芸家さんで、草々にもうつわを届けてくれている。今回、奈良⇄山形をzoomで繋いで(初の試み!)たっぷりお話を伺いました。

鈴木美雲プロフィール:1993年 千葉県生まれ。朝鮮骨董の李朝に魅せられて陶芸家を志し、2018年に独立。現在は山形県で工房をかまえて作陶している。自作の「蹴ろくろ」で生み出す、味わい深さと柔らかさが両立したうつわをつくっている。


目利き力。

ー鈴木さんって、陶芸家のなかではまだ20代で「若手」にあたると思うのですが、つくるものは長く歴史を積み重ねてきたようなどっしりとした雰囲気があるなぁと思いました。いまこうしてzoomでご対面して、あらためて驚いています。

(鈴木)ありがとうございます。色んな人に「渋いものをつくるね」とよく言われます。

ー陶芸をはじめた頃から、渋め路線だったのですか?

(鈴木)最初は、透かし彫りなど見た目に華やかなうつわをつくっていたのですが、大学生の頃に昔の作品に触れる機会があって。そのときいいなぁと思ったのが「川喜田半泥子 かわきた はんでいし」さんという陶芸家さんがつくった粉引きでした。そして朝鮮の骨董、「李朝 りちょう」に行き着きました。

ーあぁ、李朝。よく美術館にあって、みたことあります。一見、形も極めてシンプルなのに、力強い存在感を放っているなぁと印象的でした。

李朝とは李氏朝鮮でつくられた陶磁器のこと。装飾がない白磁が有名。これは、鈴木美雲さんが実際に参考にしている本。


(鈴木)私がはじめて李朝を見たのは本でした。そして、美術館で実物をみて..

ー実物、どう思いましたか?

(鈴木)おっきいなぁって。

ーおっきいなぁ。笑

(鈴木)まさに、おっきいなぁでした。それは単にスケールのことではなくて、なんていうのでしょう。焼いたその場で出ない、時代が経てついた色合いなんだろうなって。そういうところがかっこいいなと思った。そのくらいまで使われるうつわ、いいなぁって。

ーなるほど。

(鈴木)そこから李朝の歴史を調べていったら意外なことがわかりました。諸説ありますが、李朝はもともと朝鮮では、一般的な食器として使われていた。でも、そこに「美」を見出した日本人が、李朝を日本に持ってきて、価値を広めた。やがて、公式な場所、「茶会」などで使われるようになった、とか。

ーへぇ。「生活」の場から、「茶会」の場へ。

(鈴木)これを知ったとき、平凡なうつわがそんなに価値があがるものなのかと、日本人の目利き力に驚きました。茶室って、ひとつのアート空間だと思うんです。茶碗も掛け軸も花器も..、すべてが合わさって出来る空間だと思うのですが、それをつくりあげた人が、もとある価値に引っ張られずに自分の目を信じて、日本へ引き込んできたことが、すごいなぁと思いました。


鈍い色と、手触り。


ー鈴木さんがつくるうつわって、不思議な色を出しているなぁと思います。言い方悪いかもしれないですが、一見ぼんやりしているのに、よく見ると色んな色が見えてくるというか。


(鈴木)色は、「鈍い色」が好きなんです。

ー鈍い色?

(鈴木)なんていえばいいのだろう。ちょっと表現が悪いんですけど、油が垂れたような、そんな色です。

ーあぁ。使い込んだ布、みたいな。

(鈴木)それです、それ。はっきりしていないけれど、光が当たると、もともとある成分。陶芸でいうと、土や灰の成分がうつわに見え隠れする、そんな色に魅力を感じています。

ーそう考えると鈴木さんのうつわって、手触りも、ちょっと「鈍さ」がありますよね。ゴツゴツまでいかない、コツコツ、と言いますか。きれい肌すぎないその感覚が、「私、うつわを使っているなぁ」と感じるんです。

(鈴木)コツコツしているのは、石の粒です。

ーへぇ、石の粒。その「土」にも、なにかこだわりがあるのですか?

(鈴木)近所の山から採ってきた土を使っています。散歩していたら偶然出会った土なのですが、そのままでは陶芸には使えないので、買ってきたきれいな土と混ぜて使っています。

ー自分で採った土でうつわをつくるなんて、実験みたいでおもしろそう。そうやって、自分なりの型が少しずつできていくのですね。

(鈴木)ただ、陶芸をやっていて思うことは「シンプルって難しい」ということなんです。

ーシンプルは難しい、ですか。

(鈴木)シンプルなものが好きで、自分のなかでこれだと思ってつくるのですが、夢中でやっていると、誰にとってのかっこいいなのか、ダサいなのか、基準がわからなくなります。どこかからかかたちを借りてくるほうが安心するんです。

ーあぁ。それって、「なんで陶芸をやっているんだろう?」に通ずる話ですね。合わせ過ぎてもブレてしまうので、いいバランスで取り入れていかないと、おもしろみがなくなるような。

(鈴木)はい、まさに。周りを見て足していくのは安心できるけど、逆に要素を抜いていくのはこわいと思います。

ー足すより引く方が、こわいのですね。

(鈴木)はい、「自分」が見えやすくなりそうで。シンプルを自立させるものってほんとうに難しいなぁと。

ー削ぎ落としてシンプルに近づけていく。その過程は、「自分」へ近づくことになる。なんだか今の話は、陶芸に限らず、すべての仕事に共通することのような気がします。

弱い土と、回らないろくろ。

ーこれ、インタビューすると必ず聞くことなのですが、鈴木さんが陶芸をやっていて一番たのしい瞬間ってどんなことですか?

(鈴木)あぁ、それは「ろくろが勢いよくひけたとき」です。

ー勢いよく、とは?

