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孤独について考えてみた。

人間関係というものは時に糞ほど面倒だ。しがらみだらけのけったいな人間関係に嫌気が刺す。たいていのストレスの原因はこの煩わしい人間関係にある。

故に、中途半端な人とのつながりをもたない孤独というのは、たいへん楽である。孤独になることで自分自身と向き合える。自分の好きなようにやりたいことをして生きる。自分の時間を生きる。下手に誰かと関わることでトラブルに巻き込まれることもない。嫌われることもない。周りに迷惑を振りまくことも少ない。孤独は賢い生き方だ。

以前の僕は、友達に固執して群れることで安心していた。大学2年の夏、サークルの合宿で、川遊びをした時、スマホを水着のポケットに入れたまま、気付かなかった。案の定、そのスマホは二度と起きることはなかった。結果、高校時代の友達の連絡先を全て失い絶望した。同窓会の誘いも来たことが一度もない。悲惨だ。だがまあ大学生の僕は大学で仲良くなった友人と付き合えばいいだけの話だ。環境が変われば、人間関係も変わる。それは仕方のないことだ。人間関係とは、流動的だ。昨日の友が、今日には敵になることだってある。友情を絶対的なものだと信じてしまうと、崩れた時の失望が大きい。そういう時は、仕方ないと割り切るしかない。人間関係に絶対なんて無い。人間というのは、肌で切り離された、それぞれが個別(ユニーク)を持った単体の生き物だ。脳だって切り離されているので、相手が何を考えているかなんて考えても分からないので、考えたところで無駄である。思考は共有できないし、共有したくもない。

人間、誰もが孤独だ。

孤独になるのはとても素晴らしいことだが、孤立はだめだ。孤立とは周りの人間を否定して、周りに頼らず、一人きりで生きてやるって感じの意味だ、たぶん。そうなると、腐った人間になる。身近な人への感謝の気持ちは決して無くしてはならない。

大学を卒業したら、就職をして、いずれ一人暮らしを始める。親元から離れ、自分でお金を稼ぎ、稼いだ金で、ご飯を食べる。これが自立だ。今は、さんざん親の脛をかじり、親のおかげで大学に通えている。孤独とは自立の裏返しだと考えると、僕はまだ真の孤独を経験したことは無いのかもしれない。

未来の自立した僕は僕一人でここまでたどり着いたのではない。たくさん人に迷惑をかけて、助けられて、育てられて・・・。今の自分が存在するのも、多くの人のおかげだ。そこには関係を断ち切った人も含まれている。どれほど人付き合いが苦手な人間でも、人とのつながり無しでは、そう容易く生きていけない。

生きる道を歩くことは非常に面倒だが、道端のそこらへんに「希望」が転がっていたりする。だから歩くことを止めない。

人間、誰もが孤独ではないのだ。

「いや、どっちやねん!」とツッコミたい気持ちを抑えてもらいたい。

要するに人は孤独な時、孤独じゃない時の両極性を持っているのだ。といえど社会人にもなっていない人生たった21年しか経験していない大学生の言っていることが正しいかどうかはぶっちゃけ自分でもよく分からん。

(故にこの記事はうさんくさい)


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