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バカの壁 〜著:養老孟司

みなさん、おつかれさまです。
本日は、新潮社から2003年に発刊された「バカの壁」の紹介です。

平成で一番売れた“化け物”新書であり、450万部を叩き出した。
一読すると、著者は考えることをやめてしまった若者に警鐘を鳴らし、価値観を見失った社会そのものに危機感を感じていることがよくわかる。
出版時に比べて、よりデジタル化が進んでいる現在は、より「バカの壁」の中に入り込みやすいのかもしれない。

自分に都合の悪いことは耳を貸さず、情報を遮断する。
いつでもネットで検索できる現在においては、自分の知りたい情報だけを知ろうとする傾向は強くなっているいるともいえるだろう。
このような状態では、昔よりもさらに、「バカの壁」の中に入り込んでしまうかもしれない。

「バカの壁」は、1つの視点や考え方に固執する一元論に起因するという。キリストやイスラムといった一神教は一元論に陥りやすい。

その一方で、日本は多元的な視点をもっており、共同体としてともに助け合う傾向があったはずだ。

しかし、日本でも一元化が進んでいるという。
個人は考えることをやめてしまい、相互扶助の精神が失われた共同体は崩壊しつつある。

現代は、誰もが高くそびえる「バカの壁」の中で、壁の向こう側があることも知らずに暮らしている状況なのかもしれない。

著者の視点から、若者の現状や教育の在り方にも焦点を当てている。
現代の教育の現場は教師まで「サラリーマン」化してしまい、生徒に物事を教える意欲を持ちにくくなっていると指摘している。

医師の視点から脳を研究してきた著者だからこそ、「身体」を忘れた学びの場の現状に、大きな危機感を抱いているのだろう。

本書を一読することで、自分の中の「バカの壁」を取り払い、自分自身や社会の在り方を深く考え直すきっかけとなるかもしれない。

POINT

本当は何もわかっていないのに「わかっている」と思い込んでしまうときに存在するのが「バカの壁」である。

人間の脳は、「できるだけ多くの人に共通の了解項目を広げていく方向性」をもって進化してきた。

「情報化社会」では、変化しているはずの自己を、不変の「情報」だと規定してしまっている。だからこそ、人は「個性」を主張する。

身体を動かすことと学習とは密接に関係している。ある入力をした時の出力の結果によって次の出力が変化するからだ。しかし、その出力、身体は忘れられがちだ。

誰にでもあるバカの壁

バカの壁とは?
「話してもわからない」ということを著者が痛感した例がある。ある夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリーを学生に見せた時のことだ。
勉強になったとの意見が多かった女子学生に対して、男子学生は「保健の授業で習ったようなことだ」という感想を抱いた。
このことは、「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている」ことを示している。「知っている」ということの実態はその程度であり、ここに存在する壁が、一種の「バカの壁」だ。

バカの壁を作らないために


バカの脳

賢い人と賢くない人とで脳の外見は基本的に違わない。利口の要素を何で測るかといえば、それには社会的適応性が関わってくるので難しい。
脳は、組織としては極めて単純なものだ。
脳の仕組みについては「ニューラル・ネットワーク」というモデルで説明がなされているが、このモデル自体もとても簡単な構造になっている。「人間の反応は、刺激に対して神経細胞が反応するかどうかで変わる」という程度のことなのだ。
脳の能力を、抽象的な「頭の良さ」ではなく、客観的に測定可能な「運動能力」から考えると、脳が視覚的な刺激を受けて筋肉を動かす指令を出す過程で、神経細胞を経由するリレーが必要になる。
スポーツ選手は、普通ならばA→B→C→Dと順に進むところをショートカットしている可能性がある。
天才的な人は、そうしたプロセスを省略するなど、脳の働かせ方に違いがあるのだろう。

教育の本質

「若い人を教育するなら、まず人のことをわかるようにしなさい」と説く。
ゆとり教育や自然学習も、結局意味はない。
教育現場が、下手なことをして叩かれるなら、何もしないという状況に陥っているという現実がある。
教師は子供ではなく、上の顔ばかり見ている。
そもそも教育とは、自分自身が生きていることに夢をもっていて、生徒に対して「自分を真似ろ」といえるような人物が担うものではないか、と著者は主張する。

一元論を超克するために

著者の考えは二元論に集約される。たとえばイスラム教などの一元論は、教義が変わらないから信頼される。
バカの壁は、「一元論に起因するという面」がある。バカには壁の内側だけが世界なのであって、向こう側が見えていない。
もともと日本は八百万の神の国であり、単純な一元論は無かった。それが、近代になって、いつの間にか一元論が主流になった。
土地から離れ、基盤を持たない都市の人間は弱い。
楽をしたくなると、人は脳の中の係数を固定したくなる。そうして思考停止すれば、強固な壁の中に住むことになる。
知的労働、ものを考えることは決して楽なことではない。岩壁を登って「知ることによって世界の見方が変わる」ということが、わかる人が少なくなってきた。
一元論を否定するためには、別の普遍原理を提示しなくてはならない。今後日本が拠って立てるとしたら、親しい人間なら殺せないはずだといった「人間であればこうだろう」という普遍性、「常識」だろう。

哲学的な文面が多く少し理解し難いところもありますが、一読してみてはいかがでしょうか?


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