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散歩の途中 11

 青魚のなかでも一番は鯖なのである。和泉さんが言うには、鯖の背にある青い縞模様がそのままの全身に浮かび上がるのだという。
 鯖てんかん、なのだという。鯖アレルギー。青魚のうちでも、鯵でもサンマでも鰯でもなく鯖なのである。和泉さんはそれでも鯖が店頭に並ぶ梅雨ころになると決まって、鯖を注文し、背中から腹まで縞模様にして二晩ほどかゆい、かゆいといってのた打ち回り、仕事を休むのである。
 そのころ、ボクは高円寺の駅近くの雑居ビルの一室で進学塾チェーンの通信添削のアルバイトをしていた。和泉さんは、添削チームのリーダー。全国から送られてくる受験生の答案とレポートを採点し、講評を書き込むとリーダーの和泉さんがチェックし、返送する。
 「頑張れ!あと一息」「この勢いでラストスパート」こんな決まり文句を百回ほど書き込むと一日の仕事の終わりである。
 「ちょっと寄って行きますか」。路地裏の魚津がお決まりの店で二時間ほど潰してお互い国電で三つ先の駅に帰る。
 その夜も、魚津の鯖である。和泉さんは鯖と聞いて、背をぶるっと震わせるようにして「いいねえ。鯖いきますか」。「僕はいいけど、大丈夫ですか?」「だって好きなんだもん」
 鯖の青い背中を見ただけで、ぞくぞくってするの、と言いながら「刺し身でもいける」という大将の声に頷いた。
 生ビールから、酒は富山の吟醸冷や酒に変えた。生姜醤油で大ぶりの切り身を二人で食った。冷や酒を二人で三合ずつ飲んだ。和泉さんは、そろそろこの仕事も厭きたな、と言ったあと「そろそろ君もちゃんとした仕事を探しなさい」とお決まりの文句でしめた。
 ホームで電車を待つ間、和泉さんは「もうそろそろ来たよ」とノースリーブの白い腕をぽりぽりし始めた。「今夜あたり、全身が鯖みたいよ」とけらけらと笑った。


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