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あのおっさんら。

言うまでもない。ローリング・ストーンズだ。

以前こんな大がかりな記事まで書いた。全部読みたい人は投げ銭する必要があるが、無料公開した最初の1章だけでも良いだろう。

昔、彼らの「Dirty work」というアルバムのライナーノーツで、渋谷陽一氏が、「失語症の魅力」と説いていた。彼らの音楽は言葉を喚起すると言うより、むしろ言葉を遠ざけてしまうのではないか、とも。
あのアルバムがリリースされたのが1985年の話なので、そろそろ35年が経つのだが、未だにこれ以上の見解に出会えていない。

俺は長らくローリング・ストーンズのファンをやらせてもらっていて、たぶん一般的(且つ古典的)な彼らのファン以上に音楽には拘りを持たないで感性の赴くままにあれこれ聴いている(恐らく古典的なストーンズファンからしたら、邪道だと言われそうな音楽の聴き方・拘り方をしていると自分自身でさえ思う)のだが、それでも、ローリング・ストーンズの魅力を端的にでも、長々とでも、他者に説明する言葉を持たない。
ゴチャゴチャうるせえよ、聴いたらわかるんだよ」と実際に口にしたことはないにしろ、問われると、だいたいはそう言いたくなる。

俺が好きなもののもう一方の双璧であるサッカーにしても、その魅力や何に興奮できるのかをシンプルにも、長いセンテンスを用いてでも、説明し得ないのと同じだ。

何度も言っていることだが「好きだから好き」なのだ。他に理由などあろうはずがない。ローリング・ストーンズに代表される音楽も、サッカー(ガイナーレ鳥取やデッツォーラ島根など)も、それ以上の理由が見出せない。
それを表現力不足だろ、と小馬鹿にされても良いのだが、実際にそのようにしかならない。
人間、本当に惚れたものに対しては理屈以上の何かが働くものなのだ。

物凄い暴論を承知で言うが、本当に好きなもの、惚れたものの魅力は、恐らく一生かかっても説明できない。彼らの何かが、自分のアンテナにある日突然押し入ってきて、引っかかってしまうのだ。
そして、それは長い間、ともすると一生涯、自分の心を捉えて離さないだろう。それほどの爪痕を残すものなのに、何故それ(ら)に惚れてしまったのかを、誰にもうまく説明できない。

部分的になら説明は可能だ。

「アンダー・マイ・サム」のイントロはあれだけで参ってしまうし、歌い出しのもどかしさもたまらない。
「むなしき愛」のスウィートネスには、スレた俺みたいな人間ですら参らざるを得なくなる。
「ワイルド・ホーセズ」の枯れた美しさを前に魂の揺さぶられない人だったり、「ブラウン・シュガー」や「サティスファクション」に血湧き肉躍らないとする人とは、音楽的には何も分かち合えないだろう。
「悪魔を憐れむ歌」や「ギミー・シェルター」などが醸し出す物凄い強迫観念、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」で元の地平に帰ってきたという高らかな復活宣言、「ストリート・ファイティング・マン」が、電気楽器無しであそこまで、上り詰めていこうとする様には、一種の恐怖感すら覚えるほどだ。

このように、部分的になら説明は可能だ。だが、それらはローリング・ストーンズの音楽の魅力の半分も語ってなどいない。

彼らの魅力を何とか世の人々に伝えたいと頑張ってみたが、やはり自分にはうまく伝えることはできない。伝える言葉を持たない、あるいは伝えるだけの表現力を持たないと言うよりは、ゴチャゴチャと飾った言葉であれこれ説明するより、「とにかく黙って聴けよ」となるのがオチに決まっているからだ。

言っておくが、俺は別に彼らの曲を毎日毎日狂ったように聴きまくり、愛好しまくっているわけではない。
だけど、気の置けない友達や日々を共にするパートナーみたいに、気がついたら隣にいるような存在なのだ。そういう愛好の仕方で、いいと思う。

こんな厄介なグループと、40年近くつきあってきたのだ。だが、それでも俺はローリング・ストーンズを止められない。その理由は俺にさえわからないのだ。未だに。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。