いい「感想」なんて出てこない。だから「事実」に代弁してもらう
ボクは感情の語彙がびっくりするほど少ない。
もちろん何かに感動することはよくあるが、それを言葉で表そうとするととたんに詰まる。自分の感想をどう表現していいかわからない。
ゆえに、何かに感動しても「めっちゃすごい」「よかった」「おもしろかった」「最高」など、小学2年生レベルの感想しか言えなくなる。ボクはこれにコンプレックスを感じている。
以前、EQ(こころの知能指数)の専門家の方から「キミは感情の語彙が少ないから純文学小説とか読むといいよ」と言われた。
で、実際に読んでみた。2分で飽きた。
感情に慣れてない人間が、急に良質すぎる感情に触れても、まったく理解できずにポカンとするだけだった。
◆そもそも感想なんてないことも
何かを読んで、知り、学ぶ。これは分かりやすいフローだ。
しかし、ボクはその後にこれといった感想を持たないことも多い。感情表現をする前に、そもそも感想がないのだ。
それはなぜかと聞かれたら困るのだが……知見のインプットに集中しすぎて、その前後の感情が欠落しているのかもしれない。
感想がないものに、感想なんていえない。
けれど編集者という職業柄、何かしらの感想・感情を文に載せなきゃいけないケースは多い。
この部分でボクは、いつも頭を悩ませる。
◆事実に感情を代弁してもらう
そう言えば今日、こんな記事がTwitterトレンドに上っていた。
安倍首相が星野源との動画“コラボ”投稿に批判リプライが殺到「何様のつもり?」
ニュース記事は基本的に「事実」が最優先。そこに記者の感情や考え方が載ると、報道としての価値を損ねる恐れがある。
しかしこの記事、パッと見でめちゃめちゃな感情が渦巻いているように思われる。
「批判リプライが殺到」「何様のつもり?」などのワードがそれを掻き立てているだろう。
しかし、これは記者の感想ではない。ただの事実だ。
事実1:コラボ動画に批判リプライが殺到した。
事実2:「何様のつもり?」というリプライがあった。
感情強めのタイトルだが、ただ事実をベースに書いているだけの記事だ。
この記事の是非はいったん置いておくとして、感想を代弁するような事実を載せるのはアリだ。
ボクもこの手法はよく使う。
いくら感想を述べるのが苦手なボクでも「そう!これが言いたかったの!」という事実に出会うことは、よくある。
たとえばこの記事。手前味噌だが、これはボクが書いたものでわりとバズったやつだ。
「これまでの年号(元号)250個ぜんぶ振り返ってみた」
このタイトル、とくに感情的な要素は一切入っていない。
しかしこのタイトルを見た人は、
「250個全部振り返ったの!?やべぇ」
「どんだけ時間かかったんだ……」
「圧がすごい」
といった驚きの感想を抱くだろう。
「250個の年号を振り返った」という事実に、自分の努力を代弁してもらったのだ。
◆大切なのは「感情を想起させる要素」の存在
以前、とある編集者さんが「タイトルには事実と感想を入れよう」とおっしゃっていた。
しかしボクは感想を必須要件だと思っていない。大切なのは、「感情を想起させる要素」が入っているかだ。
それが直接的な「感情」なのか、間接的に感情を想起させる「事実」なのか。そのアプローチが違うだけだ。
「感想」を言うのが苦手な人は、感情を想起させる「事実」に代弁してもらうのもアリなんじゃないかな。
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