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スワンソングを歌わせて

さて、いきなりで恐縮だが「スワンソング」には以下の意味がある(出典は「goo国語辞典」より)。

白鳥の歌。詩人・作曲家・演奏家などの生前最後の作品・曲・演奏をいう。死ぬ間際の白鳥は、最も美しい声で歌うという伝説から生まれた言葉。

かのレッド・ツェッペリンが設立し、後にはバッド・カンパニーなども属していたレーベルの名前も「スワンソング」という名前だったが、まあ、それはともかくとして、だ。

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最近、立て続けに入院していたせいか、何となく、あくまでもぼんやりと、だが、「自分の死」を意識するようになった。
いや別に「絶望感に苛まれてもう生きる気力が無くなったので、今すぐに自殺でも何でもして死にたい」とか、そんなことではない。俺みたいに意気地の無い人間は、罷り間違ってもそこまで至ることもないので、どうかその点だけはご安心いただきたい。

そんな大袈裟且つ他人に大きく迷惑のかかるようなことをしようとしなくても、俺自身が脳梗塞を数度やったり、特にここ数ヶ月で腸内からドバッと血が出たりとか、身体にガタが来まくってるだけに、時期が来れば放っておいても、俺もそのうち勝手にくたばる、ぐらいのことは思うようになった、という意味だ。

俺には配偶者も子供もいないので、たぶんそうなった時に看取ってくれるような人は誰もいない。まあ、これについては仕方がない。そんな人生を送ってきた自分が悪い。

で。俺はこの先、あとどれぐらい生きてるのか知らんけど、何かこう「スワンソング」めいたものを遺せたら良いなって考えている。
もちろん、そんなものを意識して遺せるわけもない。俺にはそんな才能も無ければ、意欲も機会もない。今書いてるこの文章だって、何となく気分が乗ったから、徒然なるままに適宜書いているだけのことだ。俺の文章なんざ、だいたいがそんなもん。「読ませよう」「読んでもらおう」なんてド厚かましいことは一切考えてない。
最近はサボってるが、楽曲作りにしても、同様のことが言えて、「聴いてもらおう」ではなくて、「作りたい」「書きたい」から作って世に出しているだけに過ぎない。その気があれば、もっと練るだろうし、精度も上げるように努力をする。俺はそれをしない。面倒くさいから。努力が嫌いだし。だからいつまで経っても「それなりのもの」しかできない。
それが俺の現実だし、向上心がないと言われたら返す言葉もないのだけど、それで何となくでも今までやってきているのだから、誰にも文句は言わせない。言わせてなるものか、と常々考えている。

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ところで、出来過ぎたスワンソングの著名すぎる代表例として、ビートルズの「Let it be」を挙げておきたい。

彼らの同名の最終アルバムにも収録されているが、それはそれ。この曲は実際にはビートルズのキャリアに於ける掉尾を飾る作品ではないが、末期のシングルカット曲として、かなりの割合でそれに近い扱いを受けてきたと言っても良かろう。
実際、バンドの終末期をそれとなく示すような曲でもあるのだから、そんな扱いも受けようというものだ。

俺の文章(あるいは音楽。もっと広義で言えば作品とされるもの全般)に於ける「Let it be」に該当するような作品は、ない。
そのように断言することもわりとイージーに可能だ。そんなものが俺にあるわけがない。
意識して「これ!」と決め打ちもできないし、そもそもその評価は自分でするようなものではない。俺の文章をたまたまでも読んでいただいた、音楽を聴いていただいた、などのような人に決めてもらうべきものだ。

だから、俺自身で「これだ!」と言えるものはない。と言うよりも、あってはいけないのだ。野良物書き、野良音楽家の俺が、そんなものを、自ら望んで作るのではなく、気がついたらそう呼ばれるものがあった、ぐらいの感じで良いと思っている。
それはたぶん、人によっていろいろ違うだろうし、そんなもの、同じでなくても構わないとさえ思っている。

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話はガラッと変化するけれど、常々言ってきてることだが、俺はいつも適当にやってきてて俺自身の座右の銘みたいなものだって・・・

楽しく、厳しく、いい加減に

・・・であるぐらいだ。

あの言葉の出所は、ここでも書いてるように、デッツォーラ島根ECのかつての代表者である故・若三康弘さんだ。俺はあの言葉に感銘を受け、それ以来ずっと、自分の座右の銘っていうか、人生の在り方として拝借させていただいている。若三さん、勝手なことをしてすみません。でも、それぐらい許してくださいまし。

根っからいい加減で、流れるままに何となくだらだらと生きてきた俺にとって、あの「楽しく、厳しく、いい加減に」は雷撃を受けるような、そんな強い影響を受けた言葉だった。

今の俺が、ガイナーレ鳥取だったり、デッツォーラ島根ECだったり、ポルセイド浜田だったり、湘南ベルマーレだったりに、程度の差こそあれご執心なことや、時たまヘボな音楽または文章を書いて世に出したりするのも、そんなモットーに基づいて行っているだけなのだ。

まあ、基本的にこれで身を立てたいとかいうのがなく、言わば道楽として適当に楽しんでいるようなものだ。あまり強制されたりするのが得意でない俺は、何やかやとせっつかれても自分が自分をなくしてアワアワしてしまった挙げ句に、自分らしさ(が、何処にどういう形であるのかはともかく)を見失ってしまうような気がしてしまう。俺は俺らしく、マイペースでやれたら良いなって思う。

承認欲求を満たしたいというよりも、あとどれぐらい生きられるのかは知らないけれど、その中で俺自身の存在証明を残したいだけかもしれない。
適当でいい加減でぐうたらなくせに、何か身勝手で大袈裟で図々しいことばっかり言ってるが、たぶん今はそういう心境になってる。
それで何人もの人たちに迷惑をかけてしまってもいるんだろうけど、それはそれでもう「ごめんなさい」するしかない。

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ともあれ、俺の「スワンソング」がどういったものになるとしても、それはそれで構わないし、皆さんに委ねるので、勝手に選んでほしい。俺はその結果に何も文句は言わない。言う権利もない。

俺はこの先どれだけ続くかわからんけれど、文章(たぶんそれなりに多いはずだ)や音楽(こちらはそんなに多くはならないだろう)を生み出していくと思うけれど、もしもそういうものに出くわしてしまった場合は、再三言っているように・・・

あの馬鹿、またあんなもん世に出してるよ。馬鹿だねえ、懲りないねえ

・・・ぐらいに思っておいていただきたい。

評価を受けるとかランク付けされたりとか、俺としてはとにかく面倒くさいことよりも、とりあえず世に出しちまえ、あとは受け取った連中が決めてくれるよ、と考えている。

そりゃあ、できるなら文章だとたくさんの皆さんに読まれたいなって、音楽ならばたくさんの皆さんに聴いていただけたらな、などと心の片隅ではチラッと思ったりもするけど、それを決められるのは、俺自身ではなく、実際に読んで(聴いて)くださる皆さんだ。

いずれこの先、俺の「スワンソング」がどれかに決まった時、俺はこの世にいないかもしれないし、それならそれでも良い。先程も書いたように何に決まろうが文句は言わない。
ただ、そうなった時、現実社会で、そして誰かの心の中に、俺という人間がこの世に生きていたって証が立てられるかもしれないと、ぼんやりとだが考えている。そうなったら、俺は安心のうちに人生をクローズできるのかもしれないね。

さて、そんな日は、果たしていつ来るものかね。わからんね。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。