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【工房探訪記】高野山で見た森岡成好さん、由利子さんの焼き物屋としての生き方。

和歌山県の北東部、高野山の麓で暮らし、作陶する陶芸家さんがいる。
森岡成好 しげよしさん、由利子 ゆりこさん。

成好さんは陶芸キャリア50年。
陶器、とりわけ「南蛮焼締め」という釉薬をかけずに高温で焼成する作品をつくり続けている。

森岡由利子さんはキャリア40年。
白磁の作品をつくっている。

私はお二人のうつわに出会ってから、不思議な感覚で満たされるようになった。

使っているうちに、感性が研ぎすまされていくような、
慈しみの気持ちが育てられていくような感覚。

さらに、お二人がどんな想いや暮らしのなかで作陶しているのか。
そんなことは決してわからないのだけれど、勝手に想像がふくらむ始末で、正直、うつわを使いながらここまでの体験をしたことは初めてだった。

なぜこんなにも、私はお二人のうつわに惹かれているのだろう。

その理由をたしかめたくて、高野山へ会いにいきました。
このnoteは、私目線で綴る森岡夫妻の工房探訪記です。

※南蛮焼き締めとは
古く中国南部または安南・シャムなどから船載された粗陶器。多くは紫黒色の炻器質(焼き締め陶器)で、壺・茶入・水指などに用いられることが多かった。

『新村 出編 広辞苑 第三版』岩波書店(1983年)

奈良市内から車で約2時間。
標高約500メートル、高野山への山道を車でずっと走った先に広がる集落に、森岡夫妻の家はある。到着したら森岡由利子さんが出迎えてくれて、大きな赤松がズドンと立つ正面玄関から木造二階建ての自宅へ入った。

しばらくすると成好さんもきて、三人で由利子さんがつくった白磁のティーポットと湯呑みでお茶を飲みながら話をした。

森岡家の自宅や工房は、約20年前に廃材を使ってセルフビルドで建てたという。
成好さんはときおりタバコを吸いながら、由利子さんは薪ストーブに薪をくべたり、愛犬の毛並みを揃えながら当時のことを話してくれた。
「こんなに立派なお家、自分で建てられるのかぁ…」と私は室内をキョロキョロと見ながら、ただただ、ため息ばかりが漏れた。

そして話題は、「焼き物」の話へ。
由利子さんはまず、こんな話をしてくれた。

” 私たちは、1万年残る焼き物をつくっています。"

手前の窯:成好さんの焼締めの作品を焼く大きな穴窯、奥の窯:成好さんの釉薬をかけた作品を焼く穴窯

工房には大きな薪窯が3つある。
一番大きいものは10メートルの穴窯で、10日間かけて20トン以上の薪をくべながら、4,000-5,000個ものうつわが焼き上がる。ゆっくりと火を入れながら時間をかけて焼くから、カチッと焼き締まる。そもそも「焼き締まる」ということは、粘土に含まれる長石などの成分が、高温で焼かれることで液状化して素地に食い込み、全体を強く硬くするので、ちょっとやそっとのことで割れたり欠けたりしない。東北の震災で、被害にあった由利子さんの友人の自宅から唯一生還したのが、成好さん、由利子さんのうつわだったという話もしてくれた。

由利子さんは、続けてこう話す。

” 自分がつくったものには、責任を持たないと。”

それから、お二人がかつて世界中旅をして現地の窯場を巡った話や、縄文土器や弥生土器のルーツの話をしてくれた。私はすべての話が新鮮でおもしろくて、そしてまだまだ勉強不足なことも自覚しながら、とりこぼすまいと前のめりで聞いた。
もっと時間があったら、ずっと聞いていたいような話ばかりだった。

そのあと、成好さんが工房を案内してくれた。

由利子さんの白磁作品を焼くアーチ型の窯

今まで色んな陶芸家さんの工房を見てきたけれど、個人でこの規模感のものは初めてみたので圧倒された。窯の前に立つと、焚き口から火が勢いよく吹きだす様子が見えてくるような気迫を感じた。

