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インバウンドから逃れて心を清める京都旅【貴船神社・鞍馬寺(叡山電鉄)蛍を見る夜の上賀茂神社】

先日家族の都合により数年ぶりの京都に訪れた。ほとんどは家族行事による手伝いの日々だったが一日だけ何もない時間ができたので疲労した身体と心を清める旅にできたのでその記録を記したい。

噂に聞く通り現在の京都の繁華街はインバウンド客で溢れかえっておりどこを歩いても8割は占める外国人と既に蒸し暑い盆地を肩を寄せ合いながら歩くことになる。

京の台所もすっかり洋の台所に変わり果てようとしていた。



自転車でそこら中をノーヘルトップスピードで駆け回る移住者も増えてより忙しない街になった一方、街から外れて山に向かっていくと人もまばらでマイナスイオンに満ちる聖域があることを日本人にもまだあまり知られていない。

殆どが山登りと神社巡りの雑記になるが、ごった返した情報の出回る観光地からは外れ、本来の心を清められる京都にしかない旅を望む中年に少しばかり参考になれば幸い。


叡山電鉄「きらら」で出町柳から貴船へ

とにかく繁華街からは逃げるために叡山電車へ乗る。

始発になる出町も古本屋やミニシアターの出町座など文化の残る商店街で一日嗜めるが、古くから残る飲食店や菓子屋などがメディアなどで有名になってしまい観光客も多いと予測し今回は避けた。

目的の貴船へ向け鞍馬線に乗ると、コラボ中の「有頂天家族」のラッピング(矢四郎)で出迎えられる。放送当時は京都人さえも唸るらしいマニアックな京都の舞台背景とストーリーが癖になり、大学受験のモチベーションとして観てたがそれからもう10年が経ってしまったらしい。




乗車した叡山電鉄「きらら」は一般の電車より窓が大きいものが採用され、京の住宅や寺、学校の真横を通る沿線の景色にまったりと走る電車のスピードによって流れる情緒が一体化し現代でも愛される車両となる。


また沿線に続く比叡山から鞍馬に向けては登山道となり、のどかな京の暮らしの景色からは一変し由緒ある自然と豊かな木漏れ日の真ん中を走り抜けていく。
貴船駅を目前に通る「もみじトンネル」は初夏を前にしても圧巻であった。


酷暑の京都から外れた一角、水の神が宿る貴船神社

貴船駅から降りると貴船神社手前の駐車場まで登る京都バスに乗れる。

奥宮と合わせても駅から5キロ以上坂道を登ることになるため、その後の旅を配慮するならば15分に1本ペースのバスで本宮手前までワープすることを薦める。

バスに降りて数百メートル坂を登ると貴船神社に入る立派な鳥居に出迎えられる。


貴船神社は万物の命の源、水の神を祀る全国の水神の総本宮となる。

貴船川上流に鎮座する貴船神社は、賀茂川の水源に祀られていることから水の神様として醸造業、農漁業など幅広い信仰を集めてきました。本殿前には、貴船山からの御神水が湧き出ています。

御祭神であるタカオカミノカミとクラオカミノカミはともに降雨・止雨を司る龍神様であったらしい。

元々雨男かつ気候に敏感な自分にとっては境内を潜ったときから居心地がよく、お参りさせてもらってから大事な用事の時には急に雨が上がったりと相性が良くなってきたのも偶然じゃなく不思議なご縁だったのかもしれない。

また本宮内では「絵馬の発祥地」と言われる2頭の馬の像が建っている。


降雨を願うときは黒馬を、止雨を願うときは白馬を貴船神社に奉納していた歴史から徐々に絵馬に簡素化されていった経緯があったようだ。

神水が流れる近くには水占くじもあり、神水に潜らせて運勢が浮かび上がりどこまでも神秘性にあふれる本宮であった。


貴船=氣が生える根源の地「氣生根」

本宮から出ると奥宮、結社まで続く山道が続く。

沿道脇には貴船川が山間集落を流れ下っており、路を囲むもみじの木と合わさるマイナスイオンがそれまでの疲弊した身体と心を神秘に満たして清められる。


「涼やかな京都」という一見矛盾した言語の並びはこの場においては成立することが分かった。京の川床が季語になるのも理解できるほど今後酷暑と日差しの痛さが続く市内から逃れるにはこれ以上にない場所である。


本宮から15分ほど歩くと奥宮が見えてくる。かつては奥宮が本宮であり、その手前を流れる「思ひ川」は和泉式部に関する言い伝えにより縁結びのご利益もあるとされているらしい。

奥宮の下には龍穴があるらしくパワースポットにもなっている。本宮とは異なる山奥に広々とした本殿の神秘性は身体でしか感じられないそれまでの過程を含めた清らかさがある。

結社は時間の都合上行くことはできなかった。特に神社からは決まりも無い分本宮で帰路に立つ人も多かったがここまでの山道と奥宮本殿までの過程を巡ることを薦めたい。

“貴船”という地名も「気生根(きぶね)」と呼ばれていたそうです。貴船は生命の源である「氣」が龍の如く立ち昇る場所、氣の生じる根源の地、いにしえから多くの人たちに崇められてきた場所なのです。


