見出し画像

サッカーを観るならば、自分の思いのままに観てこそ楽しめると思うおっさんの独白

正直言えば、サッカーを、特にSC鳥取やガイナーレ鳥取を観に行くようになってからというもの、何度か長期間、サッカー観戦から離脱せざるを得なかったことがある。

言うまでもなく、それは多くの場合、病気のせいだったりする。倒れる度に長期離脱を余儀なくされ、居場所も失いつつ、でもある時期が来たら、またいそいそとサッカー観戦に出向いていく。そして、ガイナーレ鳥取を中心として、何らかのサッカーの試合を観に行っている。
それは、自分の場合は、だが、とりもなおさず、サッカーという競技そのものを愛好しているためでもあったりする。何でも手当たり次第に観に行くというわけでもないけれど、それに近いことはしている。

過去にこういった拙文を書いているように、JリーグやJFLだけでなく、その下に位置するカテゴリの試合や、学生世代の試合、それに女子の試合も観に行くことがある。

行きたい試合があれば、都合がつけば行く。それだけのこと。そこで、解説者ぶって技術的にどうこうとか、そんなことは言わない。いや、もちろん昔はそういうところもあったが、今はただ、目の前で繰り広げられているサッカーを見るようにしている。

どこやらの赤い人が言うところの「今そこにあるサッカーを愛する」ことを自分なりのやり方でやっているに過ぎず、仮にその行為が、そのことについて彼のしている定義から外れているとしても、そのことにいちいち文句を言われる筋合いはない。自分は自分のやり方でサッカーにハマっているだけのことなのだ。誰が文句を言う権利がある・・・と思っている。

言っておくが、自分は例の赤い人については肯定も否定もしない。彼でも誰でも自分の意見と合致する部分は同意するし、合致しない意見については反対する、というだけ。是々非々で臨んでいるに過ぎない。それは誰でも同じこと。別に彼だけの話ではない。

話が大幅に逸れそうなので、赤い人絡みの話はもう止める。そんな話をしたいわけではないのだから。

--------------------------------------------------------------

ご存知のように、このテキストを書いている2020年8月7日現在に於いても、COVID-19は終息する気配どころか、日本のみならず世界中に於いても、未だ勢いを増しつつすらあるように見える。
日本の対応が不十分かというと、そんなことはないと自分が素人の勝手な判断にてそう思っているが、実際にはどうかは知らない。PCR検査がどうのこうのとクソやかましい人々も依然いるのだが、その是非に関しては、専門家でない自分がどうこう言う権利はない。

ともあれ、こうした状況下に於いて、今、流行期がまた本格的に訪れてもいるようで、さて、我々一般人としてはどうするべきなのか、ということになってくる。

ひとまず言えることは・・・

あちこちにやたらと出かけない
症状が出そうならば、特に無理をせず引きこもる
出かけても良いが、遠方、特に人混みが予想される場所は控える
行動記録を思い出せるようにしておく

という辺りが重要な気がする。スタジアムに行くのは難しいだろう。ある程度、状況が落ち着けば可能かもしれないが、それがいつになるかは予想できないのが現状だ。

まして、自分の場合、自宅からAxisバードスタジアムまで、単純に直線距離だけで考えても150km以上あるのに。しかも、鳥取市に行く必要もある。家族を心配させるわけにもいくまい。自分にもその程度の分別はある。

それに・・・。自分はそれでなくても憩室出血というある種の爆弾を抱えているのだ。出先で下血でもしてみろ。シャレにならないぞ。なので、これが落ち着かないことには、おいそれと外にも出歩きがたい。近い場所ならまだ良いだろうけれど、あまり遠くには出られないと思う。

ともかく、だ。COVID-19にも起因するし、自分の体調にも起因するのだけれど、おいそれと外出するのは難しい。少なくとも憩室出血がある程度長期間落ち着かないと、出歩きがたいのは本当だろう。
厄介なものを抱えてしまったものだ。とりあえず、今は出血に至らないように気をつけてはいるが、さてどうなるか。

