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用地職員のお仕事

 河川堤防や道路、電線路、通信線路などの社会インフラを新しく敷設整備するためにはそれらの用に供するための土地が必要です。

 この土地のことを「用地」といいます。

 もともと個人や法人が所有していた土地を、国、自治体や、電気、通信、鉄道会社などのインフラ整備を担う組織(土地収用法では「起業者」といいます。)が正当な補償の下に公共用地として取得(又は使用)することが常です。

 取得しようとする土地に建物や立木などの物件がある場合には、起業者がその移設に要する費用を補償して、よその土地に移転していただいて生活の再建を図っていただくことになります。

 これを、「公共用地の取得に伴う損失補償」といいます。



憲法

第29条 財産権は、これを侵してはならない。

2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。



 起業者の担当者は、私有財産の権利者の方々(土地・物件所有者、賃借権者、担保物権の権利者等々)に直接お会いして、一定の基準に基づいて算出された土地代金と損失補償額をお示しして、同意をいただき、契約を締結して物件を移転していただいて土地の引き渡しを受けて対償となる土地代金と損失補償額をお支払いする事務を執ります。

 そして、その担当者である公務員や会社員を「用地職員」と呼びます。


 僕は、「用地職員」です。


 ある年の春、僕は新しい事業所に赴任しました。担当するのは、この年から新しく始まる道路事業の用地取得。

 房総のとある地域で事業に関する説明会や大規模な測量調査の現地立会に明け暮れる毎日。

 土地に権利をお持ちの皆さんは農協の支店と郵便局を中心とした集落に集中してお住まいでしたので、どなたにお会いしても失礼がないように、それこそ農道を歩く猫にも頭を下げて挨拶をするような日々でした。
 地域の皆様が用地職員の動きに注目しているような大規模な事業・用地取得の現場では、「道にいる猫にも頭を下げる思いで地域の皆様に接してこい!」という先輩の教えを胸に秘めて仕事に当たります。

 地域の皆さんは、そんな僕ら(新任係長の僕31歳と20代の係員お二人)の姿をちゃんと見てくださっていたようです。

 損失補償に関する協議に伺ったお宅では「うちの子供たちもよそでこんなふうに頑張って仕事をしているのかなと思うと協力しないわけにはいかないよね。」と優しいお声をかけていただいたり、説明会の場では「係長さん、ちょっと聞いていいかい。」、「はい○○さん、お答えします。」のようにすっかり顔なじみにしていただいたりと、とてもかわいがっていただいたものです。

 公共事業のために土地を提供したり、住宅を移転しなければならなくなったりといった特別な犠牲を余儀なくされる権利者の方々に対して、事業への協力をお願いする業務に従事する用地職員が、誠意を伴った説明をきちんと行えば、それはちゃんと届くのだ、というとてもありがたい経験をこの現場でもさせていただきました。

 それでも、権利者の方々はそれぞれにさまざまなお考えをお持ちです。僕らのお願いが思ったように聞き届けられるばかりではありません。


 それはそうです。僕らが生きているのは現実社会なのですから、けして平らなものではありません。


 担当している道路事業が予定されている山林(それは里山ともいうべき険しくはない山でした。)の測量作業をしていたときです。

 既に亡くなられた配偶者の方が登記名義人だった土地がその山の中腹にあって、相続権者に当たる高齢の女性の方(仮に「奥様」とお呼びします。)とその娘さんが立会に応じてくださいました。

 奥様と娘さんは都内にお住まいで、この土地には初めて訪れたのだそうです。

 険しくはない里山でも、山道に分け入って、土地の境界を確認することは、高齢の女性にはやや厳しい作業。

 クールで都会的な表情の娘さんは、「仕方ない」というご様子で、美しいヒールから僕らが用意したおしゃれからはほど遠い小ぶりなゴム長靴に履き替えて山に入っていただきました。

 山中で立会を行っている間、僕は山裾に据えたテント張りのベースの中で、奥様に用地取得の流れを説明しました。

 測量調査をして、図面を作成して、損失補償の対象を特定して、土地代金やその他の損失補償額(取得しようとする土地は山林なので、立木や工作物の移転料を補償することがあります。)を算定すること。奥様の場合は配偶者の方の遺産分割協議を済ませていないとのことなので、相続人間で相続持分割合を決めていただく必要があること。相続権者が決まったら、補償額を提示した上で、土地売買契約に同意をいただきたいこと…。