成好さんは窯を眺めながら、こう話す。

” この焼き方はね、すごくエネルギーを使うんですよ。”

個展があるたびにこれらの窯で焼く。
期間も長いし、人手も必要だし、薪の消費量も多いしで毎回とてつもない力を注いで向き合っている。
さらに、「焼くこと」だけが仕事ではない。窯に作品を詰める作業を何日もかけて行うし、薪を割ることも何時間もかけてするし、そもそも山から土を採ってきて、土や釉薬の研究や配合を試験しながら、作品をかたちづくっていく。

すこし話を聞くだけでも気が遠くなりそうな工程に、わたしはひたすらに「すごい」しかコメントができず、あとで猛反省したのだけれど、それ以上の言葉が出てこないくらいに圧倒された。

薪窯でつかう丸太を割る薪割場

だって、たとえば「山から土を採ってくる」ことは、ある人から見ればすごいことだけれど、お二人にとっては制作過程のひとつに過ぎない。あえて強調することもしなければ、その背景にある歴史や知識も織り交ぜながら、日々淡々と作陶している。

***

それから工房へ。
成好さんと由利子さんは工房を分けていて、ここは成好さんの工房。

入った瞬間、心地いい空気とともに大音量のジャズが響いていた。個展へ向けて制作中の作品もたくさんあって、建具も道具も歴史を感じるものばかり。昔から手仕事が好きだったんですか?と聞いたら、こんな話をしてくれた。

” 幼いころは、模型をつくることに夢中でした。”

自作の飛行機を飛ばす大会に出て、優勝したこともあるくらい熱中したのだそう。模型は、自分でかたちを考え、木をとってきて削ってつくっていたらしい。この話を聞きながら、成好さんの昔と今の様子が重なって納得した。

続いて由利子さんの工房へ。

白磁の白い土が飛び交う、キリッとした雰囲気。
入り口に制作中の大きな壺が置いてあって、しばし見惚れてしまった。

窓側に置いてあったオブジェのせいだろうか。
由利子さんの工房に入ると、「厳粛」や「いのり」という言葉が浮かんできた。

工房の前では畑もやっていた。
玉ねぎや白菜、ネギが育っていて、成好さんが書いているブログを読むと、ほぼ毎日野菜を収穫して食べているみたいだし、作陶の合間に、きのこ狩りやクルミ拾い、薬草採りに出かけている。自給自足の暮らしとは、きっとこういうことなのだろうと思う。

帰り際、どうしても聞いてみたいことがあってすこしだけ時間をもらった。
それは、成好さんが26歳のとき(1974年)、種子島で出会った焼締めのこと。生活雑器だったというが、そのとき見たものはどんなものだったのか。成好さんはこんな話をしてくれた。

” 種子島では江戸時代初期から能野 よきの焼きという生活雑器が焼かれていたが、途絶えてしまいました。この能野焼きを復興させようと島内で声が上がり、陶磁学者の小山冨士夫 こやまふじおさんが唐津の陶芸家 中里隆さんに声をかけて種子島に移り住んで、窯場をひらき、作品というかたちでつくりはじめた。私が訪れたのは、ちょうどそのときでした。”

成好さんはそこで見たものに大変影響を受けたという。
当時彼らがつくっていた能野焼きとは、どんな作品だったのか。
続けて由利子さんはこう話す。

” あの時代は、よかったですよ。種子島の西之表市の窯場にいったとき、中里さんがつくった作品が残っていたのですが、明るいエネルギーが出ていてね。すごかったですよ。”

成好さんも横で深く頷きながら相槌をうつ。
当時のことを思い出しながら目を細めて話すお二人の表情を見ていると、ほんとうにいいものをつくっていたのだろうなぁと思う。

それから話題は、昔つくられていた生活雑器の話へ。

” 種子島、徳之島、琉球(沖縄本島)あたりは、焼き物に適した土が採れるところがあるのですが、昔は何日も船で航海するための飲み水を入れておくための「甕」や、穀類を保存するための「種壺」が必要で、焼き物がつくられたという歴史があります。木製などにするとネズミに食べられてしまうから、焼き物で保存していました。”

