3月11日
あの日、あの時間、
わたしと娘は東海道新幹線に乗って広島に向かっていた。
翌日、夫の父の一周忌の法要が広島である。
夫と息子は法事の当日に来ることになっていた。
3月11日は確か15時台に広島に到着した。
駅が騒然としていて、待合室に人が溢れていた。
駅のアナウンスで、東海道山陽新幹線が止まったことを知った。
わたしたちの乗っていた新幹線はぎりぎり到着したけれど、後便は運休になってしまった。
わたしの実家に向かうためにタクシーに乗ったら、運転手さんが、地震で大変なことになってるよ。
東京も火事らしい、と自動車のテレビで見た情報を教えてくれた。
実家に着くや否や、テレビをつけて、愕然とした。
津波の映像が流れていた。
東京にいる夫とはなかなか連絡が取れなかった。
結局未明に動き出した地下鉄でなんとか横浜の自宅に帰ることができた。
息子は会社の営業所研修でたまたま横浜市内にいたので、営業所の人に車で自宅まで送ってもらうことができた。
その夜、町内の一部が停電になり、懐中電灯を探し出して何とか一夜を過ごしたという。
未明に帰宅した夫と息子が連れ立って最寄り駅まで行ってみたら、タクシーが一台停まっていた。
そのタクシーに乗り込んで、新横浜まで行った。
その日は東海道山陽新幹線は運行していた。
二人は無事に広島に到着して、一周忌の法要は滞りなく執り行われた。
京都からは夫の兄と甥二人も来ていた。
みんなで昼食を終えて、夫の実家でテレビを観ていた。
福島第一原子力発電所の原子炉建屋で水素爆発が起こったというのを実況していた。
わたしたちは何が起こったかも分からず、呆然として言葉もなかった。
その時は、何か途轍もなく恐ろしいことが起こったということしかわからなかった。