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きっかけ

人生には何かと関わる「きっかけ」ってものがある。必ず何か一種類には決まっておらず、人それぞれに違って当たり前なのだ。

自分の場合、音楽・文章・サッカーに大別されるだろう。それらは今に於いても自分を構成する重要な趣味と言っても良い。だからここでは、特にこの三つの要素に関して触れておきたい。

なお、ここにはが入っていないが、そもそも人についてはパーソナルなことでもあるし、いろいろ事情が分かれるので、ここでは積極的には触れないことにする。

せいぜい、人についてはこのぐらいが話せる程度だ。それでご勘弁願えれば幸いだ。

ということで、音楽・文章・サッカーについて話し、それらを踏まえてこれからについて考えてみたい。

音楽

中学時代に遡る。文化祭でバンドみたいなことをした。田舎の中学校なのだから、バンドもクソもやることはもっと子供じみており、いわゆる軽音楽的なものではなかったと記憶しているが・・・。
そこで歌を歌ってくれと頼まれた。当時、生徒会でそういうバンドを企図したのだが、そこでリーダー的なことをやっていた男とたまたま同一グループを愛好していたのが縁でそんなことになった。
頼んできたそいつが、今何をしてるのかは知らない。生きてるかどうかも知らない。そいつは同窓会に出てこない人間なので、大人になってから数回ほどあった同窓会で顔を合わせた記憶もない。
約400人程度の人前でバンド付きとは言えソロで歌を歌うなんてあり得ないことだと思っていたが、いざやってみると、結構腹も括れた。MCみたいなことはしたと思うが、何を喋ったのか覚えていない。
歌ったのは3曲程度のことだったと思うが、あんな場所で大勢の人を前に歌うなんて経験は後にも先にもあの時だけだった。

そもそも同年の文化祭の少し前にあった体育祭で、顔だけだったか全身だったのかはもう覚えてないが、紫に塗って何かパフォーマンスじみたことをした、という前歴があったので、それを思えば大したことはないとも思うのだが、田舎の中学校とは言えステージで歌を歌うなんて小っ恥ずかしいな、みたいには思っていた。
だが、それをしたおかげで無駄に度胸は良くなった。後年、サポーターじみた行為をするのも、自発的に没入していくことができた。

ちなみに、そんなことをしたからと言って、別にモテたわけではないし、何か別のメリットがあったわけでもない。
多少のプラスにこそなったが、せいぜい自分の経歴に「中学時代にそういうことをした」という一章がついたぐらいのことでしかない。
機会はあったのだろうが、それを活かすのはあまりにもヘタクソだった。そんな自分に、何かあると思う方がおかしい。結局、今の今まで何も起きていない。そんなものだよ、人生ってヤツは。

兎にも角にもそうした経緯があり、やがてローリング・ストーンズに触れ、ビートルズにも同じように触れ、高校を出てからしばらくして、同好の士とお遊びのバンドみたいなことをした。
こっちはいわゆる軽音楽的なもので、もっとロック風のものだった。自分は楽器がほぼできないので、歌をやったり、技術的には覚束ないキーボードとかパーカッションみたいなものをやったりしていたが、まあ、自分の思ったような曲ができたとは必ずしも思わないにせよ、楽しかった。

まあ、今はもうそれは自分の身体事情からできないし、遠い昔の思い出ではあるが、そういうことを経てきたのは事実なのだから、人生の経験として生きてはいるのだろうと思う。

今では時々、音楽を自作してはYouTubeなどにアップロードしているのだけれど、まあ、人に喜んでいただくというより、自分の作品置き場程度にしか思っていない。オンラインストレージ代わりみたいな、そんなものだ。だけど、自分はそれでも良いと思っている。

文章

自分が文章を書き始めるきっかけじみたものは、この辺に書いている。きっかけは取るに足らないことでしかない。野良物書きの自分にはお似合いかもしれないようなことだが、まあ、ないよりは良いと思う。

基本的に現状の自分は書きたいと思うことを、他人からの編集など経ることなく、思うように書き連ねているだけでしかない。noteにはスキが時折ついたりするようだが、正直、自分が受け入れられている、みたいな実感はないのが実情だ。デモその一方、書いてる自分はひとまず満足できているのだから、まあそれはそれでいいや、ぐらいには思っている。

まあ、人はそれを「放埒」と呼ぶのだろうが、だったらそれでも構わない。(その自信はあまりないが)人の道に外れてさえいなければ、どうにか大丈夫だろう、とは思っている。

自分にとっての文章は、上の文章にも書いたように「他人様に読んでいただくもの」という概念はほぼ無く、溢れ出る欲求の放出みたいなものだと最近では思っていて、だから書くにあたって最低限の方向付けぐらいはするかもしれないけれど、それ以上は変にコントロールしないようにしている。

