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現代社会は今だ形を変えた奴隷社会

カタールのワールドカップが終わりました。
サムライジャパンの戦いぶりに日本国中が熱狂し、また
決勝戦のアルゼンチン対フランス戦も白熱した、非常に
面白い試合でした。
普段は殆どテレビを見なくなった私ですが、この期間は
つい夜中までテレビをつけて観戦する事が多かったですね。

ここ2年半はコロナに振り回されて、世界中暗い世相感に
覆われましたが、テレビで観戦するカタールやその他の国々
の様子を見て、あたかも2020年より前のBefore Coronaの
時代にタイムスリップしたような感覚に浸った方も多いの
ではないでしょうか。つまりあれ、日本と何か違うなあ?と
感じた方が多いのではと思います。
先ず大会を通して、観客も各国の様子にしても日本と違い
今だに国民がマスクをして生活している国など
殆どありません。
日本以外のワールドカップ出場国で今でも国民がマスクして
いる国は、まあお隣の韓国くらいのものでしょう。


純粋に楽しませて頂いた熱い戦いのワールドカップですが、
日本は世界の中で実はかなり特異な状況ではないだろうか?
と少しでも多くの国民が感づいたのであれば、観戦の楽しさ
以上にある意味、有意義な大会であったと言えるのでは
と私は思っています。
それでも相変わらず街行く人の大半はマスクをして生活
されている日本ではありますが。。

それはさて置き、ワールドカップの別の側面を見ると、
この大会を開催するにあたり、約10年間の間で建設現場で
働く労働者の実に約6,500名が命を落としたと言われて
います。
一年を通して暑いカタールでは、暑い時期の気温は40℃
を超える灼熱地獄となります。
その状況下でも、ワールドカップに何が何でも予定施設を
仕上げる必要がある、建設現場で働く方々はきっと健康管理
にも優先して、過酷な労働をおそらく要求されたものだろうと
推測されます。
カタールやお隣のUAEなどGCG諸国と言われる中東諸国は
実は元々多くの人口を抱える国家ではなく、これらの労働を
支える多くの人々は、オイルマネーで潤う国家がお金の力で
呼び寄せた世界各国からの労働者によって支えられています。
建設現場などの労働者の多くは、インドやバングラデッシュ、
ネパールなど、またホテルやレストランで働く労働者は
フィリピンと言った具合に。
それでもそれらの国々の低所得者にとって、出稼ぎ労働で
稼げるお金は自国で得られる賃金より遥かに高いという事で
実に多くの労働者達が、これらのGCG諸国で働く事を
目指して、エージェントを通じ職を得て出稼ぎ労働者と
して滞在しています。
日本も私が子供時代であった高度成長時代は、多くの
出稼ぎ労働者が地方から都市部へ流入して、建設現場等で
働いておられた記憶が私にもあります。
私が子供時代にも、新たに開通したトンネル工事などで、何名
の方が命を落としたといった話をよく聞いた記憶があります。
それにしても、ワールドカップ準備のために6,500名が命を
落としたというのはやはり尋常な数字でないと感じざる
おえません。

以前色々なビジネス案件でこれらの国々を度々訪れた経験のある
私ですが、約5年前に彼ら出稼ぎ労働者の実態を垣間見た出来事
がありました。
当時私が契約して販売窓口として関わっていた、ある特殊な国産
トレーニング機器の斬新なデザイン性などに、これらのGCG諸国
の富豪の目が止まり、たちまち一台1,500万円程する機器が
あっという間に20台ほどの成約が成立しました。
成約が成り立つまではよかったのですが、さあそれからが大変。
成約したからには1日でも早く機器を導入せよとのプレッシャー
は凄まじいものでした。
国内の小さなメーカーで手作りで製造するには、時間的に
いくら急いでも限界があります。ようやく仕上げると通常は
数週間かけて船積みで納品するのが一般的な配送手法ですが、
兎に角お金の問題ではないので、1日でも早く納品しなさいと、
現地窓口になった業者からの要望に高い航空便配送を行い、
要求通り設置のため一人の技術者を同行してアラブ首長国連邦、
UAEへ続いて渡航しました。
そして指定された首都アブダビへ。
時間もなく、そして設置する具体的な場所情報も何も業者から
事前に知らされる事もなく、現地入りをしました。

