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著名人への敬称使い分け

最近はテレビを見なくなったというものの、YouTubeやSNSに舞台を変えて相も変わらず有名人・著名人に触れていると思う今日この頃です。

そんな折、自分が著名人に対して敬称をつけたり呼び捨てをしたり、使い分けていることに気づきました。そしてそれにはある程度の法則性があるという事も。

その法則性には6種類が存在していると考えています。

6種類も分類して全てを細かく分析するのは面倒なのでやりませんが、大まかに分類するとあまり知らない・それなりに知っている・よく知っているの3種類敬称・呼び捨ての2種類をそれぞれかけ合わせた結果6種類になっていると思います。

自分がどれだけ知っているかが指標になっているので知識の3種類の境界はあいまいですし、敬称と呼び捨ての使い分けはさらにあいまいで時と場合にも左右されるので分析こそすれ明確に分類できるものではないのかもしれません。

大泉洋を例に挙げて考えてみます(この場合はよく知っている×呼び捨てに分類されるでしょう)。

初め、私は大泉洋のことをよく知らなかったので”大泉洋さん”と呼んでいました。自分より年上であろうこと、あまり知らない人間であることから敬称を使って呼んでいたのです。

その後『水曜どうでしょう』を通じてそれなりに知識のついていた私は”大泉洋”あるいは”大泉”と呼び捨てするようになりました。その変化の過程で一番興味深いと思ったのは敬称と呼び捨てを使い分けていたことです。

あまり親しくない人や自分より目上の人にはその人への尊敬も含めて敬称で語り、友達など歯に衣着せぬ会話の中で登場するときには呼び捨てすることが多かったのです。それはまるで自分の中で”大泉洋”という存在をどのように位置づけるのか、他人との会話という実践の場で試しているようでした。

そして今や大泉洋は私にとってよく知っている存在になったため、敬称と呼び捨てを使い分けることもなく呼び捨てのみに落ち着きました。会話やSNSなどで名前を読んでいく中で呼び捨てで呼ぶのが最も適切だと感じたのです。

これは自分の親をどう呼ぶか(パパ→親父への変遷)や、友達の呼び方の変化(苗字↔名前の変遷)に強くつながると考えています。そのような研究や学問にもつながる考え方なのだと。

何気なく考えていることが何とも学問的になっていく、こうした学びはとても楽しいものだと感じます。

大切なのは学ばされるのではなく、自ら疑問を見つけて学ぼうとする姿勢になること。ですのでどうか人の呼び方に焦点を当てた研究や書籍などおすすめのものがありましたら是非教えてください。

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