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母の頭の中

父が脳梗塞で倒れ、治療とリハビリで
数か月間入院しました。
そろそろ退院という時に、進行した大腸癌が2つ見つかりました。

わたしは実家と自宅を行ったり来たり。

父の入院中、一人暮らしになった母は、杖をついて父のお見舞いに行くのが日課だったのですが、心身共に一気に衰えてしまいました。

父の入院先の看護師長の男性に

お母さん、一人暮らし、もう無理なんじゃないですか?

と言われました。

母の認知症はひどくなっていました。

自宅の屋根の修繕費を何度も払おうとしたり、いろいろあって
隣に住む叔父も心配していました。


同時に、ひどい腰痛を訴えるようになり、痛い痛いと声をあげて起きられなくなることもありました。

異常に痛がるので、一緒にあちこちの病院で診てもらい、紹介状を書いてもらって県立病院にも行きました。
行く先々でレントゲンを撮られました。

年相応の軟骨すり減りですねと言われ、認知症からきているのではないかと、通常の脳検査の他に、脳の血流の検査までしました。

認知症は進んでいるけれど、脳の萎縮は見られませんと言われました。


父のほうは、癌の手術を拒否したので退院しなければなりません。

コロナの中で、孫2人の出産も迫っていました。
いつまでも実家にいるわけにもいかない。


困った困った

で、考えたのが2人一緒に受け入れてくれる施設を探すこと。

実家の近所に、サービス付高齢者住宅という施設を見つけ、飛び込みで部屋を見せてもらい、費用等の説明を聞き、即決しました。

2人部屋が空くまでひと月あったのですが、この施設併設の病院に、頼み込んで何とか入院させてもらえることに。

両親はこの施設で1年間お世話になり、父はここで看取っていただきました。

父が危ないというときには、
PCR検査を受けてから、わたしも同じ部屋に泊まり込んで看病しました。
お正月も3人で迎えることができました。(昨年のことです。)


母は自分がなぜ施設に入ったのか、
自宅はどうなっているのか、
どうして自分は一人で暮らせないのかなど繰り返し質問しました。


 それはね、、、

と父が脳梗塞で倒れたところから説明しました。

ある時、いつものように

 それでね、二人をここに入れて、、

と言ったとき、母が反応しました。
わたしも、しまった!と思いました。

これこれこういう事情で
お父さんお母さんには
ここに入ってもらったのよ、
といつもなら経緯を説明するのですが、

うっかり入れてと言ってしまいました。

いつも感謝してくれて、文句を言うような人ではないのですが、
明らかにムッとしたのがわかりました。

今でもそうですが、わたしがちょっとした言い間違いでもしようものなら、その場ですぐに訂正してくるのです。

どっちがボケているのかわかりません。

認知症の人の頭の中はどうなっているのか。

まったく油断ができません。

腰痛は、今も歩くと痛むのですが、生活に支障がないレベルにまで収まりました。
やはり心理的なものが原因だったのかなと思います。