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西部劇から読むプレデター。エイリアンほど評価されなかった「プレデターシリーズ」とは何だったのか。【映画・考察】
ディズニープラス独占配信「プレデターザプレイ」による新作の影響か、アマプラでシリーズ全作解放されたので見てみた。
率直に見て感じたのは、同じ地球外生命体を描いたエイリアンよりも時系列設定や背景が曖昧でシリーズとしての深みが感じられないということである。
公開年を見てもエイリアンのヒットから後追いで製作されたのは分かる。
公開はジェームスキャメロンが指揮した「エイリアン2」がR指定ながらSF映画の新境地を示し大成功した1年後に制作されたのがプレデターだった。
当時もSFブームに乗り遅れたことで評価は低かったらしく、羅列されるコメントも「展開に工夫がないことで驚きや深みが感じられない」というような現代の印象と変わらない批評も散見される。
そんな抗えない比較と低評価発進で始まったこのシリーズも批判と再評価を繰り返しながらなんだかんだ現代にいたるまで7作を誇る大作シリーズにもなっている。
改めてプレデターシリーズとはアメリカにとってもどういう作品であったのかを考えながら向き合いたいと思う。
プレデターとは
プレデターは断続的に地球にやってくるエイリアン。 昆虫のような頭部を持つヒト型の生物で、高度な科学力だけでなく圧倒的パワーや木々の上を跳びまわる高い身体能力を持っている。 彼らの目的は狩猟。 高い戦闘力を持つ生物を見つけては戦いを仕掛け、狩った獲物の頭蓋骨を持ち帰るいわゆるトロフィー・ハンター
エイリアンとは差別化されているのはひたすら人間に襲い掛かる怪物ではなく、地球人以上の科学的な技術と知能を持つということであろう。
しかしそうでありながら目的は「狩り」として民族的文化を持つ野蛮な宇宙人であることも新しさとして設定されている。
劇中では「プレデター」として呼ばれたことは一切なく、制作と鑑賞者の第三者の呼称として題されたのがプレデターということになる。
プレデターの面白いところは高い知性によって地球人をなんでもかんでも狩猟するわけではなく、きちんと彼らの意志と基準で選ばれていることだろう。
基本的に殺すのは武力行使の能力を持つ男性である。銃を一方的に構える警察や軍人、ギャングを中心に、2では飛行機で銃を所持した一般乗客もやられている。
逆に弱い獲物と判断できるものは狩らない。武器を持たないものから、子供や妊婦、高齢者や重い病気を患うものはレーザーの照準から判断し狩らない判断を自らできる知性を持つ。
西部劇から読み取るプレデターの表象的文脈
プレデターという単語は日本人にとってこの映画にしか馴染みがなく意味もよくわかっていなかった。
そのままの意味を取ると「捕食者」という訳になるのが一般的だが、他にも「略奪者」という意味にもなる。
またアメリカでは人種差別の用語としてもこの言語が流用されることもあるのだ。記憶に新しいのは現大統領が黒人をスーパープレデターと称した失言をしていたこともあった。
黒人犯罪者に対する差別を誘発する言語として後年では語られることも多い言葉でもあるのだ。
そうした人種差別に繊細なアメリカの文脈に乗せて見えないメッセージ性を探るのも気持ちのいいものではないのだが、
プレデターに狩られる地球人は直接的ではないにしろ女性嫌いだったり、同性愛者嫌いだったりと何かと差別主義の発言をしていることも多い。
プレデターの見た目でも感じる人は多かったと思うが民族文化としての設定はあれど、あからさまなドレッドヘアーの形を見て移民側の立場を象徴していることを無視できる人はいなかったのではないだろうか。
武力行使できる男たちのみを狩猟し、社会的な弱者と言われる人間を「銃の所持だけ」で判断するという知性はある種間接的な彼らの「潜在敵」を狩猟しているようにも見えなくもない。
「プレデター」を科学技術を持つ頭脳で被差別側の歴史によるリベンジに代表させ、「略奪者」として故障し隠ぺいしてきたアメリカ社会の攻防の構図としても個人的には見えなくもないのである。
そしてその同じ構図の歴史背景として読み取れるのが西部劇である。
西部劇のヒット作を辿るとまず黒人はおろか移民などのカウボーイを主人公にした作品は見たことがない。少なくともハリウッドでは基本的に白人である。