(鈴木)勢いよくは、速度があるというわけではなく、「弱い土」と「あまり回らないろくろ」が合わさったとき、ですね。

ー「弱い土」と「あまり回らないろくろ」..。なんだか不思議な組み合わせですね。

(鈴木)「弱い土」とは私が山で採ってきた土のことで、弱くて脆いんです。砂っぽくて粘着度が低いので、くっつかないし、広げようと思ったらぱっくり割れてしまう。成形するのが大変で、きっと、陶芸には不向きの土。そのままでは使えないので、買ってきた滑らかな土を混ぜて使います。

そして、ろくろは足で蹴るタイプの、原始的なろくろを使っているのですが、これも自分でつくったものなのであまり..  回らないんです。

鈴木美雲さん自作の蹴ろくろ

ーろくろが、回らないとは。しかも、自作で蹴ろくろを。これもまた意外な組み合わせですね。

(鈴木)反対に、滑らかな土と電動ろくろでつくるときれいなうつわがつくれるんですけど、でも、それとは違って、両方とも「抜いたとき」に不器用でな感じのうつわがつくれることがわかって。

ーへぇ、抜いたとき。

(鈴木)回らないろくろと、弱い土。両方がいい具合に力が抜けて、重なり合う瞬間がある。すーっとかたちになるときがあるんです。これが、いいなぁと。テンションがあがって、楽しくなります。


ーそれって、「委ねる」みたいなことでしょうか。そのものがなりたいかたちに導くような。

(鈴木)委ねる。はい、そんな感じです。あとうまくいくときって、うつわが「歪む」んですよ。見た目的に「動きがある」とも言えるかもしれない。

ーあぁ、なるほど。普段色々なうつわを見ていて思うのですが、パッと見はふつうでも、よくよく近づいてみると歪みやら動きを超えて、「生き生きした雰囲気」を放つうつわに出会うことがある。人間でいうと、後ろ姿なのにご機嫌であることが分かるような。今の話を聞いてそんなことを思いましたし、鈴木さんのうつわからも同じことを感じるような気がします。

残したいもの。

ー最後にお聞きしたいことがあります。鈴木さんは、これからどんなうつわをつくっていきたいですか?

(鈴木)うーん..余白を残せるようなうつわをつくりたいですね。長く使うことを想像できるような、「時間」を感じる余白です。

ーへぇ、「時間」ですか。

(鈴木)陶器って、長く使っていたら割れたり水漏れしたりしてくることもあると思うんです。もちろん最初からそうなっていたら欠陥になると思うのですが、昔の人は花器が水漏れしても、使い続けていくと草などがヒビの隙間に入り込んで、水漏れが止まっていたと聞きました。

ー草などが、穴をふさぐのですね。

(鈴木)そうやって、多少の欠陥があっても受け入れてもらえる、ともに長く時間を過ごしたいと思えるうつわっていいなぁと。

ー私もうつわを使っていてよく欠けたりします。それでもまぁ、気にせず使い続けていますし、水漏れしても自分なりに目止めして使っています。そうすると、「付き合い方」が分かってくるような気がするんです。

(鈴木)そうそう、「付き合い方」大事ですよね。そういうふうに思ってもらえるとうれしいなと思います。割れたから、水漏れしたからすぐに捨てるじゃなくて、長く使う工夫をしながら付き合っていく。理想の関係ですよね。

ースーパーに並ぶ「野菜」もそうですが、ちょっと歪んでいたり、傷が入っていたり。それが「味」になるものがたくさんあるし、工夫につながることがあります。つくる方も使う側も、そういう気持ちで向き合えたらいいですよね。
あぁ、私もこれからお店をやっていくなかで、今日のお話は大事にしたいことだなぁとあらためて思いました。ありがとうございました。


あとがき:今回はじめてのzoomインタビュー。実は鈴木さんには実際お会いしたことがなく、そんななかで画面越しに話を聞くのってどうなのだろうと思いながらおそるおそるやってみました。

鈴木さんは、一つひとつの答えをじっくり絞り出すように答えてくれ、別日で追加質問したことにも丁寧に対応してくれました。ただ、距離があったのか、関係性がまだ成熟していないからなのか、全体的に「煮え切らない」話が多かったのですが、それが逆にお互いの「問い」になることが多いインタビューとなりました。

鈴木さんが話していたことで一番印象に残っているのが、「余白」の話です。陶芸に向き合いながら、時間軸ではどこか遠いところを見ているようで、その視点の壮大さに唸りました。そこに、「鈍さ」や「弱い土」「回らない蹴ろくろ」など不安定な要素が重なって、うつわが生まれていることを知り、妙に腑に落ちました。

予想するに、2年後、3年後、鈴木さんにもう一度インタビューをしたらさらなる世界の広がりが見えてくるかもしれないと思います。そう思ったら、このnoteを書きながらワクワクが止まりません。つぎはぜひ、山形に行って話を聞きたいなと思います。

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今回も長いインタビューを読んでいただきありがとうございました。

草々がオープンしてからはじめてのインタビュー。また今までとは違った気持ちで陶芸家さんと向き合うことができた濃密な時間でした。陶芸家さんがうつわに込める思いや考えをもっと知りたいし、書きたい。自分だけの好奇心を超えての「届けたい」気持ちが強く芽生えてきたなぁと思います。

いただいた感想やコメントはすべて鈴木美雲さんに伝えますので、なにか感じたことなどありましたらぜひお気軽にいただけると嬉しいです。
また、鈴木さんのうつわは草々にありますので、よかったらぜひ見にいらしてくださいね。

〈鈴木美雲さんのインスタを紹介します〉

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うつわと暮らしのお店「草々」

住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町7782-3
営業日:木・金・土 11:00-16:00

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