ピス田助手と鋼鉄の花嫁 18
18. 肉屋の息子からの奇妙な伝言
「何をです」
「あの生ハムを注文したのは誰なんだ?」
「誰って」とブッチは意外そうな顔をして答えた。「旦那でしょうが?わっしがお屋敷に伺ったのはそれでですよ」
「いや、言い方がわるかった。屋敷でわたしがハムを買うって言ったのをおぼえてるだろう?」
「はァ」とブッチは釈然としないような顔をした。「仰いましたな、たしかに。しかしあれはすでにお支払いが済んでるもんですから、実際のところそれ以上いただくわけにはまいりませんですよ」
「それを訊きたかったんだ。支払ったのは誰なのか?」
「だから旦那が、いやちがった、こちらのお屋敷ですよ」
「それが屋敷じゃないんだよ。誰か別の人物なんだ」
「何だか判然としませんな」ブッチは相変わらず要領を得ない様子だった。「注文を受けるのはせがれの仕事ですから、その点わっしには何とも言えません。それをお尋ねってことなら、聞いてみてもようがすがね」
「詩人の息子か!」
「なるほど」とイゴールは納得したようにうなずいた。「スナークの居所がわかるかもしれないということですね」
「スナークってのはどちらさんです?」
「そうか、ブッチは知らないんだな。ハムを注文したのは十中八九そいつなんだ。居所がわかれば、アンジェリカのことが何かわかるかもしれない」
「アンジェリカというのは?」
「屋敷の主人だよ!アイスノンのことで交渉したがってたのはどこの誰だ」
「やァ、そうでしたな!わっしにとっちゃそれが大事です。すっかり失念してました」と言ってブッチはどこからか携帯電話を取り出した。「そういうことなら今電話してみましょう」
「パンツ一丁なのにどこから出したんだ?」とわたしはびっくりして言った。
「図体がデカいと収納に融通がきくもんです」とブッチは事も無げに言った。「もしもし」
「わたしも博士に連絡しないとマズいだろうな」
「スナークですが」とイゴールは言った。「本当に捕獲できるとお考えですか」
「捕獲どころか」とわたしはためいきまじりに答えた。「会えるかどうかもあやしいとおもうよ。でも今のところ手がかりといったらそれくらいしかないし、それにコンキスタドーレス夫人の言ったことを考えてて、ちょっと気がついたこともある」
「と言いますと?」
「もしスナークがアンジェリカの留守を知っていたのだとしたら、それを教えたやつがいるはずなんだ。新聞の三行広告に載ってたりネットに晒されたりしてたわけじゃないとすればね」
「なるほど」
「ブッチの息子がそこまで訳知りとはおもわないけど、次につながる糸口はもってるかもしれない。たとえ糸くずだとしても今はそれを手繰ってみる他ないさ」
「仰るとおりです」
「そしてもし教えたやつがいるのだとしたら」と言ってわたしはここで言葉を切った。「うーん」
「何でございましょう?」
「少なくともアンジェリカの向こうに誰かがいる」
「誰か……」
「おまけにそれはロマンチックな夜を過ごすのにぴったりの相手とは、お世辞にも言えない人物だとおもう」
「なぜです?」
「デートに鎌は必要ないもの」
「これは失礼」
「それにイゴール以上にアンジェリカの行動を把握する誰かがいるとしたら、それはもうそれだけで十分に詮議ものじゃないか」
「お嬢さまに危害が及ぶかもしれないと?」
「いや、さっきも話したけど武器を手にしたアンジェリカにかぎって、それは絶対ない……」ここまで考えて、わたしは絶句した。すでにわかっていた事実をただ並べ直していただけなのに、急にそれまでとはちがった景色が見えたようにおもえたからだった。
「どうかなさいましたか」
「いや、何でもない。これ以上はやめとこう」とわたしは言った。「ただ、やっぱり博士には早いとこ電話をしたほうがよさそうな気がするな」
「これからどちらへ向かわれますか」
「せがれの話がどうあれ、どのみちブッチの服は取りに帰らないといけないんだ。肉屋に行こう」
「承知いたしました」
「場所は?」
「存じております。たしか極楽鳥駅にほど近い商店街にあったかと」
ブッチはみっちりと詰め込まれた後部座席で首をかしげたり眉間にしわを寄せたりしながら、電話の向こうにいるらしい息子と話をつづけていた。みふゆがその膝にちょこんと乗って、アイスノンをやさしく撫でている。不可解にして違法スレスレの光景ではあったが、ふしぎとそれなりに絵になるようなところもあった。わたしは通話の切れ目を見計らってブッチに声をかけた。
「どうだって?」
「帰って来ないほうがよさそうだって言ってますがね」ブッチは電話を切ると言った。「どうします」
「じぶんの家なのに、ぞんざいだな。注文のほうは?」
「いや、それも訊きましたがね、どうも……」
「親子の情はあんまりこじらせないほうがいいぜ」
「ごにょごにょ言っててわっしにもよくわからんのです。何だか客人が待ってるそうで」
わたしはブッチがときどき客と諍いを起こす話を思い出した。「気の合わない客が来てるってこと?」
「いや、わっしじゃありません」とブッチは首を振った。「用があるのはどうも旦那方のようですよ」
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