ただ南北戦争後の開拓時代には黒人やアジア人種系、スパニッシュ系などの多様なカウボーイは実在していたし、正当な財を築いた商売人なども実際にいたという歴史は確かにある。
カウボーイは唯一人種差別のなかった職業だったと聞くが、その後に描かれるカウボーイ映画史ではB級を除いて多様な人たちが登場することはない。せいぜい給仕役などで背景的な存在で見かけるぐらいだと思える。
黒人なども大勢いた多様な人たちがアメリカの開拓の歴史を築いた歴史はハリウッド映画史によって意図的に排除されたことは事実であり、それによる「黒人はアメリカの開拓に参加していない」という誤った歴史認識が大きくひろまったともされているのである。
そしてその誤った歴史認識の影響は20世紀に渡るアメリカ社会に深い傷跡として残したというのは現代かさかのぼっても否定はできない。
その名残からなる差別による無条件な武力行使による歴史背景や「プレデター」という社会独特の文脈を見ても、
排除されるエイリアンという立場を取って「知性的なリベンジ」として同じ問いを再度アメリカに向けて放っているのがプレデターという存在なのではないかとも見えるのである。
また先述した「女性嫌悪」と「同性愛者嫌悪」の軍人がやられるというプレデターの選択も、ある種アメリカ社会の男性の象徴を意図的に登場させ殺しているともいえる。
この二人の思想もハリウッド映画史から「男たちの象徴の物語」としてアメリカ社会の説話として広げてきた話でもあったりする。
ここも詳しく説明すると長くなるが、開拓時代は街に女性が圧倒的に少なかったことから男性は生物学的な自尊心を保つため、女性を意図的に嫌悪することで男たちの絆を深めたという背景から定着したとされている。
だから女性が活劇として最後まで登場する映画がなかなか出てこないのもアメリカ社会の中心に立つ男性性の潜在的な意識としてあるからとも読み取れる。
そうした男性社会の権化ともいえる地球人をプレデターが狩猟しているという視点でみれば話の面白さを感じられず当時から低評価だったのも当然だったのかもしれない。
一方でアメリカ社会の深い傷にそれまで避けられた刺激を与えたのも確かだったのではないだろうか。
プレデターに駄作が多い理由と散らかしぱなしの謎
プレデターシリーズは以降、基本的に下世話な男が出てくることが多い。キャラクターにあてたストーリーが長すぎて退屈に感じるのも、日本人が見ても嫌なやつが多く薄っぺらだからプレデターが出るまで何も面白くない。
しかしプレデターが狩ることによってそれまでのフラストレーションが晴らされ不思議とすっきりする展開も出てくるのが1からの構造として続いている。
AVPの1作目がシリーズで評価が高かったのも、なんでもかんでも襲うエイリアンに対して、女性だけを肯定するプレデターの相対が非常に上手く日本人が見ても珍しく最後まで気持ちの良いものだったからだと思える。
シリーズとして残念なのは、人間側の話が長すぎてプレデターの生態と背景が表層的なものでしか描かれていないことだろう。
種族としてある程度分かっているのは
・2で所持していた銃の年号表記から18世紀にも地球に現れているということ
・プレデターは世界各国に現れている(プレデターズ)
・紀元前3000年近くから地球にやってきている。人類に建設技術を教え、その代償に成人儀式のための設備を作らせた。(エイリアンVSプレデター)
・新種のアルティメットプレデターが存在する(座プレデター)
他にも細かな習性は描かれているがいずれにしてもプレデターの本質に関する謎は散らしただけで回収されていない。
ザプレデターでは新たな武器も登場し、本格的に人間が脅威として認識し対抗できうる力を得たように描かれて終わった。
最新作はプレデターの過去と未来
ディズニープラスで独占配信された、最新作「プレデター ザプレイ」と「バッドランズ」はそれぞれ過去と未来の話に分かれているらしい。
ザプレイではプレデター2の伏線となった18世紀に地球に現れた謎を回収するようだ。
「バッドランズ」はそこから離れて現代より未来の話になるらしいので、プレデターに対抗する人間と、新たな武器やアルティメットプレデターによるプレデター社会の謎あたりが描かれるのだろうか。
いずれにせよ散らしてきた伏線回収を独占配信しているようではマニアしかついてこない作品になるのだろう。
本質に迫る謎を描くなら限定してせっかく付いてきたファンにも伝える気がないのは残念に思う。
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