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ピス田助手と鋼鉄の花嫁 17

17.「賢いハンス」号に乗って


考えてみれば、これまで3万字ちかく筆を費やしてはきたものの、現時点ではっきりしたのはアンジェリカが自分の意志で出ていったということだけだ。わたしとしてももうすこし進展するかと他人事みたいに期待していたのだが、こうなるとぐうの音もでない。とっとと帰ってしまえばよかったのに、うっかり長居をしたせいで余計な引き金を引いてしまった。何がいけなかったのかといえばわたしが博士の電話を無視したからであり、なぜ無視したかといえばそれはこの世のものともおもえない神秘的な生ハムのせいであり、なぜ火急の事態にのんびり生ハムをつまんでいたかといえばそれはスナークが身代わりとして置いていったからだ。したがってわたしたち4人と1羽が屋敷を後にしなくてはならなくなった責任のすべては、スナークにある。ハムの殺人的なおいしさを差し引いても、ぜんぶスナークがわるい。ひょっとするとちがうかもしれないが、非難の的をひとつに絞ると団結がしやすいし考えもまとまりやすいので、そういうことにしておきたい。

コンキスタドーレス夫人が去り際にのこしていったせりふを思い出していただこう。「考えてみる必要があるのは、なぜスナークがイゴールも知らないアンジェリカの留守を知っていたのか、という点です」と夫人は言っていた。このことはたしかに、向き合い直す価値がある。留守かどうかもわからないままアンジェリカの部屋に忍び込むとしたらそれは死を覚悟する必要があるだろうし、実際ちょっと考えづらい。やはり知っていたと考えるほうが自然だとわたしもおもう。

とすれば問題はここからだ。アンジェリカにさえ手に負えないスナークをつかまえて問いただすなんてことが、果たして物理的に可能なんだろうか?

「しかし馬なし馬車(Horseless Carriage)とは恐れ入る」わたしは屋敷の上空でつづくドンパチを遠目に振り返りながら言った。「Googleの無人自動車にナンバープレートが発行される時代だぞ」
「『賢いハンス』号です」とイゴールはかろやかな手つきでハンドルを捌きながら言った。「慣れればそれなりに快適でございますよ」
「ブッチが乗るには小さすぎるんじゃないかな」
「2人乗りを改良したものですが、うまく乗りこめたのは幸いでした」
「屋根を取っぱらって後部座席にねじこむのが精一杯だ」
「みふゆさまには却って安全なのでは?」
わたしはみふゆに顔を向けた。「ブッチの膝の乗り心地はどう?」
「たのしいです」
「そりゃ何よりだ。頑丈な車でよかったよ」
「わっしとしては服を所望したいところですな」とブッチがおそるおそる申告した。「何しろ世間体ってものがありますからね」
「たしかにパンツ一丁の男が少女をひざに乗せている構図は、問答無用で法的にアウトな気がするな」
「いや、べつにわっしはかまわないんですよ」とブッチは言った。「さむくもないしね。ただ、嬢ちゃんが何だか気の毒におもわれるじゃありませんか」
「むむ。そりゃたしかにそうだ。お巡りさんに咎められてもつまらないし、服か。困ったな」
そこでふと、みふゆが思いついたように提案した。「フォーエバー21はどうですか」
「フォーエバー21?」
「テレビでみたのです。安くてかわいいのがいっぱいあります」
「呉服屋なの?」
「アメリカのファストファッションチェーンです」とイゴールが助け舟をだしてくれたが、日本語が助詞と助動詞だけだったのであまり助けにはならなかった。
「みふゆの服もそれってこと?」
「これはちがいます。みふゆも行ったことはないのです」
「ふむ。行ってみてもいいけど、サイズがあるかな」
「アメリカってのはいちいちスケールのデカい国だと、わっしも聞いたことがありますよ」
するとイゴールが戸惑いの表情で進言した。「サイズ以前の問題かもしれません」
「ブッチの家に寄ればそれで済むような気もするけど……あ、そうだ」
「それがまァ、いちばん手っ取り早いかもしれませんな」
「おもいだした。ブッチに訊こうとおもってたんだ」


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