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起業してから失敗の連続だった10年。ユニークワンが「地方発メガベンチャー」になるために必要だったこと

僕が代表をつとめる株式会社ユニークワンが、4月1日で10周年を迎えました。

10年も会社を続けることができたのは、お客様をはじめ、会社のメンバーや支援機関の皆さまなど、たくさんの方に支えてもらったからです。

本当にありがとうございます。

※10周年に対する想いは、ユニークワン公式noteにも掲載しました。

おかげ様でテレビや新聞などの地元メディアに取り上げられることが多く、会社は順風満帆だと思われているようです。

でも、この10年を振り返ると「失敗の連続だった!」というのが正直な感想です。

今回のnoteではユニークワン創業10周年を迎えて感じたことを書いてみます。


NTTドコモを辞めて父親の農家を継ぐはずだったのに…、なぜIT企業を立ち上げたのか?

僕は慶応義塾大学を卒業後、東京でNTTドコモに入社しました。

15年前に父親の会社「カガヤキ農園」を継ごうと思い、ドコモをやめて地元新潟へ。父親の元で農業に従事する日々を過ごしました。

当時、父親は「60歳で引退する」と言っていました。それがいつの間にか「65歳で引退する」と言うように…。

「このままではいつまで経っても課長止まりじゃん!」と思った僕は、起業を思い立ちます。ちょうど当時、新潟にUターンしてきて「Web広告代理店」が存在しないことに気づいていました。東京では最大手のサイバーエージェントを筆頭に、中小含めてたくさんあったのに・・・。

そこで、新潟初のWeb専業広告代理店として「株式会社ユニークワン」を立ち上げました。広告代理店だけやるのもつまらないな、と思って、このタイミングで地域密着型ブログの「にいがた通信」もスタートしています。

ユニークワンを立ち上げてからの売上は、ずっと好調

周りには起業したものの2年アルバイトを掛け持ちした、なんて経営者もいます。

僕の場合は、農家の頃にお世話になった経営者や、出身大学の先輩など、当時からつながっていた人が応援してくれました。そのおかげで、驚くほどスムーズに事業が立ち上がりました。


「社員のために良いことをしよう」とすればするほど、社員の不満がたまっていく?

こう書くと「やっぱりユニークワンはずっと順調でしたね!」と思われるかもしれません。たしかに売上の面では、この10年間ずっと右肩上がりで成長してきました。でも、組織づくりに関しては、何度も壁にぶつかっています。

会社が安定して利益を出せるようになり、まずは「働いてくれる社員のために良いことをしよう!」と考えました。週休3日制を取り入れたこともあります。

でも、これは結果として大失敗でした。

「社員のために良いことをしよう!」とすればするほど、社内に不安がたまっていくような感覚を覚えました。

この状況を野球に例えてみます。野球はチームワークが必要なスポーツ。でもチームワークさえ良ければ、試合に勝てるというわけではありません。”チームの勝利”という目的を達成するために努力することが、結果として”チームの結束”を強めていきます。この主従関係が大切であり、逆転させてはいけないことを、当時の自分は知りませんでした。

その時のユニークワンは、チームワークを最優先させている状態でした。「社員が一番大切」と僕が公言していたことも、勘違いさせてしまった一因です。いい会社のように見えますが、この状態では「お客様より自分たちが大切」になってしまいます。

今でも「社員に幸せになってほしい」とは思っています。でも振り返ってみると、社員を幸せにするために会社を創ったわけではありません

社員が自分たちを「お客様」と感じているような、よくない雰囲気を感じ始めました。

「このままではいけない…」と思った僕は、あらためて会社のルールをつくることにしました。


会社のルールは、ビジョンやミッションと同じくらい大切だった

ユニークワン創業当初、会社のルールづくりを後回しにしてしまいました。仕事が殺到し、目の前の業務をやるだけで精一杯な状態だったからです。組織が少人数の時は、それでも機能しました。創業者である僕自身がルールだったからです。僕がYesといえばYes。NoといえばNo。ある意味明確で、迷う余地がありません。

でもこれが10人を超えたくらいの頃から、徐々に機能しなくなりました。さらに、このタイミングでマネージャークラスの人材を加入させたことが、より現場の混乱をまねいてしまいました。マネージャー人材が加入したにも関わらず、指揮系統も職務権限もあいまいだったからです。いわゆる「2人上司」のような状態になってしまいました。