そして、憩室以外の爆弾、脳梗塞も気がかりではある。今はそりゃ小康状態でいてくれるからいいのだけど、これが完治しているわけでもないらしいのが忌々しいというか。
一度、MRIで現状がどうなのかを調べてもらいたいぐらいだ。安心できるためだったら、あのクッソウルセえMRIにだって耐えてみせる。

まあ、ともあれ、サッカーからある程度長い期間離脱している経験を持っているせいか、それ自体を寂しいとは思わないのだが、禁断症状というか、何の気兼ねもしないでダラーッとスタンドに居座って、時折思い出したみたいに写真を撮りながら試合に没頭してみたいって思うことが間々ある。そりゃあ、推しチームが何処であれサッカー好きだもの。

だから、この時期、スタジアムに気兼ねなく行ける人々の話が心底羨ましいと思うし、それ故に思う存分楽しんできてほしいとも思う。結果はままならないものだけど、それ以外のところで、しっかりとサッカーの試合を堪能してきてほしく思う。

画像1

画像2

これらの試合は、たまたま結果としてうまく行った試合ばかりだが、無論こんな試合ばかりを経験するわけではない。
中には思うに任せない結果に終わることだってあるだろう。でも、何か楽しめる要素を見出せるなら、それはそれで良いだろう。

大事なことは、能動的且つ積極的に楽しもうという姿勢だと思う。これらがないことには、楽しもうにも気が引けてしまう。楽しむのは自分に与えられた権利みたいなものだし、それを満喫することは何も責められることではないはずだ。

だから、自分もまた再びサッカーを観に行けるような環境が整ったら、その際には思い切り楽しみたい。結果がどうこうとか、そんなものは二の次で、場の雰囲気や有り様を楽しみたいと思う。

ガイナーレ鳥取のスタッフさんたちにはいっぱい頑張っていただきたい気もするけれど、彼らにばかり負担を強いず、自分からも楽しめるアプローチを模索できたらいいなって思っている。

ガイナーレ鳥取の試合だけでなく、他のチームの試合に行く時だって同じことで、めぼしいイベントの類がない場合が多いけれど、そんなものに頼らずに、故の試合はこういうところを楽しもう、という要素を何か一つ決めておくのが良いのかもしれない。

アマチュアサッカーに例を取ろう。

例えばそのアマチュアチームの試合に初めて行くなら、どんな選手がいるだろう、どんなサッカーをするだろう、などと事前にあれこれ想像を巡らせてみるのも良いと思う。
そこで行われているサッカーにウソはない。みんなそれ相応に懸命だし、全力でプレーしている。その全力に息を呑むはず。それを小馬鹿にするなどできようはずもない。もしそれができるなら、そいつはサッカーを見るのは止めるべきだ。
半可通ぶって目前のプレーにあれこれ注文を付けてもいい。それはてめえの自由だし好きにしても良いのだが、できることならば、それはてめえ一人の時に、他人の見えない場所でやってくれと言いたい。屋外で自身以外に観客がいるところでやらんでくれよと思うのである。そんな講釈なんか聞かされながら観るサッカーなんて、実につまらない。こっちが聞きたいと思うようJなものならまだ良いよ。聞きたいわけでもないものを問わず語りに聞かされて、面白いと思うヤツはいない。

サッカーは自分なりに楽しませてほしい。その時に誰かの講釈が必要ならそれはそれで必要だと言うけど、そうでなければノーサンキュー。
世の中には、あなたの講釈を必要とする人たちばかりではないことを知るべきだと思う。
これは自分がブログとか書いてるうちに理解できてきたことでもあるのだけど、自分自身の講釈は所詮、自分が満足したいがために放たれるものに過ぎず、そんなものをありがたがる人はほぼいないと思う。

気楽に自分だけで楽しんで没頭したい人には、その場に於いては無用な講釈など必要ない。あとで、いろいろ話を聞くなどで、こういう意味だったのかと知るぐらいがちょうど良いのかもしれない。

