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第2夜:(「Don't Leave Me」「ヨワネハキ」)
今日の帰り道 23.12.16
小学校の先生がこう言っていた。
「”忙しい”という漢字は、”心を亡くす”と書くのです」。
こういう、「人という字は」みたいなやつは、ちょっとどうかと思うが、しかし、こいつは、どうも印象に残ってしまっている。
「貧乏暇なし」。
金を稼ごうと思うと時間がなくなり、時間がなくなると心がなくなる。
そういうことなのである。
今日も「カスタマーサクセス」という仕事をする社畜は、顧客をサクセスさせるために我が身と心を犠牲にする。
けっこうサクセスさせているつもりでも、顧客からは良いようにこき下ろされてこき使われるのである。
マジで頭脳労働!!
そして何より精神労働!!
まじダウナーですよ。
わし中間管理職ですので。
なんなの?
というぐらいに周囲から押し込まれてキュウキュウである。
上司!
部下!
他部署!
顧客!
プロジェクトゴールまでのロードマップ見えてます?
「補佐的なマネージャー」ってそんな存在あり得ないので、語義矛盾なので、ちゃんとあなたのスタンス明確にしてください。
その全体感で顧客の期待値満たしてると考える根拠あります?パートナーにはしご外されないための追加の打ち手なくて大丈夫です?
契約更新獲得することだけじゃなくて過程のリソースも考慮に入れてください。
その世界に、「根拠」などない。
「胆力」だけがある。
だが、その胆力は、俺にはない。
真実をひとつ言う。
「ある日を境に、人はアサインされる」。
任命なくして役職なし!!
「婚姻なくして配偶者なし」と同じぐらい、法的には真実で、実態的にはあいまいな境目だ。
ある日、俺はマネージャーになった。
それは3年と2ヶ月半前のことだ。
そんで今、心をなくしている。
「やりたいことをやっていない」という自分への嘘の意識が心を削る。
俺のやりたいことというのは、書くことだ。
この3年と2ヶ月半の生活によって、俺の心のズレがどれだけ大きくなったか。
そういうことを書こうと思った。
そうしたら、もう書いてあった。
2年4か月前の下書きが残っていた。
↓以下、2020年8月17日の下書き↓
第二夜:「Don't Leave Me」 B'z_20.08.17
今日も、何を書くかのあても無く、書き始めてみる。
元々、noteを書こうと思った理由は、なんとなくある。
「自分があんなに心を焦がした名曲の数々を、せめてテキストとして残しておきたい。全部忘れてしまう前に。あるいは、全部忘れてしまうために」。
みたいな思いで、「書こう」と思って始めたnoteだ。
だけど、どうも、そういうことじゃないらしい。
問題は、 あんなに心を焦がしていた何かを忘れてしまう ことではないらしい。
問題は、あんなに心を焦がしていた何かとはまるっきり違う今日を生きている ことのようだ。
そして、 そんな今日がいったいどんな今日なのかわからない ことが、問題らしい。
客観的には、 素晴らしい今日 を生きていることはわかっている。
望んだもののすべて を、本当に すべて を手に入れているのが、今日だと言える。
やりがいがあってホワイトな仕事。
ありのままの仕事っぷりを見た上で、俺のことをとても評価してくれている会社。
働き者で家族思いの妻。
すこやかで、お父ちゃんのことが大好きな娘2人。
「今日に何を付け加えたいか?」と質問されても…
何だろう。
たとえば、今日、英語で顧客と商談できる機会があって、俺がその時に英語ペラペラで対応できたらよかったかな。
うん、これ最高だな。
でもこれ、別に全然努力で叶えられるたぐいの要望だから、本気でそう思えばやればいい、たぐいの話だ。
問題は、 そんな今日を生きているのに、心がからっぽなこと だ。
「今ですら最高なのに、もっと良くすることも全然可能って、すごくね?」と、自分で思っていないことだ。
何一つ不自由も不満も無いのに、毎日ただ「死にたい」という心の中のつぶやきだけを噛みしめながら生きている。(本気で「死にたい」と切迫しているわけではなく、ただつぶやくだけ)
この心の軋みと不協和音。
何かを直さないと、このまま無理やり走行していたらいつか歪みが拡大して部品が四散してしまいそうだ。
今夜の名曲:「Don't Leave Me」 B'z
俺が生まれて初めて買った(正確には「買ってもらった」)CDは2枚ある。
1枚が、Mr. Childrenの『BOLERO』。
もう1枚が、B'zの『B'z The Best "Pleasure"』だ。
たしか誕生日プレゼントで、新星堂で買ってもらった。
どちらも売れに売れたアルバムで、当時はこういうモンスターヒットがたくさんあった。
あの頃描いていた、 自分の25年後 って、どういうものだっただろうか。
25年後なんて、 来ない 気がしていた。
一番の実感としては、それだった。
漠然としたイメージとしては、どうだっただろう。
同級生の好きな女の子を思い浮かべて、その女の子と家族を築くことを考えていた。
なんだよ、今の生活、 イメージ通り じゃないか。
つまり、問題は、 そこにたどり着くまでにすごした時間 が 強すぎる ことなんだろうな。
すさまじく可愛い女の子と恋人になったこととか。(自分の恋人を「世界で一番素敵だ」と思わないことなど、あるだろうか)
彼女と別れる なんていう あり得ないこと が起こったこととか。(しかも一度でなく)
それらの経験はすさまじく強烈で。
でも同時に、その強烈さはある意味で 既知の ものだった。
恋人を失った時、「終わった」と思った。
明日からの日々が、 絶対に生きていけない日々 として、そこにあるとしか思えなかった。
付き合っている時は、なんなら「わずらわしい」とすら思っていた、恋人の存在なのに。
でも、その心の痛みを、俺は 知っていた 。
B’zが歌っていたから。
惜しくない 君を失っても
本気で思った
いい気分で坂を転がり
DON'T LEAVE ME だれもいない
僕を許してくれるのは 君以外に
IT'S TOO LATE 信じられない
こんなに胸が痛いのに いつか忘れるなんて
「いつか忘れる」。
B’zはそう言っている。
そんなこと、俺には信じられなかった。
でも「信じられないけど、そうなる」と、B’zは言っている。
たった一人の、世界で一番の恋人 を失ったのに、「いつか忘れる」?
