見出し画像

間接税が間接税に「見える」ワケ

消費税やガソリン税などの間接税は、買う人が負担すると思われていますが、実はそれは錯覚です。左側の絵は錯覚を起こす有名な図で、水平な線の長さは同じです。同じだと言われても、どうしても下の方が長く見えますよね。横についているヒゲのせいです。

でも、右側の絵のように縦に線を引くと、それが物差しになって、同じ長さだとわかります。このノートでは、この縦線のように、間接税の錯覚を払拭できる物差しを与えてみます。

間接税とは

商品を売る人に税を課したとき、売る人は商品を値上げして、買う人に税金分を支払わせる。この仕組みを間接税と言います。これを、売り手に課した税が買い手に「転嫁」されると言います。

商品がリンゴだとしましょう。新しくリンゴ税ができて、リンゴを1個売ったら売り手は10円を納税しなければならないとします。もしリンゴを前よりも少し値上げして売ることができれば、その分だけ売り手の税金の負担は減ります。逆に買い手は前よりも少し多く払うことになりますから、その分だけ税金を支払ったように見えます。値上がり分が「転嫁」された、と言われる状態です。

でもこれは錯覚です。正確に見るために、利益不利益という物差しを使いましょう。

経済活動での利益と不利益

間接税でない税は直接税と言って、税金を納めた人が負担することになっています。例えば所得税は、給料を稼いだサラリーマンが、稼いだお金の中から税金を払うので、納めた人が負担する税、つまり直接税です。

サラリーマンが1万円を所得税として納めるとき、お金をもらうのは政府です。サラリーマンは1万円を手放し、政府が1万円を手に入れる。これは、サラリーマンにとって1万円の不利益で、政府にとっては1万円の利益だと言っていいでしょう。政府の利益のためにサラリーマンが不利益をこうむるから、サラリーマンが税を負担したことになるわけですね。

経済活動にはこのように利益と不利益があります。道で100円玉を拾ったら利益でしょう。150円で買ったソフトクリームをドブに落としたら不利益です。こういう出来事に税金はあんまり関係ありません。税金がからむ出来事を、利益と不利益で見てみましょう。納税のように、お金を受け渡すという出来事のほかに、税金に関係ある活動には次のようなものがあります。

・労働。働くことですね。
・商品の提供。何か商品を売ってお金をもらう活動です。
・サービスの提供。商品とは違って、形のないものを提供する活動です。例えばタクシー業などがそうです。

(このほかに、お金の貸し借りに関する活動も税金に関係しますが、間接税とはあまり関係ないので省きます)

まずは労働について考えましょう。もしも労働したのに給料がもらえなかったらどうでしょう。タダ働きです。タダ働きは損なので、不利益と言っていいでしょう。

ひとことで不利益と言っても、程度があります。どのくらいの不利益でしょうか。何を尺度にしましょう。労働時間では働く内容によって不利益の大きさが違ってきそうです。

経済活動なので、金額で測るのが便利ですね。ある仕事をして、給料がもらえなかったときの不利益は、普通にもらえるはずの給料で表わせそうです。10万円相当の労働をして、給料が払われなかったら、10万円の不利益だと。ちゃんと払われれば、働いた分に相当するお金をもらうので、不利益はないわけですから。

逆に、自分のために働いてもらうほうにとっては、その労働をタダで手に入れられれば利益です。その利益の大きさも、普通に払う給料の額で表わせるでしょう。それを払わずに人を使えたなら、その分だけ得したと考えられます。

次に商品の提供について。ある商品を相手に渡したのに、代金をもらえなかったら、不利益になります。この不利益も金額で表わせるでしょう。労働の場合と同じように、本来はもらえるはずの金額分だけ不利益をこうむった、と。値段が100円のリンゴを渡したのにタダで持って行かれたなら、100円の不利益と言えます。

逆に、リンゴをタダでもらったら、その値段分だけ利益を得たと言っていいでしょう。

サービスの提供も同じです。タクシーに乗せて800円分走ったのに支払いがなければ800円の不利益、タクシーをタダ乗りしたほうにとっては800円の利益と言えます。

これで経済活動での利益と不利益を金額で表わせます。お金を受け取るのはその額の利益、お金を渡すのはその額の不利益です。労働、商品、サービスを(対価をもらわずに)提供するのは、それに相当する額の不利益で、それらの提供を(対価を払わずに)受けるほうにとってはその額の利益です。

