見出し画像

60歳になったとたん自立型ケアハウスに自分で入居した母の話

このごろ終活のことばかり考えてます。気分は60代ですが、実はまだ50代半ばと気づいてハッとします。「老後のことは考えてもわからないから楽しいことだけ考えてりゃいいのよ」と同年代の同僚からアドバイス頂戴したりします。

皆さん「楽しい」を具体的に何して発生させてるのでしょうか?
自分は楽しいことが思い浮かばないから未来しか考えないのですかね。

そういえば35歳のとき3万出して自律神経を調べてもらったら副交感神経優位と言われました。セロトニンばっかり出てアドレナリン・ノルアドレナリンがめったに出ないからアン活と無縁なたちです。でもドーパミンもなかなか出ません。ただただライフをハックしてる日々です。というわけでライフの次ステージを気にしてます。

50代半ばは、職業寿命が終わりかけです。WHO的にも10年後に高齢者です。30代までそうでもなかったかもですが、40過ぎたら10年て「あ」ですよね。そして50過ぎたら、途方もなく延々と続く時間の尻尾がやっと見えてきたといいますか。配偶者の親・自分の親・知り合いの親・近隣の高齢者などウォッチしてますし、しっかり備えて万端にしたいです。

というわけで今はホーム的なものに関心がありますが情報少ないですよね。
いまの高齢者はインターネット以前の方々だから利用者のクチコミがない。つきまして自分の記憶と気力があるうちの努めとして、母が住んでるホームについてメモしときます。

※北国市部近郊の保健福祉課が窓口になってる施設の例です
入居条件:60歳以上(健康状態不問・勤労者もOK)
金額:約2万/月(収入・使った光熱費による)一時入居金なし
部屋:トイレ・キッチン付き洋室ワンルーム(廊下は入院病棟風)
風呂:石タイル貼りの明るい男女別中浴場
食事:各自作ったり中食したり外食したり(たしか食堂なし)
支援:トイレとベッドサイドにコールボタン(スタッフルーム常駐2名、ほか警備1名)

あと自立困難になるとケアマネさんがついて介護型ホームへ転居する流れだと思います。それとキャラにもよりますが入居者間の助け合いがわりとある印象。コロナ前までは共同畑を自由に使って園芸ができたり、居室宿泊可だったりしました。

入居者の遠方の身内の立場としては、建物も堅牢で豪雪や地震のとき安心ですし何かあったらすぐ発見されるので、都合をさておいて飛んで行かなきゃならなかったことがなく、すごく助かってます。

そういえば父方の祖母も確か父の定年以前に(折り合いが悪かったので)自分でホームに入り、亡くなった後は自分と兄が片付けました。ワンルームで簡単でした。(祖母は菩提寺に永代供養料?も納め済みと周到で感謝しかありません)

祖母のいたとこは電車が廃線になってる僻地です。やはり役所が窓口の、自立と介護の混合ホームだったように思います。麻雀が流行ってて楽しげでした。祖母は自分の和室で本読んだり日記書いたり、たまにカラオケしたりしてたようです。

自分も、どっちか一人で買い物できないコンディションになりかけたら夫婦可のホームに入りたいと考えてる今です。(断捨離頑張ろう)

母の話にもどりますと、60歳当時は非正規で賃貸一人暮らしでした。そろそろ職業人生終わりで退職金もなく、市内の老親が暮らす戸建てに同居することを考えたようです。しかし「親も年だし自分が面倒みてやろうかしら」くらいの楽観が、感情のもつれでアテ外れに。途方に暮れたところで役所にて現在のホームを知り、運よく入れた感じでした。

当初はメンタル以外は健康で高齢の自覚もなく、自虐的?入居だった気がします。でも母がおばあちゃん子だったのもあり、積極的に本格高齢者を手助けしたりして自己肯定感復帰。以来20年、充実した日々を過ごしてました。

しかしコロナで仕事(シルバーさん)をやめ家庭菜園もなくなり、他の入居者に迷惑をかけないよう感染予防に努めていたら、感じ悪いくらい外部者接触を避ける習慣がついてしまいました。

ホームにはデイケアサービスもあるので催しが様々ありますが、母は若くして入ったせいか「お年寄りがやる幼稚な遊び」と見下し傾向です。

運動科学に興味があるタイプでなく、あれが脳活性や筋力維持を狙った企画なのが腑に落ちてません。あとデイケアは外部人の集まりなので「感染する」と思い込み、近寄りたくなさそうです。

要するにコロナ以降、コミュニケーションやルーティーンが途絶えて引っ込み思案になったのがボディーブローのように効いてきて、認知がガクッと低下しました。「老人性うつ」も潜んでるかもしれません。自分はそこから何か教訓を得ていかなければなりません。以上、本人がこういうのを発見して読む可能性がなくなったので書きました。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?