ボクはいつ、どこで、だれを傷つけているか分からない
酔った勢いで書く。
『100日後に死ぬワニ』が、ついに100日目を迎えた。(※下に100日目のツイートを載せますのでまだ見ていない人は注意)
終わってしまった。かなしい。
100日間、日本国民がここまで同じコンテンツを見続けて、共有し続けて、最後を迎えたものはなかったんじゃないだろうか。
ワニくんは架空の存在ではあるけれど、ワニくんはボクらの生活に確かに存在し、みんなが100日後にどうなるか、気にし続けていた。
そしてついに100日目を迎えてしまった。
その終わり方に対して賛否はあるものの、ボクは綺麗な終わり方だったかなと思う。
うまく言語化できないけれど、純文学的だなあ、と。(この表現が合っているかは分からない)
で、ボクもここまで100日間追い続けてきた一人だ。
せっかくだし、ワニくんのことを追悼しようと、遺影をイラストを上げた。(※ツイートは削除済み)
そして問題は起こった。
引用RTなどで、批判されてしまったのだ。
「ワニの死に便乗してバズろうとするな」
「ワニの死をネタにするな。悲しい」
「みんなが悲しんでるのにそれはない」
(※表現はすこしだけ変えてます)
ごめん。ほんとうにごめん。
たしかに100日目のツイートが上がったとほぼ同時にUPしたし、そこそこ伸びるんじゃないかなという期待もなかったわけではない。
だけど、そこまで周りの人を傷つけてしまうとは思ってなかったんだ……。
確かにファンの多い連載だったし、ワニくんが最期を迎えたことで本気で悲しんだ人も多いと思う。
そこにこのイラストは、軽率だったのかな。
◆ボクはひとの気持ちが分からない
ワニくん遺影の件もしかり、ボクは他人の気持ちを察せないときがある。
どんなところで喜び、楽しみ、傷つき、感動し、絶望し……よくわからないのだ。本当に。
ツイートするときに、「このツイートで傷つく人はいないか?」はもちろん考えるようにはしてるけど、たまにどこかで抜け落ちることがある。
もちろん、ボクも人並みに傷つくし、悲しむ。
だけど他人のこととなると、察せないことが多い。
ボクはいつ、どこで、だれを傷つけているか分からない。
「傷つけてしまうのは仕方ないことだ」「全員に気を遣ってなんていられない」と自分に言い聞かせ、今日もまた何かをつぶやく。
けれど……もしかしたらこのnoteだって、ボクのおよび知らないところで誰かを傷つけていることだってある。
そしてボクは、傷つけてしまったことにめちゃめちゃ落ち込む。こう見えて豆腐メンタルなので。
◆”動じる心”も大切にしたい
メンタルがボロボロになるくらいなら、人を傷つけても動じない心が欲しい。そう思うこともある。
しかし、それでいいのだろうか。もし仮に、何事にも動じない心があったとしたら、それは果たして人間的といえるのだろうか。
動じるから人間だし、悩み葛藤し戸惑い憤るから人間なのではないだろうか。
いや、しらんけど。そもそも人間的なことが良いことなのかどうかは分からんけど。
ともかく、今回みたいに批判されて、ヘコんだ自分の気持ちは、大切にすべきなんじゃないかなあと。
他人の気持ちを理解するためには、まず自分の感情に向き合ったほうがいいかなあと。
自分の感情と向き合えば、いつか他人のことも少しだけ理解できる日がくるかなって。
何の話だこれ。
今日は飲むぞ〜!
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