モンドリアンの作品、逆さまに展示されてたんかいっ
モンドリアンの作品の一つが75年間、さまざまなギャラリーで逆さまに展示されてきた。
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学芸員が新たな企画展のリサーチをする。
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モンドリアンのアトリエの古い写真を見つける。イーゼルに置かれた同じ絵が、逆さまに置かれているのに気が付く
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「この作品、上下逆さまじゃね?」
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正しい向きに変えると損傷の可能性があるので、今後もそのままで展示される予定。
そのままかい。
これはすごい発見ですよね。何気ない古い写真の中の絵を見て気がつくなんて。
その察知能力は、自分の好きな「推し」のインスタから、身につけているアクセサリーを特定したり、後ろの背景から場所を特定したりする能力に似ているような気がします。違うか。
それを発見した時の喜びは、サイゼリヤの「まちがいさがし」で、なかなか見つけられない最後の一つを見つけた時と同じくらいうれしかったと思います。違うか。
未完成で署名がなかったので、さらに気づかれにくかったんでしょうね。
でも。
この学芸員のメディアのインタビューで少し「あれ?」と思う部分がありました。
「暗い空のように上にあるべきだ。」
なんだか、美術鑑賞のあるあるフレーズみたいで少しへこみました。私が無知なだけで、モンドリアンの作品についての構図や配色に専門的な学説があるのかもしれません。
「暗い空」は上にないといけないのかな。そもそも「暗い空」じゃなくて「暗い地面」じゃないのかな。人物画とかならまだしも、そんなに上下が大切なのかな・・。
美術にしろ読書にしろ映画にしろ、感想にはなんだか正解ありきな感じがして、子供のころから正直に自分の感想が言えませんでした。「正解」に近い答えじゃないと、「間違い」「わかってない」とされるような感じが嫌でした。
作品が作者の手から離れた瞬間、そこからはもう自由に好きなように鑑賞者の感じるままでいいんじゃないかと。解釈の道筋の正解はあったとしても、感じたことに正解も間違いもないとおもう。
特に小さい子や小学生の子供たちには、感じたことをそのまま言えるようになってほしい。いろんな感想があることが普通になってほしい。
学校の先生や大人は、子供を誘導したりアドバイスしたりせず、そのまんま受け取って感心してほしい。
美術の時間もこんなふうに変わってくれたら、将来すごいアーティストが生まれるかもしれない。
もし私がモンドリアンなら、「あみだくじみたい?面白いやん。上下逆さまでもOK!なんなら横向きでもええで!」というかもしれない。
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