市場取引では利益も不利益も起きない

ここで言う利益と不利益について、とてもすっきりした公式が導けます。それは、

市場取引では、利益も不利益も発生しない

というものです。

市場で商品が売買されるとき、売り手は商品を手放します。このときの売り手の不利益は、商品の値段で表わされます。しかし同時に、売り手は対価として値段分のお金を手に入れます。これは利益です。不利益と利益の額は同じなので、相殺されて、売り手には利益も不利益もありません。買い手にとっても、お金は支払いますが、その値段分の商品を手に入れるので、不利益と利益の額は同じで、ちょうど相殺されます。

サービスの売買についても、労働の売買(働くことは労働力を売ることです)についても、同じようになります。

この利益と不利益という物差しを使って、間接税で何が起きているのか見てみましょう。

間接税で何が起きるのか

1個当たり10円のリンゴ税があるとして、いま仮にリンゴの値段が100円だとします。

1個のリンゴの売買で、売り手には次のことが起きます。

・リンゴを1個手放す――100円分の不利益
・対価をもらう――100円分の利益
・納税する――10円分の不利益

トータルで10円分の不利益です。

買い手は次のようになります。

・リンゴを1個手に入れる――100円分の利益
・対価を支払う――100円分の不利益

トータルでは利益も不利益もありません。

よって、リンゴ税によって、政府の利益のために不利益をこうむるのは売り手であり、だからリンゴ税は売り手が負担しています。

リンゴが105円だったらどうでしょう。売り手は、

・リンゴを1個手放す――105円分の不利益
・対価をもらう――105円分の利益
・納税する――10円分の不利益

トータルではやっぱり10円分の不利益です。買い手は、

・リンゴを1個手に入れる――105円分の利益
・対価を支払う――105円分の不利益

なので利益も不利益もありません。

リンゴの値段がいくらだろうが同じです。売り手がいくら値上げをしてリンゴ税を買い手に支払わせようとしても、税を負担するのは結局、売り手自身です。

錯覚の原因

間接税という錯覚が起きる原因がわかったでしょうか。リンゴ税がないときにリンゴを買うために払うお金が(例えば)100円で、リンゴ税があるときに払うお金が105円だから、その差額の5円が買い手の負担である、と言うときには、お金しか見ていません

経済活動で動くのはお金だけではありません。もしお金だけしか見ないのなら、タダ働きをすることは、お金がまったく動かないのですから、働いた側にも働かせた側にも何の利益も不利益も生じないことになってしまうでしょう。これはナンセンスです。

間接税が課されたときに売り手が税額を価格に上乗せして税負担を買い手に「転稼」すると言われるとき、実際に起きているのは、売り手が「より値段の高い商品を手放すという不利益」をこうむり、「それにちょうど相当する対価を手に入れるという利益」を得ることです。その取引によって売り手にも買い手にも、トータルでは利益や不利益が生じないのです。

考えてみれば、市場取引は自由意志で行なわれるのですから、売り手も買い手も自分に不利益になるような取引をするはずないですよね。

間接税が間接税に「見える」ワケは、私たちがお金しか見ていないせいです。お金は額がわかりやすく、商品やサービスや労働の受け渡しによる利益や不利益は大きさがわかりにくいものです。だからつい、「税があろうが無かろうが同じリンゴの受け渡しなら同じだろう(利益や不利益は変わらないだろう)」と何となく考えて、お金が多いか少ないかだけを見てしまいがちです。実際には、リンゴの受け渡しによる利益や不利益の大きさは、リンゴ自体は同じものでも、税金を含めたそのときの状況によって変わるのです。

見やすいお金だけを見るのは、錯視の図でヒゲに惑わされるようなものです。縦線を引いて比べるのと同じように、お金だけでなく、商品・サービス・労働を受け渡すのがどれだけの利益・不利益なのかをきちんと考えれば、市場取引では売り手にも買い手にも、利益も不利益も発生しないとわかります。

だから、税負担が取引で「転嫁」されることなどありません。間接税というものは、存在しない幻なのです。

(2019年3月27日 誤解を防ぐために表現を少し改善しました。「ここで、」→「ここで言う」)

ありがとうございます。これからも役に立つノートを発信したいと思います。