今考えると、ルールを作らずに会社を経営するのは危ないとわかります。

例えると交通ルールのない国で、車を走行するようなものです。赤信号がないから、ぜんぶの交差点で止まって確認しないといけません。右車線と左車線、どっちを走行すればいいのかもわかりません。速度制限もないので、時には暴走する自動車に出会うこともあります。

めちゃくちゃ怖くて、アクセルを思いっきり踏めないですね。ルールがないから、恐る恐る仕事を進めていく。まさにそんな状態でした。

会社のルールがしっかり整っているからこそ、思いっきり仕事ができるのです。

創業当初からビジョンやミッションを大切にしてきた一方で、ルールについては軽視していました。当時はベンチャー=自由の先入観が強く、ルールは極力少なくして、個人の判断に委ねていきたいと考えていました。もしタイムマシンがあったら、当時の自分に説教してやりたいです(笑)

ルールがあるから安心して働ける。これに気づいてからはあらためてルールを整備し、一から会社を作り直しました。

今では、ルールやマニュアルが明文化され、Notion(情報共有ツール)からいつでもアクセスできるようになっています。社員第一主義でなく、お客様第一主義だという点も、しっかりと明記されています。


経歴やスキルで採用しない。採用面接の大切な基準はこれだった!

ルールを整備すると同時に、採用基準も見直していきました。

以前は経歴やスキルを重視して採用していましたが、これも間違いでした。創業したばかりの会社って、本当に採用に苦労するんですよね。それが規模が拡大するにつれて、徐々にいろんな人が応募してくれるようになります。

そのうち「地元ナンバーワンの●●大学卒です」「業界最大手の▲▲で働いてました」なんて人がエントリーしてくれるようになります。そうすると、創業者としては「ついに●●大学卒の人が応募するような会社になった!」とテンションが上がり、うっかり採用してしまうんです。

そうして採用した人の中には、会社のビジョンに対する共感や、ベンチャー企業を成長させようという情熱がない人もいました。面接時にそういう基準で評価していなかったので、
あたり前といえばあたり前です。

そういう人が社内でネガティブキャンペーンを展開してしまい、大量離職に発展してしまったこともあります。特にベンチャー企業にとっては、スキルや経験よりも、成し遂げたい大義(=ビジョン)への共感が、何より大切なんだと痛感しました。

一時期、採用面接を部下に任せっぱなしにしていました。でも今は正社員に関してはすべての最終面接を僕が行っています。
まだまだ小さなベンチャー企業なので、シンプルに「創業者である僕のことが好きかどうか?」を見るようにしています。でもさすがに面接だけで「僕のことを好きかどうか?」は見抜けないので「僕自身が好きかどうか?」を基準にしています。

具体的には、面接のたびに「この人とサシ飲みできるか?」「この人を自宅に招けるか?」と自分に問いかけています。実際にサシ飲みに誘ったり、自宅に招いたりしたことはないので、ご安心ください(笑)

僕は学生の頃から大好きだったITの領域で起業しました。そして自分が「この人、好きかも」という人だけを採用しています。

結局「好きな人と好きなことをやる」のが一番なんだと感じています。経歴やスキルを重視して採用していたら、こうはなりません。結果として会社も良い方向に進んでいる、そんな感じがします。


ユニークワンの目標は年商1,000億、いや年商1兆円!

ユニークワンの10年を振り返ってみると、いろいろなことがありました。

気づけば売上・社員数ともに父親の会社の3倍以上になっていました。

最初に言った通り、ユニークワンは周りから順風満帆と思われています。

でも、僕は順風満帆とは感じていません。起業当初の計画では、今ごろは年商100億円くらいになっているはずでした。

年商100億円を達成できなかったのは、すべて僕のせいです。

ここまでに挙げて来た「お客様第一主義を貫けなかった」「ルールを大切にしなかった」「採用基準がスキルや経歴重視だった」という失敗をしてしまったからです。

それでも大変な時期を乗り越えて10周年を迎えることができたのは、お客様や退職せずに残ってくれた社員のみんなのおかげです。

特にベテラン勢は長く活躍してくれています。本当にありがたいです。お客様や社員のみんなには心からの感謝しかありません

その恩を返すためにも、歴史に名を遺す地方発メガベンチャーになるべく、これからも頑張って行きます。

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もし今回の記事を読んで「ユニークワンに興味を持った!」という方は、ぜひ採用サイトを見てください。


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