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大人の抑圧は無垢な少女をシリアルキラーに変える【映画「PEARL パール」】

A24制作映画「X エックス」から始まるシリーズ前日譚となる2作目。

エックスについても記事で書いたが、マキシーンの同一の人物と観られた老婆パールの過去編となった。

正直シリーズとしてみると微妙な作品だったが、単一として見ればそこそこ楽しめるものだったのではとは思う。

女性が何を考えているかは基本的には分かるはずはないが、家族が向き合うことを放り出すと大変なことになるのはよくわかる。

あらすじ
1918年、テキサス。スクリーンの中で踊る華やかなスターに憧れるパールは、敬虔で厳しい母親と病気の父親と人里離れた農場に暮らす。若くして結婚した夫は戦争へ出征中、父親の世話と家畜たちの餌やりという繰り返しの日々に鬱屈としながら、農場の家畜たちを相手にミュージカルショーの真似事を行うのが、パールの束の間の幸せだった。

絶望的に困難な母親支配からの対立

今作はなぜあの老婆であるパールが殺人鬼へと変貌してしまったのかを描く作品になった。

時系列は第一次世界大戦中にまで戻り夫は兵士としてドイツに持っていかれたことで、再び逃れたかった実家の農場に戻されたパールは鬱屈とする日々を過ごす。

女優を目指していたのは元々夢だったわけでもなく、病で寝たきりの父の介護と母の抑圧から逃れための大きな対立手段であったからだった。

1作目では彼女の父はテレビで保守思想を説く宣教師である伏線と思っていたが、寝たきりだったことで早々に折られた。もしかするとパールの過去を受け入れた末の夫だったのかもしれない。

父が寝たきりで意識がはっきりしない設定によってパールへの母親の支配がより強調される構造でもあった。

家族観の話としても息子娘問わず、父性からの抑圧から対立することだけで見ればそう難しいことではない。

父親の抑圧と言っても大半は父性的価値観の押し付けで、言葉で対抗することもできるし暴力が出ても応戦することはまだできる。

ただこの作品がいやらしいのは介護状態にさせることで父から物理的に逃れられないことでよりパールの心理の鬱屈を強調させている。

そしてその反対の母親の抑圧に関しては心理的に圧倒し対抗することも困難である。

母の前にはことばで対抗しても無駄であるし、手を出して勝とうとしてもこちら側が自己嫌悪にむしばまれるだけだろう。

平気で夢を踏みにじられても涙ながら「あなたのために」と言われれば勝てるはずもなく、それでいて数分後には何もなかったかのように食卓の話に切り替えられるタフさもある。

パールは結果的に暴力で対抗し一時的に抑圧を消すことはできたが、その後の彼女の心理状態として待っているのは「母親の代理」を探すことになる。

直後はボーイフレンドに見出いしたが家に彼女のアイデンティティーを見た途端豹変され、父親は寝たきりのために厳しい、最後は夫の妹に望みを繋げたが務まるはずがなかった。

そういう意味でパール視点の物語としては三部作通して、母親から逃げ出すための「母親代理」をいつまでも探し続けている話になっていると思う。

ただ母親というタフな代理を見つけることさえ絶望的に難しいのに、あの母親の代理を外に見つけることは彼女が自覚できるまで不可能だろう。だからあの年になるまで豹変してしまった。

老婆になるまで非人間化している理由

そして老婆になるまで殺人鬼として居続けている理由は、あの農場が辺境地だからだろう。

「何をしても罰せられない環境」こそが非人間化したパールの姿を生み出している。

平時では暴力性が見えない普通の人であっても、そういった環境下にいることで虐殺の加害者となりえることは往々にしてあることを歴史でも証明されている。

男性はそうした環境下で人間性を失うと、関係のない他人を無差別に巻き込むことが多いが、女性は逆に知っている人間だけに向かうといわれる。

男の人はパールがなぜ実家の農場や知っている人間たちにこだわるのかと思えるが、女性の暴力は相手に対する強い感情が常に関係しているのだろう。

だから1作目からマキシーンに自分の過去の投影として強調させて見せたのもそのためだと思う。

彼女は最後に自分のクローンに対して母性を試みたが無理だった。パールという人間の動機として筋の通る繋がりに改めて思えた。

暴力性の動機はあまり語られないが、遠目に見れば「罰されない謎の環境」と今作の「母親の支配からの逃避による代理探し」が大きな要因に思えた。


パールにとっての生き残らせた夫の役割

そのうえで最後語られるのは生き残った夫の理由と行った役割だろう。

パールが母親代理探しに捉われて暴力性をふるっているとすれば、彼は何割か彼女にとってそれを担えているのかもしれない。

母親の責務として生理的欲求を満たすことだとすれば衣食住の何割かを満たす役割をしていたのか。

逆に彼女が老婆になるまであの行いを続けていることを考えれば別の役割として生かしている関係性もあり得る。

「パール」では母親と娘、そして妻としての家族観の話もあれば、
同時に女優を目指すことで社会進出も図る女性のサクセスモデルも描こうとする。

そして彼女はどちらも両立させようとしたことで失敗し化け物に変わった。

パール視点で見ると後半は「女性の自立」を成功指針として物語の過程が強調される。

鬱屈とした現状を変えるのは家庭だけではなく仕事も上手くやれるできる女として生きることでないといけないと彼女は母親を見て思っている。

この辺の彼女の価値観の話は設定の時代性関係なく現代に寄せた話にもなっているなと思えた。

そういった社会的指針ができてから女性のサクセスストーリーがアメリカでも増えていたが、それは無理な要求でその落差に精神的に苦しんでいる人が実際に多いところにスポットをホラー調であてたのがパールの姿だろう。

逆に男性の方がそういった成功指針に苦しめられそうになった時ずる賢くスライドさせる技術を持っている。

帰ってきた夫が現代の父性価値観で彼女の真面目さを批評的な優しさの立場で受け入れたとするならあの場で生き残る理由と役割は理解ができる。

この辺は勝手な机上の空論になりそうなので変に書き進めないが、3作目はそこにも向けた完結にするのかもしれない。

https://a.r10.to/hkPaYR


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