見出し画像

「アミティヴィルの恐怖」を元に泥沼化した18回目のリメイク作『悪魔の棲む家 REBORN』を観た

悪魔の棲む家の作品の存在自体は知っていたがアマプラなどでは元祖には中々辿れず、原点リメイクとなるREBORNとその後に住むラッツー家を描いた05年版を観た。

あらすじ
すべての恐怖は、この家から始まった1974年11月13日、ロングライドのアミティヴィルで、一家6人惨殺事件が発生両親と弟妹4人を射殺したのは、23歳の長男ブッチ・デフェオ逮捕された彼は語った『家が、俺に“殺せ”と命じた』

悪魔の棲む家シリーズは1974年アミティヴィルに起きた一家6人が就寝中に射殺された事件を元に描かれている。

犯人として捕まった長男ロナルドデフェオが「家が殺せと命じた」と主張をしたことで、悪魔が棲む家として本や映画で後に語り継がれエクソシストなどの悪魔ブームと共に大ヒットした作品となった。

最新作となるREBORNはリメイク18作目となり、無限に派生していいたシリーズはまた原点回帰として始まりの1作目を描いた話となった。

一作目を観ていないので何とも言えないが、18作目ともなると肝心な悪魔の演出もなければ神父も出てこない。

ただ家族で暴君を振るっていた父を中心にした彼らの家族観の話を軸に進んでいき、その関係で長男のブッチは精神疾患気味であったことやその中で唯一幻覚や布団をめくる程度の小さな怪奇現象が見えていくという

よく言えば古典的でリアリズムに沿った演出ではある。ただホラーファンに受け入れられないのは脚色の少ないかなり地味な仕上がりだからだろう。

リメイクされすぎて脚色されまくった挙句無駄を排除して印象を変えたのがこの作品だった。

元々悪魔をブッチに降霊させてしまったきっかけは妹と遊びでこっくりさんのようなゲームと呪文を唱えてしまったからという話だった。

そして友人もいた中で悪魔を受け入れてしまった長男ブッチ。

「悪魔はその家の中で一番弱い人間に憑りつく」と言われ基本的にどの悪魔映画でも少年少女が憑りつかれる。

今回この悪魔の棲む家シリーズでは、家が元々呪われていたということなのだが、純粋な家庭事情を持っていない家族が皆近づき、最も家で孤立している成人男性が悪魔のささやきに耳を貸してしまう。

だからこそ最後のオチはどれもタチが悪い怨念の結果に終わり、その辺も事件性と相まって1作目は新鮮な反応をされたのだろうと思える。

作品の終盤で妹は家が呪われていたと気づき元々住んでいた祖母に尋ねるが曖昧に返されてあの家と家族の背景は最後まで見えない。

気がかりだったのは父が地下室とあの世は繋がっていると序盤で発していたことぐらいか。その一年後に住むラッツ夫妻の05年版でも再婚相手の暴君を振るう夫が呪いのささやきを聞いてしまうが彼とタイプも似ている。

事実とは別れてシリーズとして追いかけているとあの父が仮に家の呪いの存在に気づいており庭にマリア像を建てたのも納得はいく。ただドキュメントチックなのでいまいちストーリーも見えてこないのは最後まで中途半端な映画に感じてしまう一つの理由だろう。

ここまでくるとリメイクされすぎてファン向けな映画にもなってしまっている。

終盤は結局あの家で一家殺人事件の系譜があったことを妹が新聞記事から知りそのまま実際の事件に繋がっていくが、普通に見ていて怖い要素としてはその部分だけである。

実際にその記事の事件名を調べても何も出てこず、あの家が本当にそもそも呪われていたのかは定かではない話まで出てきた。

1年後その家に住んだラッツー夫妻の話なども映画化されているが訪ねてくる神父も一瞬で退場する脚色なので、なぜ呪われているのかを第三者視点としてその家を見る人間が今になっても描かれない。

そのラッツー夫妻で描かれた映画の設定を「アティヴィルの恐怖」としてブッチの裁判中の弁護士によって書かれたが、注目されすぎて売名等だのでスキャンダル化し原作は泥沼化している。

ブッチも結局有罪となり最後まであの家についての真相を庇ったのは死霊館シリーズでお馴染みウォーレン夫妻だけだったらしい。

それでもラッツ夫妻の主張に沿ったリメイクが繰り返されてるのは底なしとなった事実関係を超えた脚色の違いと衝撃に見せられているのだろう。

これを創作と言うのかは微妙だが、アメコミも作者を超えて出版社が焼き回しして制作している業態なのでむこうにとっては当たり前のビジネスなのかもしれない。

クラシック化するまでここまで誰かが継承していくと流石である。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?