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100年時代で考える

100年時代について考えてみた。確かに、医学の進歩によって寿命は年々伸びていることは明白な事実だ。

https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-02-01.html

例えば癌のような病にかかったとしても、早期発見と的確な治療さえ受けていれば、生きる可能性が高くなる。高齢化にともなって癌の羅患は昔より上がっているようだ。部位や癌のステージによって違いはあるもの5年後や10年後の生存率も逆に高くなっている。

https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/annual.html

もちろん癌以外の病気など人の健康や生命を脅かすさまざまな因子は他にもたくさんあるものの、とりあえず病に冒されず、健康状態を維持、生活していけば、大体100年ぐらいまで生きることが珍しくなくなってきたということだろう。

ただ、ここで気をつけるべきは心と身体のバランスがとれていることだ。必ずしも健康が必須要因とは限らない。肝心なのはこころが満たされていること、毎日の生活の中でささやかではあるかもしれないが数分でもいい、ああ楽しいな、幸せだなと思える瞬間があることがとても大切なのだろう。

人が幸せを感じるのは目に見えない。ひとりひとりの幸せのあり方は10人いれば10通り、100人いれば100通りあるのだろう。また、昨日幸せを感じ
たことが、今日はそう感じないかもしれない。悪く言えばまったくもっていい加減で不安定なものとも言える。

100年生きることが幸せなのではない。3ヶ月の人生でも5年でも30年の生涯で 一瞬でも、そしてわずかでも幸福感を感じることはできればそれでいいのかもしれない。

『人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢之幻の如くなり』
これは織田信長が好んで詠んだとされる、幸若舞『敦盛《あつもり》』の中での1フレーズ。本能寺の変でも燃え盛る炎の中での舞を踊ったとされるが、おそらくそれを知っているのは側近の森蘭丸ぐらいかもしれない。

この詩はその当時人間生きてもせいぜい50年ぐらいだという比喩に用いられているが、50年が寿命ということではない。

つまり『人間の世はせいぜい五十年ぐらいで、天界のそれと比べればほんの一瞬で、夢みたいな出来事なんだよ』、だから、いろいろな出来事の前で怯んだり、怖れる必要はない、精一杯そして思い切りやろう、ということを詠んだ詩だ。

100年生きることを前提に考えることは無意味なのでは?と作者は考える。それより一瞬の幸せを感じることができるように毎日を精一杯いきることだ。その日々の積み重ねがあり、気がつくとそれぞれの100年時代が出来上がるのかもしれない。

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