” 焼き物の概念、必要性というものが、昔と今では違っていました。今の我々にとっての焼き物は、主にテーブル周りの食器に限定されたものの見方をするけれど、昔はもっと広範囲で、「人がいのちをつなぐための道具」でした。”

それから話は、北陸の焼き物へ。平安時代末期〜室町時代後期に栄えた石川県の「珠洲焼 すずやき」も、北前船にのせる「水甕」が多くつくられていた。北海道から福井県へかけての日本海側に広く流通していたもので、素材も、水漏れがしにくいこと。かつ、北の荒海を漕ぎわたるから凍てつく心配(凍って割れてしまう心配)があったので、吸水性を極力おさえるよう黒燻が使われるなど素材を工夫されてつくられたといわれている。

さらに、中国で発達した焼き物が、色々なルートで日本に入ってきたことや、魔除けやいのりの意味が強く込められていた青銅器のことへと話題は広がり、” 焼き物は、その土地その土地で必要だったから発展したという側面がある "という話をしてくれた。

なかでもとくに印象に残っているのが、この言葉。

” 自分の思いだけで動く。焼き物とは、そうではないのです。”

自分がつくりたいかたちやアイデア。それだけはなく、「とてつもない」が必要とされた人間の精神状態を掘り下げていくと、見えてくるものがある。焼き物をつくることって、そういうところへ感性をつなげていけば、もっともっとおもしろくなる。

最後にはそんな話を、お二人は表現を変えながら繰り返ししてくれました。

*
*
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帰り際、私は工房でお店に持ち帰るうつわを選ばせてもらった。
シーンとしたところでたくさんのものたちに触れながら、選び、向き合う時間が、なんだか浄化されていくような時間だった。

そうして奈良へ帰ってきて、この文章を書きながら気づいたことがある。
それは、最後に話してくれた「感性をつなげていけば、もっとおもしろくなる」というお話。

お二人が思いを馳せているところは揺るぎなくて、これからもずっと続いていくものだろうことがわかったとき、グッと距離が縮まったような気がした。そこにはきっと普遍的な価値観が広がっていて、実はアクセスしようと思えば誰でもできるところにある。それを生きているうちにするかしないか、それが問題なのだ、という観念のようなものがあとから追いかけてきて、小さくハッとした。

これからもお二人の作品と向き合いながら、気づくことがきっとたくさんあるのだろうと思う。「焼き物屋としての生き方」を、見せてもらったような気がします。
森岡成好さん、由利子さん、貴重なお話をほんとうにありがとうございました。

【参考URL】
陶 奈なめ連れづれ『小山冨士夫 種子島焼を誕生させる』(2023年10月4日)
東京国立博物館 1089ブログ『特集「焼き締め茶陶の美―備前・信楽・伊賀・丹波―」鑑賞のススメ』(2019年10月29日)
珠洲市役所 『珠洲焼館』(2022年1月17日)  ほか

***

3/1(金)〜草々のメインテーブルにお二人の作品が並びます。
成好さんは南蛮焼締めの土瓶やぐい呑み、片口、ビアマグなどを中心に、
由利子さんは白磁のティーポットや湯呑み、お皿を中心に工房で選んできました。
ちょうど冬から春へ移り変わる季節に、ぜひ見ていただきたいと思います。
またインスタグラムやエックスでもご紹介していきますね。おたのしみに。


『メインテーブルイベント:森岡成好・由利子展』
3/1(金)〜3/30(土)@草々
※期間中は常設のうつわも見ていただけます。

うつわと暮らしのお店「草々」
住所:〒630-0101 奈良県生駒市高山町7782-3
営業日:木・金・土 11:00-16:00

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