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隣の君は笑顔ですか?

滝沢歌舞伎ZERO FINAL お疲れ様でした。
一つの青春が終わる瞬間に立ち会えて幸せです。

私の滝沢歌舞伎は2019年4月の新橋演舞場が最初でした。2018年の暮れにSnowManに出会い、生憎南座のチケットは残っているはずもなく、それでも京都へ足を運んで劇場の外でパンフレットだけ買った記憶があります。
その後も激レアチケットとなってしまって2019年の4月以来劇場では観れていません。あれが最初で最後の現地観劇だったんだな。

それでも大千穐楽のメンバーの気迫に心揺さぶられ、彼らが抱えてきた感情、歌舞伎に全身全霊を捧げてきた想いに共鳴して、気付けばボロボロ泣いてました。


笑顔で歌って踊るスノーマンも大好きなんですが、髪を振り乱して、汗でメイクが崩れるのも厭わず、身体一つで、気力で踊るスノーマンが1番好きです。本気で立ち向かって、本気で泣ける熱さが好きなんです。(よっ生きるスポ根少年漫画!)大人になったら泣けるほど熱くなれるってなかなかないじゃないですか。スノーマンは何歳になっても、アラサーになっても熱いんですよ。それが良い。

その熱さが滝沢歌舞伎で培われてきたんだなと思うと、感謝しかないですよね。数えきれないくらいタッキーに怒られてきて、それでもめげずに、時間はかかったけどデビューして今の売れっ子スノーマンがあるんだよな。タッキー、言わないけどきっとニヤニヤしながら売れてくスノを見てくれてるんだろな。


月と星のディスタンス(Maybe)の意味を考えていました。どうしてそのタイトルにしたんだろう。「Maybe」というタイトルだった頃は、曲の通り「封印していたはずの感情が君によって解放され、溢れていく」様子をラウールが踊っているんだと思っていた。今年は地球と太陽、月の関係、愛についてナレーションがあった後、足に赤いペイントをしたラウールが踊り、月から翔太が見守っていた。一生踊り続ける運命となった童話赤い靴のオマージュにも思えるし、星の上で必死に踊って足を血だらけにしてでも私たち人間は愛を求めてしまうという描写なのか…。ラウールのダンスも、コントロールできない何かに突き動かされて身体が動いてしまってるようにも解釈できるし、アイドルという運命を背負った彼らのことでもあるのかなあ。これはいつか答え合わせしてもらえるのかな?メイキング&インタビュー、待ってます。

ライブビューイングの会場に、小学生くらいの子どもたちが結構いたことが衝撃であり、すごく嬉しかったんですよね。演劇、ミュージカルってやっぱり観劇するのに高いお金払わなきゃいけないし、芸術を楽しむには体力も知識も必要で、子どもたちには難しいだろうなと勝手に思ってしまうけど、ショー形式の滝沢歌舞伎なら考えるな!感じろ!だし子どもたちにも何かしらの感激と気付きを与えられるのかもしれない。私はスノーマンがいろんなジャンルのことに挑戦してくれるおかげで私自身の世界も広がっていくことが本当にありがたいと思っているし、子どもたちにとってもスノーマンがいろんなことに興味を持つきっかけになると良いなあと、思うわけです。アイドルって偉大だなあ。(だからこそ、この舞台の終了が心から惜しいとも思います)

大人になってから、なぜだか子どもにはより広い視野を持ってほしい、たくさんのことを知ってほしいという強い気持ち芽生えてきた。笑



私にとって、あべくんの女方はとてもとても大切な思い出になると思う。前帯の姿、一生忘れないと思う。本当に美しく、儚く、躊躇するように目を伏せては、じっと見つめ返す視線、、、、、、もちろん役の美しさもそうだけど、あべくんが真剣に女方と向き合って進化させてきたことが尊敬に値するし、その姿勢を私も見習いたい。ピュアピュアななべさくカップルと違ってめめあべカップルには死と憂い、悲しみがちらつく。あべくんのことだからちゃんと背景も勉強した上で演じているんだろうし、どんな運命を辿るのか、分かって演っているはず。千穐楽の2人を見ながら、どうか結ばれてほしい。美しく穏やかなこの時間が永遠に続けば良いのに、とめっちゃ泣いた。
あべ太夫は私の中で永遠に生きるよ。



ひかるが言っていた、「二度と来ない今を楽しもう」がきっと滝沢歌舞伎の歴史に一貫して通ずる本質なのかもしれない。全ての瞬間がもう二度と訪れないかけがえのない1秒。その積み重ねなんだな。だから私も、後悔しない選択をしていきたいな。

滝沢歌舞伎は終わってしまったけど、いつでも全力で静かに闘志を燃やす熱々なスノーマンでいてほしい。そんな彼らに共感して、共鳴して、私は生かされてるから。
卒業おめでとう。これからのスノーマンが行く道が明るくありますように。


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