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【連載小説】ヤクルトレディは濡れた衣を着る①

 好藤花衣 著


「今日は快晴です。しかし昨日の雪で道が凍っていますのでくれぐれも運転にはお気をつけください」
 気象予報士の予報を聞きながらヨンシルは窓を開ける。寝てる間に沢山雪が降ったのだろう。あたりは真っ白になっていた。ヨンシルは前日にアイロンをかけて置いたベージュの制服を着る。アイロンした制服は真冬の空気と同じくパリッとしていた。やはり前日にアイロンがけしておくと気持ちがいい。玄関の扉を開けるとそこは冷凍庫のような寒さだった。厳しい寒さに思わず身が縮む。アパートの管理人が管理している駐車場には地面に積もった雪と同じくらい白い軽トラが停まっていた。多分あれは同じアパートに住むヤンさんのだろう。確か建設会社に勤めていると聞いたことがある。きっと朝方に帰ってきたのだろう。軽トラの前部分は凹んでいる部分があった。きっと前に軽い事故でも起こしたのね、とヨンシルは思いながらそのまま職場に向かった。
自宅の近くにあるオフィスで出勤カードをかざして外に止めてある冷凍車に乗る。スイッチを入れるとウィーンと作動し始めた。ヤクルトを冷凍車にぎっしり詰めて冷凍車を発射させる。
韓国の冬は空気がぱりっとしているため走っていると顔に当たって痛い。思わずマフラーを鼻まで覆ってしまう。
 朝8時。住宅が密集した民家からぞろぞろと人が出てくる。みんな出勤するのだろう。すると向こうから元気のいい声が聞こえてきた。近所の小学生たちが仲間と何やら楽しそうにおしゃべりしながらこちらに向かって走ってくる。私と目が合うと走りを止め「おばさん、おはようございます!」と挨拶してくれた。走っていたのに急に止まったからか彼らからは白い息が絶えずに出ていた。私も笑顔で「おはよう」と返す。今日も彼らの中にジェホの姿は見当たらなかった。きっと今日も寝坊したのだろう。ボサボサの頭で急いで登校するジェホの姿を想像してクスっと笑った。

