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旧友に会う

3年ぶりに郷里で友達に会った。

小1から仲の良かったOさん。
小4のとき以外は同じクラスだった。

父の転勤で、わたしは中1、中2と他所で過ごしたが、中3で戻って来て、また同じクラスになった。


二人とも運動が苦手で、口数が少なく、活発なタイプではなかったが、
本が好きという共通点があった。
目立たない、不器用でパッとしない子どもたちだった。

帰り道も一緒で、放課後もいつも一緒。お互いの眼科、歯科の通院にも付き添っていた。


当時、広島に児童図書館というのがあった。

昭和27年の開館で、
丹下健三氏設計の、円形でガラス張りのモダンな建物だった。

改めて調べてみると、この図書館は、原爆によって市内の図書館が壊滅したことで、アメリカに住む日系人など善意の寄附によって建設されたものだと知った。

この図書館のことは、確か小学校の国語の教科書にも載っていたような気がする。


小学校時代、わたしたちは毎週決まって路面電車に乗って、児童図書館に通った。
電車賃とお小遣いを貰って、図書館で本を借りると、平和公園内にあるレストハウスに寄って、アイスクリームを食べるのが楽しみだった。


高校は別々になり、その後わたしは上京したので、ブランクはあったけれど、互いの実家が近所なので、帰省時にはよく会っていた。


彼女は子どもの時から、邪な心が1%もない人だった。


そんな彼女に神様は試練を与えた。

子どもは2人とも障がいがあった。
上の子は30を過ぎている。
下の子は10才年が離れていたから、
もうとっくに成人になっているはずだ。

周りの大人を心配させるほど、
大人しかった彼女が、
子どもの学校の役員を務めたり、
ボランティアの人たちと広く付き合ったり、随分積極的になったなと感じた。
逞しい母になっていた。

いや、単純に逞しいというのとはちょっと違う。
いつも自然に、気張らず、爽やかに現実を受け止めている。


60を過ぎても昔のまま。
容貌も不思議なほど若々しい。
きっとわたしの何倍も辛酸をなめていると想像するけれど、いつまでも無垢な感じがする。

コロナの自粛で長いこと会えず、帰省時に道ですれ違っても、挨拶を交わす程度だった。

この度、ゴールデンウィークに久々に
会うことになった。

いつもは近くのショッピングモールのスタバか倉式珈琲店だけど、連休はきっと混むからという彼女のアドバイスにより、今回は住宅街のサイゼリアにした。

これが大正解で、
広い店内は、お客も疎ら。
ティラミスとプリンのセットにドリンクバーで3時間近く居座ってしまった。

あっという間に時間は過ぎた。


彼女は子どものことでは、決して弱音を吐かないけれど、お互いの胸の内を吐き出して、いつも共感し合える。

老親や子どもこと。
ちょっと問題のある親族のことや
普通の世間話や昔話。

何の気取りも気負いもない。


幸せそうに見えても
どんな人間も悩みを抱えている。

頼りなかったわたしたちも
それなりに一人前になった。

人生後半は、それぞれ環境は違ったけれど、お互いちょっとダメだった子ども時代を共有して、今がある。


これから先も、この人とは
生涯の友として付き合っていけるだろうと改めて思った。