笑止!!!
DON'T LEAVE ME, BABY だれもいない
僕を包んでくれるのは 本当にいないよ
IT'S TOO LATE 君の代わりは
身を切り血を流しても 癒せないPAIN
これほどの致命傷を負って、生き延びられる?
それどころか、忘れる?
笑止!!!
笑止!!!
しかしまぁ現実に、B'zは生き延びてこの歌をつくって歌っている。
俺もなぜだか生き延びて、この文章を書いている。
そんなことは、とても、まるっきり信じられることではなかった。
でも俺は、一方で、どこかで 知っていた と思う。
B'zのみならず、数々の人々が、このような痛みをくぐり抜けて、 なにごともなかったかのような顔をして生きている ことを。
そしてきっと、自分も、そうなのだと。
とても信じられることではないけれど、きっと、そうなのだと。
社内オファーの話
うちの会社は22:00以降は仕事してはいけない(深夜残業代が発生するから)ので、退勤打刻してから、エンジニアの方とおしゃべりしていた。
今目の前でやっているこの仕事は、テクノロジーで何かを変えようとしている仕事だ、と。
そしてそれはきっと、いい方向に変える、と。
日々の仕事に没頭しているとそんなことは忘れてしまうけれど、立場を超えたメンバーとお互いの仕事の話を交換していると、普段忘れているそんなことを
今夜の書斎 23.12.16
というところで、2年4か月前の下書きはこと切れている。
「社内オファーの話」という章立てになっているので、マネージャーの打診を受けたことを書こうとしたと思われる。
それにしても、最後に何やら夢のある話を社内でしているようだが、振り返ってみて、2年4か月前から会社の事業やステージが大きく変わったという気はしない。(「ホワイトな仕事(?!)」)
2年4か月の間、大きなインパクトを社会に与えているわけでもないスタートアップとは?
あるいは、自分が思っている以上に社会にインパクトを与えているのかもしれない。
あるいは、僕らはスタートアップではないのかもしれない。
そのいずれかでないと、説明がつかない。
そして一つの発見は、マネージャーになる前から「心の軋みと不協和音」は、ずっとあったということだ。
2年4か月以上前から、そしてもっと前から、ずっとあった。
もう昨日の記憶もない生活で、そんな前のこと、昨日と区別がつかなくなってしまったが。
妻は、もう子育てには飽き飽きしたそうだ。
今日、23:00ごろ俺は家に帰って、妻が寝るまでの間に15分ほど話す時間があった。
正確には、「子育て」という感覚はもはやあんまりなさそうだ。
「子生かし」という感じか。
毎日毎日お互いの顔を見過ぎて、子供も親もお互いに辟易していると。
仕事が終わって、今から家に帰って家事と「子生かし」をすることを考えると鬱になると。(俺が顧客への包括的な提案や難しい意思決定の社内プレゼンのことを考えると鬱になるのとまったく同じだ)
そういうことを言っていた。
「やりたいことを、やってない」。
お互い、共通するのはその感覚だろうね。
俺の部屋のエアコンと加湿器は好調だよ。
明日、朝起きたら、娘の保育園の「お楽しみ会」に行くよ。
近頃の俺の大好きな歌、「ヨワネハキ」。
ただ、最後に前向きなは、別に言葉入れなくてよかったのかな、と思う。
俺も、妻も、自分で選んでこの生活をやっている。
それなのに、誰かに命令されて、それ以外の選択肢がないかのように生きている。
何かを変えたいなら、変えればいい。
変えることは、できる。
論理的にはね。
ただ、変えたくないのも本心だし、変えられないのも本当だ。
傍からはバカみたいに見えたとしてもね。
そういう人に「生きてみよう」「変えてみよう」という言葉をかけることにはあまり意味がなさそうだね。
ただ、、自分を犠牲者みたいに思うことだけは、やめておいた方が良さそうだとは思うな。
それだけやめとけば、別に小さくまとまった生活の中にも、幸せの種は見つけられるのではないかと思える。
描いた理想像に現実味がないから
近づけないよう生きときます
明日も同じよう過ごしときます
食後にヤクルトを飲んで、寝る。
今の俺は、そういう男だ。
今日のヨロコビ3選
昼・ラーメン屋に入りたいところをグッとこらえてめかぶそばを食すという自制心を発揮したこと
夜・22:00に客先のビルから退去した際、春のような柔らかい風が鼻先をくすぐって気持ちよかったこと
夜・この記事を書けたこと
書く力になります、ありがとうございますmm