 自宅がある回基(フェギ)から清涼里(チョンニャンニ)方面の道路を走っていると「ヨンシルちゃーん」と声をかけられ冷凍車をキッと停める。声の主は、近所に住むクムジャさんだった。
 「ヨンシルちゃん、おはよう。今日も寒いねぇ。ご苦労様。ヤクルト一つくださいな」
 「クムジャさん、いつもありがとうございます。ここで会うなんて珍しいですね」
 「パンを切らしてたんでこの近くにあるパン屋で買ってきたのよ。そうそう、うちの旦那が腰痛めちゃって大変なのよ」
 「あらま。はやく病院に連れて行かないと」
 「大丈夫よ。除雪作業で少し痛めただけだからすぐに治るわ。心配してくれてありがとね」
 じゃあね、とクムジャさんが立ち去った。お大事に、と言ってパンとヤクルトを持ったクムジャさんを見送った。彼女が立ち去った後にはパンの匂いがかすかにする。クムジャさんの姿が見えなくなり、私は再び冷凍車を走らせた。
 昨日の雪の影響で道路の端には雪がまだ残っている。道路も凍っているため出勤の時間帯なのにも関わらず速度を落とす車が多い。私も冷凍車の速度を自然と落とす。いつもより遅いスピードで走っているからか周りの景色をゆっくりと見渡した。あたりは高いビルが密集している。そのビルにはスパ、モーテル、ジム、コンビニがほとんどだ。回基(フェギ)もずいぶん変わった。若い頃は何もない街だったのに。しみじみと思いながら清涼里(チョンニャンニ)に入ると回基(フェギ)よりも人が多くいた。清涼里(チョンニャンニ)は地方に行く列車の停車駅でもあるため住む人が多い。ここだって昔は遊郭街だったのだ。時代は変わっていくものだ。しかも今なんて大型ショッピングモールが入るくらいの高層ビルの建設に着手しているらしい。なのに駅の裏側はまだ遊郭街の残りで違法で営業しているお店があると常連さんから聞いたことがある。私はフッと笑みを浮かべた。この先この国はどうなるんだろう。そして私もどうなっていくんだろう。かすかに不安に思いながら運転を続けて高麗大学の方へ向かった。今日は大学で大規模なイベントがあるから沢山売れるはずだ。片手で小さくガッツポーズをしていると銀髪のおばあさんが頭から血を流して倒れているのが視界に入り慌てて急ブレーキを踏んだ。
 「ちょっと!大丈夫ですか!」
 私はすぐさまおばあさんの横に行き、声をかけた。おばあさんが「ううっ…」と言った。よかった。意識はあるようだ。助けを求めようと周りを見ると、周りには野次馬たちが集まっていた。中からきゃーと悲鳴が上がる。その悲鳴が余計私を焦らせる。私はポケットからスマホを取り出し救急車を呼ぼうとした。だが、寒さのせいか、あるいはひどく動揺しているせいか上手く番号を押せない。どうしよう。どうすればいい?野次馬たちのざわざわが余計に私をパニックにさせる。一体どうすれば!
 「おい、何があったんだ!」
 聞き慣れた声に顔をあげるとそこには近所に住むジェヒョクの姿があった。どうしてここに・・・
 「ジェヒョクさん!どうしてここに?」
 「俺は今日、ここで開かれるイベントの舞台の設営に関わっててよぉ。ここは普段人通り少ねぇのに、なんか大勢集まっているからよ。何だと思って見にきたらお前さんがいたというわけ」
 「私も今日ここで仕事なのに来てみたらっ…ここでっ…人が倒れててっ…私どうすればっ…」
 「わかったから、一応今は救急車だ。俺が呼んでやる。待ってろ」
 そう言ってジェヒョクは黒のiphone を取り出して救急車を呼んだ。ジェヒョクもこの光景を見て明らかに動揺しているはずなのに電話する声がいたって冷静だった。2分後救急車が到着した。ストレッチャーにおばあさんの体を乗せる救急隊員の手つきはとてもスムーズだ。事故ということもあって警察も来ている。当時の状況を詳しく聞かせてください、とパトカーに案内された。私は職場に事情を説明して上司の了解を得た後、重い足でパトカーが停まっている方に歩き出した。パトカーの中はとても暗鬱とした雰囲気だった。
主に警察から聞かれたのは、名前、住所、職業だった。私の職業を知った警察官は過去に事故を起こしたことがあるかなどについても尋ねてきて、私は即座にないと答えた。狭いパトカー内での事情聴取だからか私は早く外の空気を吸いたい。外を見るとジェヒョクも警察官から色々なことを聞かれている様子だった。外で事情聴取が行われているジェヒョクが少し羨ましい。するとジェヒョクを事情聴取している警察官がポケットからスマホを取り出して電話し始めた。「はい。はい。わかりました」とくぐもった声がパトカー内まで聞こえてきた。電話を切った警察官は私たちの方へ早足で向かってくる。そして勢いよくドアを開けてパトカーにいる警官に言った。
 「事故の被害者が意識を取り戻したそうです」
 そう言うと、パトカーの警官も慌てて車内を出た。
 意識を取り戻してくれてよかった。これで私の無罪は証明される。
 安心したのも束の間だった。外で事情を一通り聞き終えたのか、パトカーに再び警官がやってくる。私が座っている扉を乱暴に開けて言った。
「キム・ヨンシル。先ほど被害者のチョン・ジョンスクさんが意識を取り戻したそうだ。。彼女はあなたにはねられたと証言している。よってあなたを殺人未遂の疑いで逮捕する」
警官は冷たく言い放ち、私の腕をぎゅっと掴み手錠をし始めた。ほっとしていた気持ちが一気に奈落の底に落とされた。違う。違う。私じゃない!!!!!そう叫びたかったが動揺しているせいか喉がカラカラに乾いて声も出なかった。私の手元でかちゃりと虚しい音が鳴り、私を乗せたパトカーはサイレンを鳴らし走り始める。すぐにジェヒョクの姿を捉えたが彼は私に目を合わせてくれなかった。



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