前にもここで書いてるように、自分はこの「面倒くさい」をポリシーとまでは言わないけれど、自分に通底する精神だと思っていて、「面倒くさい」けど「楽しい・興味がある・面白そう・行ってみた・やってみた」ぐらいのことが書ければ良いのかな、と最近では考えている。自分はいくら飾っても気の利いたことなど書けっこない。だから、それで良いと思う。

そもそも自分は後どれぐらい生きられるのか予想できない。それでなくても脳梗塞という爆弾みたいなものを抱えている現状で、長生きできるなどとは皆目思っていない。
でも、それならそれで良いじゃん、と思うようにしている。自分が納得できる人生なら、それで良い、と。

もの書くこともその一環としてあればいいんだと思うようにしている。そりゃたくさんの人に読んでもらえたら嬉しいかもしれないし、評価されても嬉しいと思うよ。

でも、そんなものを望んでみても仕方がない。とりあえず自分は今の自分で書けることを書いてみせるだけだ。

折に触れて何度となく似たようなことを言っているのだが、近い将来、自分が亡くなった後、「あの馬鹿、あんなこと書いてやがった」ぐらいに笑納してもらえたら、それでいい。自分の文章というのは、だいたいがそんなものだと自覚している。
だからプロフィールにも「筆者の文章の多くはあくまでも軽くお読みください」とわざわざ謳っている。真剣に一言一句に至るまで熟読された挙げ句に「あの人、こんな風に思ってるんだ」みたいに感心されたりとか、くすぐったすぎて想像もできない。
それならば「あの馬鹿、またあんなこと書いてるよ。しようがねえなあ」ぐらいがちょうど良いバランスだと思っている。そもそも馬鹿なのだから大して何も考えていない。考えているとしても、知見のある人々ならとっくに思いつき、そして自分以上に優れた考えに置き換えてしまうようなことしか考えつかない。元々頭も働かないし、ロジカルな思考も得意ではない。元々フィーリングみたいなもので文章を書いているところがある。

ノリが床屋政談と変わらないのである。それよりももっとグレードが下がるかもしれない。でも、それでいい。少なくとも自分はそう思っている。たぶんこれからも、そんな文章を書き散らしていくのだろう。よろしければ、今後ともおつきあい願えたら幸甚というものだ。

サッカー

さて、最後に控えているサッカーとは、ここら辺の諸々に書いているようにいろいろなつきあいを経ている。音楽や文章と同程度にはつきあいが長く、ライフワークとまでは言わないけれど、そういう意識ぐらいは軽く持っている。まあ、そうは言っても自分の軽薄な認識なので、あまり当てにはならないが。

サッカーとは知り合って長い。上の三つのなかの、特に「My football story is still alive」にもチラッと書いているが、自分はだいたいロジックで動くタイプではない。だいたい思い込みとエモーションで動いてしまうタイプで、それ故にろくなことにならない場合がほとんどだ。
まあ、SC鳥取やガイナーレ鳥取、FCセントラル中国やデッツォーラ島根EC、ヴォラドール松江やSTREAM FC、ベルマーレ平塚や湘南ベルマーレなどのチームや、そこにまつわる様々な人々との出会いがそうであったように、それらは自分の選んだ道なのだから仕方がない、ということはもはや動かしようのない事実だと観念しているのだけれど、ともあれ、そんな感じでサッカーとともに何十年も歩んできている。

今更ここで触れるまでもないことだが、以下の文章でも触れているように、自分の文章はあくまでも入り口であれば良いな、と思っていて、戦術的なことも詳細な知見も何一つ無いような、ただのおっさんがあれこれ談義する最初の取っ掛かりであれば良いかな、ぐらいの気持ちでサッカーについては、概ね毎回文章を書いている。

そうでなくても自分がそういう人間なのだし、専門性を求めたい人はそういうものが書かれた人のところに行ってくれれば良く、自分のところでウダウダ留まる必要はない。馬鹿が馬鹿なりの文章を書いているだけなのだから、そこに知見や意味を求めてはいけない。
せいぜい「あの馬鹿、また適当なこと書いてるよ」ぐらいに思っていただければそれで良い。自分の文章にはその程度のクオリティしかないという自覚がある。

随分と話が逸れたので、元に戻そう。

サッカーとはこれまでもそういう長いつきあいをしてきたが、自分の人生に於いて、これまでがそうであったように、これからも気の置けない良き友であってくれたら良いなと思っている。
時には派手にやり合いもするだろうし、そっぽを向いてしまうこともあるかもしれないが、でも、結局は何となくそばにいるパートナーみたいな関係であれば、それで良いんだろうなと思う自分がいる。

最近ですら、こういう馬鹿なことを平気でやっている。臨時収入があったとは言え散財してどうするんだと言われると面目ないのだが、自分がしたくてしたことだから他人に文句など言わせない。たぶんこれからもそうしたことを死ぬまで続けていくのだろう。