数時間程度では回り切れない鞍馬寺



貴船神社の外れから鞍馬本殿へ繋がる歩行コースもあったが、流石に疲労が溜まり駅まで戻り電車で隣の駅鞍馬へ向かう。

貴船はインバウンドもまだ少なく観光客もまばらではあるが、細い山道に車で訪れる観光客が行き来するため歩行者側も時おり神経を使うデメリットはあった。

疲労と時間を考慮して日本一短いとされるケーブルカーも駆使し鞍馬山の中にある鞍馬寺本殿へ。

鞍馬寺は源義経が幼少期のころに入山してしばらく仏堂修行を送っていたと言われている。また有名な天狗から兵法を指導されたという伝説も鞍馬山であり各所に天狗の面や牛若丸にちなんだものが置かれていた。

あとは古典を勉強していた人にとっては紫式部、枕草子でも有名だろうか。


本殿へ向かう参道は何通りもあり道中に様々な神社や寺が建っていて、当時の鞍馬独自に至る文化を濃くうかがわせる。入山前の鳥居で手を合わせて唱えており通っているのであろう人もいた。

本殿でお参りをすると菩薩が三身一体となっている本尊が祀られていた。ご本尊は宇宙の真理そのものとも言われているらしくこちらも今でいうパワースポットになっている。

本殿金堂前の修行の場・金剛床は、宇宙のエネルギー“尊天の波動”が果てしなく広がる星曼荼羅(ほしまんだら)を模していて、金剛床の中心に立ち、祈ることで人間が尊天と一体化し、そのエネルギーを感じ取れるとされています。

本殿からは比叡山が真正面に見える場所に位置しており名山が近くに連なる道理と景観のエネルギーに驚かされる。


未だあらゆる景観を保全するために続く京都独特の建設に関する政策の伝統も五山送り火以来に起源が感じられてよかった。

ケーブルカーから往復する短い道中でも空気や景観は素晴らしく貴船同様歩いても清められる不思議な場所であった。

他にも義経が天狗と修行をしたとされる「奥の院参道」なども気になったが流石に厳しかったので機会あれば回ってみたい。


密かに文化が再建されつつあった一乗寺

そのまま下山して駅まで戻り叡山電鉄で一乗寺駅へ。

中づり広告に一乗寺のラーメン街道が有名らしく載っており折角なので降りて食べることに。

遅めの昼食でも空いていて美味しそうだった「高安」で中華そばと唐揚げを食べた。後々親戚に聞いたら普段は行列で入れない店だったらしい。

ラーメンは白みそ風の出汁でおっさんでも食べやすく美味かった。京都の中華は和風アレンジが上手い店が多くて普段中華が食べられない自分にも嬉しい。

唐揚げも有名だったらしいので食べたが一つ一つがデカすぎて2個でも十分だった。(おまけで頼んだよりも大体一つ追加してくれるらしい。)町中華独特の唐揚げの揚げ方はいまだによくわからない。

食後は歩いていて気になった「恵文社」という書店に寄り道。


世界中から本好きが集まる京都の名物書店「恵文社一乗寺店」
https://www.asahi.com/and/article/20171027/300008413/

調べたら海外紙にも選出される読書家の聖地らしいが、確かに店内を歩くだけで感性が磨かれる出会いの仕掛けに優れまくった本屋だった。

本選びやジャンルの細分化だけというよりまっとうな文化に触りたい読者側の意図を汲みつつ一般化して伝えられる本とその隣に普遍性の強い古典的な本を同時に置いている感じがして、どれを手にとっても新しいものに触れられる仕掛けになっていて読書家にはたまらない。

「ミミズの農業改革」や「つくるをひらく」、「橙書店にて」など日常では増えない気になる本が増える書店だった。

その書店の隣にはデカすぎる「スカーフェイス」のアルパチーノとロッドマンのポスターが入り口に貼ってある古着屋があったり、その向かいには洒落て国営局にも紹介されたらしい美味しいパン屋があったり

一見学生街に見える駅では分からない文化と食が入り混じるカオスな街並みになっていておっさんでも高揚できる街だった。


自然の蛍が見える(?)夜の上賀茂神社

有頂天家族の話題で思い出し上賀茂神社を最後に巡った。

正直一日でここまでまわるのはほぼ無理だが個人的なスケジュールとしてこの日しか空いてなかったため無理矢理向かっただけである。

また親戚から「夜の上賀茂は自然発生で見える蛍が飛び回る」と聞いたのでタイミングも丁度よかった後付けの理由もある。

結論としては見えなかった。5月下旬の京都でも既に陽が長く19時を前にしても辺りは明るいので現れず、こちらが根負けして断念した。

公式も特集したり神社でもイベントを組んだりして実際には見えるらしいので、これからの時期、計画的に時間を組める人は行ってもいいと思う。



私から言えるおすすめは19時以降の正門横、川付近である。




京都の人でも限られる渋めのコースらしいが、せっかくの休日にも酷暑の繁華街で雑踏に揉まれたくない私のような人間にはかなり充実した旅になる。

もちろん同じ観光客はいるが割合を占める海外の方にはそこまで気づかれていないため、店で並ぶこともなければ、わざわざ誰もいない早朝を狙っていく必要も全くない。

旅も敢えて外れることができなければ日常からの清めを感じることはできない。









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