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僕の就活そして僕の人生

僕が就職活動を始めたのは大学3年の6月ごろ。
友達が誘ってくれた就活イベントに参加して就活早期化の事実を目の当たりにし、焦りが募った

少し前に女の子に振られた僕はそれから逃げるように就活を始めた(笑)

僕が通っていたキャリア支援の会社(irodas)の三田さん(ぼくのリクルーターさん)はとにかく自分と向き合わせてくれた(いわゆる自己分析ってやつ)

今までそんなこと考えもしなかった僕は悩みまくった(第一の壁)

今の就活では夏のインターンシップがその後の選考の鍵を握るということで、知っている企業に応募しまくった
なんの考えもなく、優良企業のインターンに通るわけもなく、落ちまくる(第二の壁)

それからもなんとなくで就活を進める

僕の人生観を変えてくれたインターンシップ

インターンの選考に落ちまくっていた中で、僕の価値観を認めてくれた企業のインターンに参加した。

行った内容は自分の”人生理念”を1分間プレゼンし、チーム全員(1チーム5人とメンターさん)の心が動いたら立つ。全員が立つまで永遠と続けるというもの。(なかなか大変でした😅)

そこで確立した僕の人生理念は“感謝”

『今まで多くの人に支えてきてもらったことへの感謝をこれから関わる人に恩送りしていく』という自分の人生観が確立された。プレゼン中に泣きまくってチームメイトに引かれました(笑)(詳しい話は気が向いたらします)

これがインターンで同じチームになった大切な仲間たち

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ちなみに2D3Yというのは2日間のインターンだけの関係で終わるのではなく、3年後(それ以降もずっと)もそれぞれが成長して繋がっていようという意味

今日もご飯に行ってきました。ありがとう。



『本当の僕』と『偽りのぼく』

インターンに参加後、できた僕の就活軸は
『チャレンジする人の成果を作れる仕事』
『同じ思いを持って共に高め合える仲間』
『自分が人に与える価値を高めるための成長』

の3つだった

そんな中、ある企業との出会いが僕を変えた

僕はその会社の三方よしの理念、顧客だけでなく、共に働く社員の幸せも考える。そんな本気で人のためを想う組織性に惹かれまくった

そして、自分の軸を会社に寄せてしまった。(もちろん間違いだとは言い切れない、新たな価値観に触れて想いが変わることもあるだろう)

その会社の選考が進む(最終面接)につれて他の企業が見えなくなった。

僕の場合のそれは決して前向きなものではなかった
「就活を早く終えたい」という想いが一番大きかった。だから、必死で思考を変えようと作り込んだ。必死で現実から逃げようとした。

就活への不安が大きかったため、とにかく結果(内定)が欲しかった

もちろん僕にとってはすごくいい企業だったため、武蔵で働くことができれば確実に幸せな人生を歩んでいたと今でも思う

しかし、どうも自分の中で乗り切れなかった

けど、今更そんなこと言えない、このまま内定もらって就活を終えてしまいたい

そんな気持ちで受けた最終面接
結果は、

“不合格”

理由はわかっていた
対策は十二分にしたが、そんな「うわべの言葉」では人の心は動かせない

全て自分の弱さだ

(第三の壁)

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内定取りの呪縛

『人生ハードモード』一年前に就活中の先輩が言っていた言葉が頭をよぎる

最終選考で落ちてしまった僕に最適な言葉だった

そんな中、高校時代の友人がレッドブルの物物交換でヨーロッパを横断するというとんでもないイベントに挑戦していた

そのPRを行う中で、

『人の人生を本気で応援したい』

そう思った。

これは初めの軸
『チャレンジする人の成果、成長を作れる仕事』
と同じだった

今までもそうやって生きてきて、誰かの成果を作った先にある“心からの笑顔”こそが自分を幸せにしてくれる

早く内定をとりたいという就活の不安から本当の自分を隠していた。

本当に弱い人間だ。

本当にダメダメだ。

でも、そんなこといつまでも気にしていても前に進めない  

強くなる

自分の本当の思いを形作れるように

“ケイスケホンダのように生きたい”

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https://newspicks.com/news/4393344?utm_source=newspicks&invoker=np_urlshare_uid4352932&utm_medium=urlshare&utm_campaign=np_urlshare 
(本田圭佑さんの記事なのでよかったら見てください) 

自分の価値提供によって、人の人生を変えるような成果、成長を作る

これが今の僕の想い

タッキー(レッドブルの子)の挑戦がぼくを”内定取り”の呪縛から解放してくれた。ありがとう。



僕のお父さん

僕のお父さんは小さい会社の経営者

昔から夜遅くまで仕事をしていた。でも、辛いと言ったことは一度もない。「仕事が楽しい」それが父の口癖だ。

もちろん仕事人間かと思いきや、僕が小さかったころはよく野球の練習に付き合ってくれた。仕事熱心で、家族を大切にするそんな父が僕の憧れだ。

一方で、経営者として成功しているかと言えばそうではない。いつ潰れてもおかしくない会社だ。だが、17年間会社を守り続けてくれ、母と3人の兄弟を守り続けてくれた。感謝しかない。

そんな想いから「経営者になりたい」と口にしていた。けど、そこに向かって頑張りきれていなかった。
自分でももちろん気づいていた。別に「経営者に憧れていたわけではない」

経営者として『仕事熱心な父』に憧れていただけだ

本当に自分は弱い人間だと思う。
本当の自分を曝け出すのが怖い。
認められなかったらどうしよう。 

そんな思いで自分を偽っていた。

多くの人との出会い、言葉が僕を変えてくれた

遠回りしたが、やっと自分の答えにたどり着いた

父のような中小企業経営者を支える

それが今の僕のミッション

もうブレない

よし、就活がんばろう💪  

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