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③生命の味がする絶滅危惧の塩、その現場にある問題

私は、今日で3度目になるこの塩作りの現場訪問を、ゲストとして迎えてもらうつもりはなかった。近くに宿をとって塩作りの全ての行程にボランティアとして参加するつもりでやって来た。あの屈託なく笑う塩作り職人のおばさんたちが、時折見せる陰のある表情。時々、歯にものが挟まったようなぎこちない説明をすること。それらは、核心的な問題を抱えている人の反応でもある。この生命の味がする素晴らしい天然塩を、その塩を育む手つかずの自然環境を守りたい、その気持ちはきっと私も彼らと共有できるはず。
こんなおしゃべりな日本人のおっさんに、彼らが心許して問題を話してくれるのかは分からない。それでも、私はじっくり腰を据えて彼らと向き合うつもりでいる。

塩作りの現場は、塩田の土を一晩かけて濾した海水を煮詰める作業からスタートする。

前日からここに居る、私も彼らと一緒に動く。火入れをして、薪の調節をしたら煮詰まるのを待つだけ。これが4時間ぐらい、その時間は木陰でのんびりしている。ゆっくりと、話を聞く。馬鹿話を交えながら、時々真剣な話をする。私が感じた違和感は何が原因なのか?

・昔は塩作りで賑わっていたが、今でも塩作りを続けているのは4家族だけ
 になった。
・他の人たちは、塩の稼ぎが少ない、後継者がいない、道具が買い換えられ
 ない等の理由で塩作りから離れてしまった。
・50家族を超える構成員による塩作り組合があるが、実際に塩作りを続けて
 いるのは4家族だけである。

ここからが彼らの最大の問題に迫る。
今でも塩づくりを続けている職人は4人とその家族だけですが、海水を煮こむ鉄鍋が地域で2つしかありません。この鉄鍋は直径80センチ・重さは50キロを超える大物ですが、毎日のように海水を高温で長時間煮込むため、金属疲労が起こりやすく、定期的に割れて使用不能になります。早ければ数か月、運よく長持ちしても数年が限界だそうです。
今から20年ほど前に、行政の支援で30個の肉厚の鉄鍋が配布されて安定した塩作りができるようになりました。当時、この鉄鍋の価格は5000ペソほどでしたが、この20年の間に、重くて扱いにくい鉄鍋から、軽くて薄いステンレスの鍋が主流になり、塩作りに必要な旧式の鉄鍋を生産する工房が激減しました。今では1つの鋳造工房だけが注文を受けて作るだけで、その価格は30000ペソにまで高騰しています。現場の鉄鍋は20年の間に定期的に割れて、買い替えができない人から塩作りを断念したそうです。
今、この場所には鉄釜が1つしかありません。予備の鉄釜は他人の所有であるため、割れた場合に弁償が出来ないことから使うことを躊躇しています。

つまり、今使っている鉄釜が割れたら、塩作りが止まるということです。塩作りが止まると、収入を失い、自らの誇りである仕事も続けることが出来なくなります。塩作り職人のおばさんたちは、薄氷の上を歩いているような怖さの中で塩作りをしていたのでした。常に鉄釜が割れることを心配して、大口の受注は断っているそうです。毎日、毎日、今日は大丈夫だった。と鉄鍋が割れなかったことに感謝をしながら次の日を迎えるのです。
塩を作りながら祈っていたわけです。

借り物の鉄鍋、直径80cm重さ50キロ。現在では入手困難です。
唯一、受注生産でAlicia鋳造工房が製造している新品の80cm・50キロの鉄鍋、30000ペソなり。

この話を聞いたとき、私は反射的に言っていました。この塩を多くの人に知ってもらい、鉄鍋を買うための寄付を募ろう!

しかし、問題はそれだけではありませんでした。海水を煮こむための窯も作業をするための藁ぶき屋根も、塩田から染み出した海水を受ける素焼きの壺も必要です。鉄釜はマニラより南の町に、素焼きの壺は遥か北の町にあります。現場に運んでくるだけでも相当な予算を必要とします。

生命の味がする天然塩には、職人さんたちの汗と祈りと願いが込められていました。

この塩を作り続けるために、きっと私にはできることがある。この塩のことを広報して、鉄鍋を買うための基金を立ち上げるつもりです。近日中に。

このマングローブの森を巡った海水で作る天然塩は、職人さんたちの汗と祈りと願いが込められていました。この塩を作り続けたい…と。私はこの絶滅危惧の塩作りを応援したい。


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