そして訪問して初めて知らされた設置場所は、なんとUAE
大統領府の中にある、大統領親族が住われるところだった
のです。
つまりそのトレーニング器材は大統領御親族が使用する
ものだったと初めてその時聞かされたのでした。
道理で、事前にいくら設置場所等の情報を教えてくれと
交渉しても、兎に角早期に来てくれと言われるばかりだった
という事が、その時初めて理解出来ました。
大統領府の内部の設計図などは機密情報であるため、外部には
決して教える事など出来なかったわけなのです。

来たからには任務を遂行して帰るしかないので、私と技術者
は分厚い壁に囲まれた大統領親族が住われる大統領府の中へ
意を決して入って行きました。

入り口の厳重なセキュリティーを通り、パスポートを要求される
通り預け、内部へ入りました。
そして中で待っていた担当者と共に内部を案内され、そして
広い敷地内のどこに設置すれば良いか? 打ち合わせを行い
ました。
実は特殊な水を使うトレーニング機器は、タンクもあり予想以上に
場所を取ります。広い大統領府内とはいえ、おいそれと設置出来る
場所が見つかりません。

ようやく設置場所を見つけ、内部にいる主にインド系の技術系
労働者達と共に、設置を徹夜に近い形で完了しました。
なんとかかんとか試行錯誤をして設置完了した器材ですが、
あまりにも付け焼刃の仕事であったため、あそこが、ここが
氣にいらないと、内部の担当責任者のお目にかからないのです。
最終的に彼らが要望した通りに改善をしなさい、それまであろう事か
ここで滞在しろと言い出したのです。
私はいやちょっと待ってくれ、技術者も一人しかいないし、部品
もないから無理である。一度日本へ帰って本社で検証して出直す
しかない。何より滞在したホテルに着替えも全て放置している
から、何はともあれ一度はホテルへ帰らせてくれ、と嘆願して
も聞き入れられません。

その時氣づいた事は、なるほど我々は大統領親族の前では単なる
一奴隷に過ぎないのだという事でした。
内部にはおそらく100名はゆうに超えるであろう、出稼ぎ労働者達が
あらゆる仕事をする為に内部に滞在しています。
皆何種類かに色分けされた制服に身を纏い、彼らも私と同様、
パスポートを担保に取られ、許可ない限り外部に出る事は
許されない、果てしなく言わば奴隷に近い労働者なのです。
私も彼らと同じ様に食堂へ行って食事は与えられましたが、
着替えもないし、歯磨きも出来ない。 持ち合わせが何もない
からシャワーを浴びる事もできません。
彼ら出稼ぎ労働者が色々と氣を使ってはくれましたが、最早
日本人としての尊厳など全くありません。
このままではどうしようもない、何とかしなければ、と考え
ても選択肢として考えられる方法はそう多くはありません。
先ず日本の依頼元であるメーカーに連絡を取り事情説明を
して、アグダビにある日本領事館へ我々が軟禁状況にある
から助けて欲しいとコンタクトを取って貰いました。
そして帰ってきた答は、簡単に軟禁などと言わないでください、
外交問題になるからとの返答でした。
外務省などが実は頼りにならない存在と認識していましたが、
ものの見事にその現実を目の当たりにしてしまったのでした。

このままでは、着のみ着のままでいつまで塀の中に
いなければならないのだろうか。
もしやまさか役立たずであるからと抹殺されないだろうか?
と嫌な意識も頭によぎります。
何より、一緒に来た若い技術者は日本にいる奥さんが安否
を心配して、泣き崩れているとの事。
この状況を何とかしなければならない。
もう塀の中に入って3日が過ぎようとしていました。既に
帰国を予定していた航空便の期日を越えようとしていました。

私は何とかしなければならないと必死で考え、思いついた
のが同じく商品を購入をしてくれて、以前面識のあったロイヤル
フアミリーと言われる王族の家系であり、王族としては
珍しく自身でロールスロイスを運転して迎えに来てくれた
氣のいい親日家の男性の事でした。
彼であれば、力もあるし何とかしてくれるのではないだろうか?
と思い彼に事情説明のメールを送りました。