そのことを黙って大目に見ておいてほしい。さすがに「それはちょっとやりすぎだろう」と思えば、それとなく助言くだされば聞くと思うけれど、リミットを踏み越える度胸はあまりないので、そこはご心配なく。それに、もう人生半世紀も過ぎてしまったのだからそれでなくても若くないわけだし、おまけに自分の寿命も何処まであるのかわかりようがないので、そうそう無茶もできない。

きっかけが何であれ

ところで、今、世界中にCOVID-19を端緒とする様々な弊害が発生していて、我が国日本でも決して例外ではない。サッカーJリーグやプロ野球NPBなどは6月中の開催(サッカーJ1は7月第1週から)を目指している。但し、それでもなお、それぞれのスポーツに感染者が出ており、現状で行けば一応の影響は大きくないらしく予定通りの日程(を含むロードマップ)で推移するとは思うが、今後の状況や世論の状況次第によるところも大きかろうから、それら次第では何とも言えない状況にあることには違いがない。

ともあれ今の状況下では、少なくとも三つのうち、サッカーとのつきあい方もいろいろ変化せざるを得ないのかな、と思ってはいるが、まだいろいろなことが未決定なので、どうなっていくか想像もついていないというのが現状だ。ひとまずサッカーのことにJリーグが日程を出してくれると、何となく感覚がつかみやすいだろうから、先ずはその日程が知りたいところ。
いずれにしろ、当初は無観客試合で、その後も入場制限がつく可能性もあるなど、サッカーとのつきあい方は変わって行かざるを得ないと思う。特に自分の場合、推しチームのガイナーレ鳥取は、島根県がホームのチームではなくて、あくまでも鳥取県がホームなのだから、つきあい方も変化するかもしれない。
兎にも角にも、それはこれから日程などが出た段階でハッキリすることなので、そうなった時に改めて考えれば良い。

但し、この意味で言うと、文章や音楽とは、つきあいのスタイルを変えることはないと思う。何しろこの両者は自分の場合は、他人がほぼ介在しない作業だから。

ただ、どういうことになろうとも、音楽・文章・サッカーは自分の中の三大趣味であり続けることには変わりがないのだし、それについては今後も何も変化することなく永続的な趣味であり続けるだろう。
それらについて訴求する媒体はいろいろできてくるかもしれないが、何しろ自分が適当でいい加減なので、あまり他人様に御迷惑をかけられない。それぐらいの節度は、いくらいい加減な自分にでも一応はあるつもりだし、なかったら生きてはいけないだろう。
故に(ただでさえ慎重に慎重を期する性格ではあるが)これまでと違う世界に踏み込んで行くには、それまで以上に慎重ではある。これからも、そうした性格によって、様々な紆余曲折があるだろうと思うし、人はそれを見て、じれったいと思うかもしれないだろうが、それは直りようのない自分の性格なのだ。だからもう、仕方がないと思っていただくしかない。

ここにも書いてるように、自分というのはこういう人間だから、そこは諦めて受容していただくしかない。

とりあえず、だ。

きっかけが如何なるものであれ、音楽・文章・サッカーは、先程も言ったように、自分の中での三大趣味であることに違いはなく、これからも折に触れてつきあっていくものだと思っている。状況は時々刻々と変化していき、好転もするだろうし、そうでないことも起こり得るだろう。

どちらにしても、起きた状況を把握し、受け入れる心づもりはしておき、そして自分はこれまで同様にあまり油断をせず、自身はもちろん他者についても同様に行動をあまりギチギチに縛らない程度には警戒心を解くことなく、自分についてはともかくできる範囲での努力をしながら、感染を防ぐように努めていきたい。
そういったことを継続したら、この状況も多少は好転するかもしれない。他者に同調を強制したりするのではなく、先ず自分がこうしたいと思っていればいい。他人が自分と同じようにしているかしていないかなど、ハッキリ言ってどうでも良い。

要は自分の態度が定まっていれば、それで良い。それでも感染してしまったら、それは結局自分がいろいろ足りなかったからというだけに過ぎない。仮にCOVID-19に感染したとしても、そのことについて他者に責任を転嫁しても始まらない。
そんなことは少しも有益なことではないのだから、しても意味がない。大事なことは他者に何かを求めるよりも、先ず自分がどうなのか、だと思う。それが自分で納得できていれば、別に他者に自分の流儀を強制などしなくても普通にやっていける。そういうものだろう。

何だかよくわからない結論になってしまったが、今の自分がこうして音楽・文章・サッカーという三つの趣味を何だかんだ言いながら続けてこられたのは、それらのきっかけが強く作用して、今に至っているからなのだ。この三つに出会えたことを、今はとても感謝している。
そしてこれからも、死ぬまでこれら三つとつきあっていくことになるだろうけど、そうなったならば、なるべく最後までともにありたいものだ。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。