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50歳超えてるよ。だからこそ、幸せに生きるために挑戦を楽しむ

50代だからこそ、楽しむ。
一人でも。
みんなとも。

40歳になるとき、10歳年上の先輩が、
言った言葉がずっと頭を離れなかった。

「40代は本当に楽しいよ」

30代から40代へ。
家族がいて、転職をして、営業から総務に異動した頃。
「初老」という言葉に引きずられるように、
40代の自分には不安しかなかった。
今思えば、その入り口の不安は、
50歳になるまで、消えることはなかった。

「40代は本当に楽しいよ」は、
僕には到底無縁のものだった。

未だに謎の人事異動

営業から総務系部署に異動になった。
複雑な感情が交錯して、部長から内示を言い渡された日は、
一睡もできなかったのを今も覚えている。

転職して2年で、畑違いの初めての部署への異動。
実は、その当時、なぜ僕が異動になったのかは、
未だに謎と社内では言われている。

上司との関係は良好だったし、成果も上げていた。
突然の辞令には、当時の上司も動揺し、
担当役員に詰め寄ったという。

人事、労務、経理、総務……
中小企業の総務系スタッフは、
あらゆることをこなさなければならない。
部長と自分のたった二人で。

労務系、特に病気療養の社員と、
懲戒になった社員の休職時のケアは苦しかった。

年収100万円減っても、そういうものか……

毎月全社員の給与計算もしていた。
当然のことながら、誰がどのくらいの収入なのか、
わかった。

年末調整で気づいたのは、自分の収入が、
年収ベースで100万円近く減っているってこと。

当時の社長の見解は、
「異動によって増減するのは仕方ない。
規定に則ってすればいい。個々の特例は認めない」

当時、僕に総務の仕事をゼロから教えてくれた先輩が、
社長に直訴してくれたことを知ったのは、異動から数年後だった。

振り返ると、この時から「お金の不安」に取り憑かれ始めた。
生活費、まだ小さかった子どもたちの幼稚園代やミルク代など、
25日に給与が振り込まれるたびに、1カ月が不安だった。
異動の直前にマンションを購入していて、
ローン返済も当初の計画とはかなり変わってしまった。
預貯金を切り崩しながら、ギリギリの生活が続いた。

今なら、100万円も減ってしまう仕事なんて辞めて、
異動を希望するか、転職先などを必死で探す選択をするだろうけど。

お金が要る。だから、副業を始めた。

生活のため、とにかくお金が必要だった。
妻から、子どものためにと家族旅行をせがまれても、
何だかんだ理由をつけて一度も行ったことがなかった。
思い出の大切さはわかっていたけれど、
ない袖は触れなかった。

「お金がない」

妻にも、親にも、友人、仲の良い同僚にも、
誰にも言えなかった。
ずっと一人で抱えていた。
苦しかった。

だから、副業を始めた。
手っ取り早くお金が得られると安易な発想から。
友人から借りた「クビでも年収1億円」(小玉歩さん)を
何度も何度も読んで、書いてあることをカジった。
家の不用品販売、本や家電などの転売、アフィリエイトなど
稼げそうな案件に飛び込み、教材を買い漁った。
30万円の高額塾にも入った。

結果、教材購入や仕入れに数百万円使い、
収益どころか、借金が増えていった。
お金に囚われ、お金にしくじった40代

転売のための仕入れや早く稼ぐために購入した教材費。
毎月の固定費の支払いだけでたいへんだった中、
カードの支払いが増え、足らなくなってしまった。

初めて、銀行のカードローンに手を出した

「今月だけ。来月返すから、最初で最後」

住宅ローンを借りていたからか、
何の手続きもなくATMでさらっと引き出せた。
誰に知られることなく。

「今月だけ。最初で最後」は嘘になる。
人間って本当に言い訳の天才。
始めのうちは計画的に借りて返していたが、
段々と借りる抵抗感は薄れていった。

「あそこであと何円引き出せる」

そんな感覚になっていた。
これって、大谷翔平選手の通訳だった
水原一平さんが陥ったギャンブル依存症に似てると
ニュースを見ながら感じていた。

そこからは、お金の管理がまったくできなくなって、
分割払い、リボ払い、キャッシングと
次から次に借金は膨らんでいった。

お金に囚われすぎた結末。
会社に行って仕事をしていても、
どうやって返済すればいいんだってことばかり考えていた。

40代の試練はお金だけじゃなかった

お金に余裕がなく、子どもにサミシイ思いをさせたくないと、
妻はパートをしていた。

子どもが小学校高学年になった頃、
契約社員で仕事を始めた。
働き始めて3カ月後、仕事帰りに妻は交通事故に遭う。
脳挫傷、頭蓋骨骨折、くも膜下出血、肺挫傷…
目の前に横たわる妻のこととは思えないような、
自分に向けられた医師の説明に頭は回らず、

「妻は大丈夫なんですか」

それしか聞けなかった。
そんな大きな事故に遭ったにもかかわらず、
妻は後遺症を抱えながらも、きょうも生きてくれている。

もう少しだけ、お金があって、生活に余裕があれば、
妻はパートに行かなくて済んだかもしれないし、
残業なんてしなかったかもしれない。
事故になんて遭わなかったのに。
今も、後悔が残る。

40代の試練はまだ続く

人事異動により上司である部長が変わった。
その上司と合わなかった。
管理職になったばかりの部長なので、
ベテランの僕は、下支えをするように、
前の部長から伝えられていた。

「もちろんです。新部長が力を発揮できるように、
補佐をします」

それから3年、僕は異動の希望を部長に伝える。
他部署のミスをことごとく、僕のチームのミスに
すり替える部長の対応に我慢しきれずに、
「お言葉ですが…」と言ってしまってから、
部長の態度は明らかに変わった。

僕にも、チームメンバーにも、
それまで以上に厳しく、キツく当たるようになった。
小さなミスを大きな事故のように上に報告して、
チーム全員の評価が下がっていった。

部長のやり方は間違っていると何度も訴えてみたけれど、
根負けしたのは、僕だった。

そんな時にVoicyで出会ったのが、鴨頭嘉人さん、MBさん、
そしていれぶんさんでした。

皆さんの発信に触れ、考え方を学んだ。

「正しさより、優しさを」
「マイナスになる人からは離れなさい」
「自分軸で生きる」
「挑戦することに遠慮は要らない」
「年齢なんて関係ない」

そんなメッセージを浴びているうちに、
異動を希望する勇気が沸き、2023年年末に部長に伝えた。
そして2024年3月、他部署へ異動した。

50代だからこそ、新しいことだってやってみる

新しい部署の仕事は、はっきり言ってたいへんだった。

「これをコピペして」

指導係から指示を受けて、
右クリックして、コピーを選んで、
左クリックで貼り付ける。

「ショートカット使わないんですか」

パソコンのショートカットを当たり前に駆使して、
業務を次から次に判断し、処理することを求められる。
時間との勝負。

50歳を超えて、新しい仕事はたいへんだ。
でも、新しいことができるようになることを楽しめる。
自分が成長していることが、実感できる。
新社会人だった頃の不安だけど、
毎日できることが増えることの喜びを感じている。
人間関係のストレスなんてまったくない。

50歳を超えたんだから大人しくする。
そんなこと、僕の未来にはない。
50歳だからこそ、新しいことにも挑戦する。
失敗したって、経験になる。

だから、Challenge like a baby
赤ちゃんのように挑戦する。

50年も生きてきたんだよ、
もう自分で決めたっていいんじゃない?
幸せに生きるかどうかは、僕が決める。


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