 亡くなられたご主人が何らかの事情でこの山腹の土地を取得したのは知っていたけれど、この土地に来たのは初めてなのだと話される奥様は、僕の話を淡々と聞いた後で、目の前の山を見上げながらおっしゃいました。


 「必要な全ての土地に同じだけの手間をかけて、説明をして同意を取り付けるの。ふぅ、たいへんなお仕事。人の心は平らではありませんものね。」


 「人の心は平らではありませんものね。」


 その言葉が、「あちらを立てればこちらが立たず」という意味なのか、「同じ説明をしても人によっては全く違う受け取り方をする」という意味なのか、それとも、僕が思いつきもしない示唆に富む意味を含んだものであったのか、その時は分からなかったのですけれど、それでも、僕はそのお言葉にものすごい衝撃を受けたのです。

 あのときの山の緑や薄曇りの空を、20年以上が経過した今でもよく覚えています。


 さまざまな考えをお持ちの人々と相対して、土地のご提供をお願いして、同意をいただくことは、平らではない人の心を、誠意を伴ったきちんとした説明でなだらかにすること、と思えたのかもしれません。

 個々の財産を正当な補償の下に提供していただき、その後の生活を再建していただく。その前提として、人の心をなだらかにする手数が不可欠なのだと。

 そして、事業に必要とされる全ての土地を確実に取得することが求められている用地職員にとってその手数はなおさら大切なものなのだと。

 そのような気付きがあった後から、「誠意を伴ったきちんとした説明」を正しく行っていくために、思っていることがあります。


 口にした言葉が、けして嘘にならないようにすること(そのときは本当だと思っていても、後になって結果として嘘になるようなことはけして口にしないこと。)。

 それはとても難しいことだし、予知能力を持ち合わせているわけではないのですけれど、それでも仕事を進める上では、とにかく徹底的に根拠を確認することが大切なのではないかと。

 「これって、通常こうやっていますよね。」と職場の誰かに言われたときには、「「これ」と言われるケースと今手掛けているケースの共通点は何?違う点は何であって、今手掛けているケースに「通常こうやっています」は通用するの?」なんてことをいつも考えます。

 左の物を右に動かす仕事をしているときに、「動かす先は右側のどこなの?右側のここである根拠は?どこでもいいのなら、それはどうして?」とか。

 そのままに口にしてしまうと、こちらとしては意地悪のつもりはないにせよ、口うるさいヤツだと思われてしまうので(もちろん既にの自覚はあるのです。)、まずは自分の中で考えて、具体的な問題点について語ります。

 後になって正確さを欠く事態(結果としての嘘)に陥らないために、大丈夫の根拠を確認しておきたいのです。

 そして、大丈夫の根拠を確認するに当たって、さらに、確認する(した)自分を客観視して見つめ直すことも大切。

 人間の思い込みというものは、とにかく根強くて、それが仕事を通じて身に付けたものならなおさらで。

 いったん思い込むと、頭の中を更新するのはたやすいことではありません。

 それに、勘違いや制度の改正などの情報が絡むと、「正しい根拠」を探し出すのはなかなかにたいへんです。

 自らの責任を果たしつつ、説得性を伴った説明を行うために、「正しい根拠」を確保する。それも、仕事であるからにはなるべく合理的に。

 そのためには、多くの材料に当たって、自分なりの仮説を立て、多くの人と話してみることが最も手早いのではないかと思います。

 それは、「巨人の肩に乗る」なのかもしれません。

 多くの材料や相談できる人たちの意見によって、先達の知見を得て、その高みから見渡す(仮説を元に正しい根拠を確保する)ことって、慣れてくれば、案外手間をかけずに、かつ、容易に自分の思い込みを打ち破ることができる有益な方法だと思うのです。


 用地取得の現場にはさまざまな方々がいらっしゃいます。

 人の心は平らじゃなくて、誰しもがいろいろなことを考えたり、あるいは考えなかったりしています。

 それは権利者の方にせよ、同じ職場の身内にせよ(同じ職場の中であっても、部署が違えば利害が一致しないことは少なくありません。)。

 そんな現場に在る僕らの悩みは尽きないけれど、せっかくやるなら工夫をこらして、できればその工夫をも楽しみつつ、より良いところにたどり着きたい、なんて、そんなことを思っています。

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