さよならのそのあとで。<遺品整理編①>

母が死後、彼女の住まいの完全退去は、
その3ヵ月後にすることに決めた。
多くの経験者の方から、
「遺品整理は急いではいけない。
自分の心の準備ができたときにした方がよい」
とアドバイスされ、
トランクルーム利用も視野に入れつつ、
準備を進めた。

結果から言うと、私にとっては、
3ヵ月という期間はちょうどよく
時間がたつごとに、
「処分する」と「処分しない」のラインが
少しずつずれていったので、
やはり、多くの方のアドバイスどおり、
早い時期に無理矢理なにもかも
処分しようとしなくて正解だった。

家の大きさ、故人の整理整頓具合、
残された側の心情、使える時間の長さ、
故人と整理する人間との関係性と、
複数のファクターが複雑にブレンドされて、
遺品整理の最善策は、
本当に人それぞれだと思う。

母の場合は、狭い団地住まいで、
比較的整理がされていたのと、
母の家で、日常の仕事をしながら、
私は、空いている時間をすべて
遺品整理にあてることができたので、
なるべく業者をつかわずに、
まだつかえるものは、なるべく捨てずに
有効活用してもらえる場所を探そう、
と決めた。

正直なところ、わたし自身は、
昨今提唱されがちな
「捨てるが美」という考え方が、
あまり好きではない。

ものを整理するのは大切なことだけれど、
ゴミ捨て場送りにするのは、
最後の手段として、
まずは、有効活用してもらえそうな場所を
探ってみよう、と思った。

と、偉そうなことを書いているけれど、
処分に迷って、保留にしてしまったものも
いくつもある。例えば……

1)母の日記、メモ類
これは、いったん、
一切合切ロンドンに船便で送った。
ロンドンで、スキャンして捨てるなり、
そのままとっておくなり、
心の準備ができたときに決断すればいい、
ということで。

2)写真類

画像1

母の若い頃の写真から、母方の家族写真、
父が撮った大量のわたしの子ども時代の写真
(これがなかなかよい構図のものが多い)、
私の小中学校時代の遠足の集合写真など、
写真もとりあえず、全部年代別に
仕分けしたうえで、まとめて船便で送った。
いずれ、デジタル化して保存するのが
いいのかもしれないけれど、
やはり、プリントはプリントのよさがあって、
いますぐ捨てるのはとりあえずやめよう、
ということで。

それらのバラバラの写真とはべつに、
私の成長を記録した、
2冊の分厚いアルバムがあった。
両方に、ほぼ同じ写真が収められていて、
おそらく一冊は母用、
一冊は私が家を出るときに持って行けるように
準備していたのかもしれない。
この昔ながらのアルバムというのが、
恐ろしく重い! 
1冊だけ、アルバムごと持って帰ることにして、
もう1冊は、ナイフやカッターを使って、
そーっと写真だけ剥がして、
持って帰ることにした。

3)卒業アルバム、卒業証書など
小中高大の卒業アルバムに加えて、
しっかり筒に入った卒業証書、
さらには、連絡網や通信簿まで出てきた。
もの自体に執着はないのだけれど、
それを大事にとっておいた母の気持ちに
なんとなく執着してしまって、
とりあえずすべて船便で送ることに。
卒業アルバム、昔の先生はみんな、
字が上手だったんだなあと、
変なところに感心。
正直文章は、あまりうまくない人も
いたけれど。

4)母子手帳とへその緒

画像2

1981年に父の工場用に購入したらしい、
耐火金庫の内側上部に、小さな引き出しが
ついていることに中身の整理をしていて
初めて気づいた。

私と弟ふたりぶんの母子手帳と一緒に、
ちいさな赤いプラスチックの箱が2個、
その引き出しに入っていた。
へその緒である。
考えてみたら、生きている人間の、
一部のミイラ化したものなわけだから、
そこそこ奇妙な風習ではある。

母子手帳には、だれか(看護師さん?)が
家族に向けて書いたと思われる。
「おめでとうございます」のメモまで
はさんでとってあった。

これもまた、
「とりあえず」持って帰ることに。

つまり、ロンドンに戻っても、しばらくは、
遺品整理がつづく、ということになる。

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