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ぶっちゃけ…?

わたしの持っている資格のひとつに博士号があります。大学で研究をしてゲットしたモノ。頑張りました。そして、大学の後にはいった会社でも研究職として働いている。

でもね、でもね…。

ぶっちゃけるとね…。

研究が、好きではありませんでしたー!


これには理由があるので、ちょいと読んでいってくださいませ。

わたしは大学の学生時代と会社員時代に2回のメンタルブレイクをしています。研究そのものが原因ではないけれど、間接的に影響しているんです。

というのも、

研究者として働いていると、どうしようもなく劣等感が刺激されました。

研究を好きじゃなきゃいけない。対象にのめり込まないといけない。解明するのが好きじゃないといけない。

なんてね。
そうあるべき、とまでは思わないけれど、それを当たり前にしている人が、周りに多くいると思っていたんですね。


それに対してわたしは。
周りにいる研究者のように、何かに没頭できないし、進んで挑戦していく意欲もたりない。目の前にある研究対象にのめり込む感覚がなかった。

そう思っていました。
そうして、ずっと劣等感を感じていたんですね。

劣等感を感じながら仕事をしていたから、研究について少しでもマイナスに言及されると、コンプレックスが刺激されてメンタルが崩壊するんですね。

あたたた。

そのまま、本当にノックアウトしていました。辛いです。

わたしには前職での仲の良い友人がいます。その友人たちも研究をしたことがある人たちです。

ときおりLINEで会話をするのですが、そこでの話がおもしろかった。

ひょんなことから「何をモチベーションに仕事をしていたか」を話すことになったんです。

友人1は、原理の解明。ある現象に対して、それはどうして起こるのだろう?と考えるのが楽しいそうです。

友人2は、目標が定まっていると頑張れる。研究も、たとえば研究発表という目標が設定できれば、それに向かう力がわいてくるそうです。

それに対してわたしは、教えたり伝えるのが楽しい。教えるために、研究や過去の内容を調べることができるのだと思います。

研究に対して、三者三様!

友人1のような人を研究者として想像するし、実際にそういう人が多いんだと思います。

それでも「研究」について分解してみると、違うモチベーションを持っているんですよね。驚きですね。

研究者仲間の中にいると、のめり込めない自分に劣等感を、そして皆と違うという違和感を感じていました。でも、モチベーションが違うのだから当然なのです。今ならそう思います。

振り返ってみれば、研究のどこが好きかというと、論文にまとめたり発表することが一番好きだったんです。

注目してもらうことや伝えることが好きで、研究はあくまで手段にすぎなかったのです。なので好きではないですが「嫌い」でもないんですよ。

ちなみに、この「教えることが好きで研究は手段」と気づいたのは、友人たちとの会話からでした。

深いテーマで話してみると、思わぬ発見があるかもしれません。

自分と似たタイプだと思っているあの人も、意外と違うことを考えていたりして、面白いですよね。


なーんて、ここまで書くのに1300文字。文章にすると短いけれど、この結論に達するまで、10年くらいかかりました。2回も研究を経験して、2回ともメンタルブレイクして。違和感について考え続けて、そして誰かと話すことで自分の気持ちに素直になり、ようやく分かったこと。

わたしは研究について色んな記事で言及していますが、すべてコンプレックスの裏返しでした。

ここでひとつの結論をつけたいと思います。
教えるのが好きであって、研究はひとつの手段!


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。また次の話でお会いしましょうー!




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