そうすると何時間か後に責任者達が現れ、私に何をしたのか?
と怒りの様相で問いただし、私の通信手段全てを取り上げて
しまったのです。
これで万事休す。全ての脱出手段が途絶えたか、と絶望の
縁に追い落とされました。

そうすると更に何時間か経過した時、責任者達が再び私達の
ところに現れました。
そして開口一番ホテルに帰りなさい、と塀から出る事を
言い渡して来たのでした。
ロイヤルフアミリーの彼が、どうやら何を日本の友人に失礼な事を
するのだ、とでも言ってくれたのでしょう。
ただし条件が付き、一晩ホテルで休んだら翌日はもう一度
塀の中へ来なさいと言うのです。

私は一先ずわかったと返事をして、ホテルへようやく3日ー4日
ぶりに戻る事が出来ました。
しかしそこには言わば我々を監視しているエジプト人の
仲買業者も滞在しているのです。
私は朝合流する約束を交わし、そして日本人技術者と日本語で
耳打ちしました。
彼らがまず起きてこない早朝5時にこっそり脱出しましょうと。

ホテルで一休みした後、予定通りタクシーを呼び、ホテルの
フロントに念のため口止めをして、一路アブダビからドバイへ
早朝に脱出をしたのでした。
しかし日本へのフライトは夕刻の便。空港などに滞在していると
いつ追ってがやってくるかわかりません。
ひやひやしながらフライト時間を待ち、ようやく搭乗する事が
出来、日本へ帰国する事ができたのでした。

その僅か2〜3日後に、仲買業者であり我々を偽って大統領府
へ導き、大変な目に合わせたエジプト人経営の商社の
責任者2名が我々を追って日本へやってきました。

自分達が招いた種であるのに、ふてぶてしくこの顛末を
どうするのだと、問い正しにやって来たのです。
話し合いをしながらも私は腑煮えくりかえり、日本
の土俵なので、今度は私が彼らをよほど軟禁してやろう
かと思ったものです。
勿論常識的に考えればそんな事はできる訳はないのですが、
我々は普通で考えれば想像も出来ない人権を無視した
目にあわされたのでした。

勿論大統領が部下達に対して、設置が完璧に完了するまで
塀の中に日本人を閉じ込めろと要求した訳では恐らくないでしょう。
想像するには、間に入ったエジプト人業者と内部の責任者達が
保身のため、我々日本人に全ての責任を擦りつけるために
取った処置であったであろう事です。
つまり絶対的権力者である大統領の前においては、ある程度
地位のある人間から労働者、そして我々の様に海外から来た
納入業者に至るまで、ある意味奴隷に過ぎないという事で
あるとこの経験を通じ納得をした次第です。

日本の労働環境は中東出稼ぎ労働者の様な環境では無きに
しろ、この3年に渡るパンデミックを通じ、国が要求する通り
明らかに不条理でしかない感染症対策やマスクの義務化、更に
危険とわかっていながらも、生活の糧である仕事と金銭を守る
が故に従い、ワクチンを射ってしまわれる大多数の大衆の
姿を垣間見て、私は世界は未だ形を変えた見えない奴隷社会
であると改めて衝撃を持って実感した次第です。

6,500名以上の死者を出し作り上げられたカタールの競技場。
そこで繰り広げられた白熱した試合に、私も含め世界中の
大衆が熱狂したわけですが、その姿にダブってしまうのは、
中世ローマ帝国時代に大衆を熱狂させたコロッセオ。
当時奴隷が剣闘士として、猛獣と闘うなどに生臭い競技も
行われた様ですが、そこにはパンと見せ物を大衆に与える事
で政治的関心から意識を遠ざけると言う為政者の意図があった
と言われています。

方や現代社会の世界は日本とは違い、既にコロナパンデミック
というものは過去に起こった出来事になりつつある世界の
国々ですが、確実に世界に行き渡ったワクチン接種により、
これからも被害はきっと拡大していく事でしょう。
ワールドカップには、それらの事象から大衆の関心と不満を
少しでも逸らす意図が、為政者達の中にはきっとあったに
違いないだろうと、あらゆる事に疑い深くなった私は
どうしてもそう考えてしまうのです。









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