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『街とその不確かな壁』第一部

『街とその不確かな壁』の第一部を読み終える。

ネタばれで第一部の内容を簡単に書くと、17歳の私と16歳の彼女の恋愛と失恋(彼女が消えた)物語。 本好きな高校生の純愛の交際の描写と、彼女が語り私が記録していく壁の中の世界の話が、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の様に交互の章で語られる。最後の結末の意外さと不透明さが初期の村上春樹の作品で独特の余韻と読者の想像を残していた。こんな感じで久しぶりの初期の村上春樹の作品を堪能出来たが第一部を読み終えた感想。

今回は第二部、第三部まで同じ一冊の本に入っている。本の後書きを読むと、最初はこの第一部のみで小説は終わっていたが、半年後に第二部以降を書き始めたとの本人の説明がある。第二部、第三部まで読み終えて、第一部の突然の結末の意外さと少しわかり、推理小説であればすっきりとした部分もあるが、第一部だけでも良かったのではとも思ってしまう。

高校生の純愛の描写が好きな訳ではないが、村上春樹の『喪失』したクールな描写が好きで、1979年の『風の歌を聴け』から同時代で読んできている。今回の第一部で印象に残ったフレーズは、『大学一年生の夏休みで全ては終わった。後は、余生を生きている』。 第二部の主人公(だれが主人公?)の喪失の話は私にとっては現実的過ぎてついていけないところもあるので、高校生の時にこんな純愛と全く無縁だった私にとって第一部は非現実的なお伽話の話なので。

初期の話になるけど、1979年に『風の歌を聴け』でのデビュー当時は、1960年代末期の学生運動とか先進的な芸術活動に対する『喪失』を表現した新しい作家との紹介が、所謂、文壇、文芸誌の説明だったけど、同時に『宝島』とか、『BRUTUS』で発表したり、『日刊アルバイト・ニュース』でのエッセイとか、伊藤重里、林真理子とかと同じような、ポップなカルチャーの西武文化の人だったけど、本当はドストエフスキー、太宰治と言った昔からの文学者と捉えていた。

最近になってジャズが分かってきたかなと思うところがあって、ジャズの聴き方で村上春樹の小説の読み方を表現すると、純愛の描写の部分はジャズのスタンダート曲のテーマの部分で、All of Youの様に曲のテーマは大衆的な映画の主題歌をそのまま引用している部分で、アドリブの部分が小説の中の粗筋を展開させた大部分を占める文章で、この文章の上手さが村上春樹の小説の特色と考えている。

なので、第二部はアドリブの部分は楽しめたけど、粗筋、テーマが私にとってはヘビー過ぎて、楽しめなかったと思う。


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