--------------------------------------------------------------

わけのわからないことばかり書いてきたが、この先再びサッカーを観に行けるチャンスがあるのなら、不要な講釈などに身を委ねることなく、自分なりの見方で観られたらいい。

もちろん、それなりの知識はあった方が、より楽しめることは間違いなかろうし、そこまでを否定するつもりはない。
だが、人間というのは往々にしてわがままで気まぐれなもので、その知識を欲する時が、その観戦時とは必ずしも言えないところがややこしい。後日だったりするかもしれないし、事前かもしれない。そのわがままや気まぐれを理解して気長に、人それぞれの見方を尊重してくれたら、それで良いと思うのだ。

繰り返し言っていることだが、国の法律やその地域の条例、あるいはクラブが定めたその場でのルールに反していなければ、楽しみ方は人それぞれで良いし、何ら咎め立てを受ける必要はない。
ただ、その人それぞれにも受容されるべき限度というものがあり、度を超した悪口雑言だったり、野次と称する罵声を飛ばしたり、他にも場の雰囲気を著しく損ねるような、あるいは競技の当事者を必要以上に挑発したりなど、そういうのは許されるべきではないだろう。

そうでなく、穏当に楽しもうとする分には、いわゆる声を出したリアクションを越したりしての応援行為に興じなかったとしても、レプリカでもオーセンティックでも何でも良いが、ユニフォームやそれに類するものを着てこなかったとしても、誰からも如何なる理由でも咎められるべきではない。

観戦に要する服装なんて、観戦者の自由で良いじゃないか。仮にその服の色合いが対戦相手を想起させるものであったとしても、レプリカやオーセンティックのユニフォームでないのなら、許容されて然るべきだと思う。

ゴール裏でも、メインスタンドでもバックスタンドでも、それは何処でも構わない。

自分はガイナーレ鳥取の試合ではユニフォームを着ていくのが常だが、別にそういうドレスコードがあってそのようにしているのではなく、その場にしていく格好として勝手にしているに過ぎない。別に他の人がユニフォームを着ていなくても、そんなものは関係ない。その人の自由なのだ。

その場(スタジアムでも、パブリックビューイングの場でも構わないが)に於ける最低限のルールというか、そこで少なくとも守るべきお作法さえ守っておけば、基本的には自由な観戦スタイルが認められるべきだ。
自分は常々そのように考えている。スタジアムはどういうゾーンであろうとも、基本的には観衆が楽しみを得る場所だと思う。

いわゆるサポーターとしての応援行為から離脱した今となってみると、そのことがまざまざと身に沁みてくる。
気軽にお祭りを楽しみような心持ちで良いのだ、と改めて思うのだ。そこに複雑怪奇な理屈など必要ない。音楽でも演劇でも同じだが、先ずそれを楽しもうという心情が大事だ。小難しい理屈はあとからいくらでもついてくる。そんなものは、今その時点で必要ではない。その物事を楽しみたいとする、率直な心情こそが大切だと思う。

声を出したり、アクションをすることができなくなった今だからこそ、もっと素直に場を楽しみたいなと思う。というより、自分にはもうそれしかその場を楽しむ術がない。

カメラで写真を撮ったりするのも、ブログなどにしようもないことを書いたりするのも、自分なりの楽しみ方の一環だと思ってしている。それ以外に理由が思い当たらない。
自分なりのそうした楽しみ方を、別に全方位的に同意してほしいとも思わないし、せいぜい「そういう楽しみ方もあるのだ」ぐらいに思っておいてもらえれば良いと思っている。
楽しみ方は人それぞれなのだし、そう自分でも思う以上、ルールに則っている以上は他人のやり方を否定できる道理はない。

人の数だけ楽しみ方の数がある。仮に自分が嫌いなスタイルでも、ルールに反していないなら、そのことは尊重しておきたいものだ。長々とくだらぬことを書いたが、言いたいことはそれだけのことだ。
ただ長いだけの主張におつきあいいただいて、申し訳ないのだが、それだけのことを言いたいがために、こんなくどい文章を書いてしまった。せいぜい浅学非才さを嗤ってほしい。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。