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瞑想で「多動」をなおせるか?(「サーチ・インサイド・ユアセルフ」感想)

※注意 ここでいう「多動」とは「集中力の無い様子」や「小さなことに心乱される様子」を表しています。そして、極めて私的で主観的な意味です。ADHD等の正確な定義によっていないことを最初にご承知願います。

(このテキストには二つのパートがあります。

1.本の紹介、感想

2.隙自語(隙あらば自分語り)←題名になってる話はここでします。

大抵の人には1だけ読むことをお勧めします。2まで読んでくれる人はとてもやさしい人です。ありがとう。)


1.本の紹介、感想

こんにちは!

いきなりですが、まず最初に、この本をすごく端的に、かつ勝手に要約すると「Googleのエンジニアのおっさんが瞑想を用いて『幸せになろう!』と訴える話」です。

皆さんは「瞑想」と聞くとどんなものを思い浮かべるでしょうか?

「あーあれでしょ。お坊さんがやるやつ。」

これはまさしく正解ですが、ここではちょっと違います。(私も最初はこういうイメージだった)

ここでいう「瞑想」とは「マインドフルネス」と呼ばれるもののことを指しています。

「マインドフルネス」とは以下のようなものです。

マインドフルネスとは、特別な形で注意を払うことを意味する。それは、意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁に注意を払うことだ。(本書144頁より。詳しい引用元もそこにあり。)
———ジョン・カバットジン(「マインドフルネスストレス低減法」を広めた科学者であり、瞑想家)

これが最も端的な定義な気がしますが、もっとかみ砕いて言うと「どうにもならない過去や未来にクヨクヨしないで、今、この瞬間に集中しようよ」という話です。

「夏休み最終日、課題が1つも終わってない!」という状況を想像してください。

あなたの頭の中にはこんな思いが浮かんでいるのではないでしょうか?

「やばい。課題を提出できないと先生に怒られる(成績が下がる)!」

「あー、なんでもっと早くから手をつけなかったんだ……」

「こんな当たり前のこともできないなんて、自分はなんて駄目な人間なんだ……」

と、まあこんな調子ではないでしょうか?(これは私の実体験だから、みなさんは全然ちがうかも)

これでは過去や未来にとらわれ、イライラしてばかりで終わる課題も終わりません。

「マインドフルネス」というのは、「無駄にイライラするのはやめて、今できることをしよう!」というように、「現在」に集中することを指します。(この場合できることは答えの「写経」だけかもしれないが)

そして、この「マインドフルネス」の力を鍛えるのが「マインドフルネス瞑想」です。

具体的には、呼吸に意識を集中させることを目指して、意識がそれては戻し、それては戻し、を繰り返す「呼吸瞑想」などがあります。心の筋トレみたいなものですね。

サーチ・インサイド・ユアセルフ」(チャディー・メン・タン著)では、この「マインドフルネス」の考え方を活かしてEQ(知能指数)を育み、仕事や生活を充実したものにすることを目指したGoogleの研修プログラム「SIY(Search Inside Yourself)」が紹介されています。「SIY」はとても科学的に組み立てられており、もととなった論文もしっかりのせられているので信頼感があります。(もちろん、ぜったい正しいとは言えない)

さあ、きっと、ここまで読んでくれた人は冗長でヘタクソな私の「マインドフルネス」の説明でお腹いっぱいでしょうから(私も疲れた(笑))、この本で「SIY」を知ることによって得られるであろう良い点を並べて紹介を終わりましょう。

1.自分の内面について知ることができる(集中力、自信、自己統制力、モチベーションの強化方法

2.1を人間関係で活かす方法を知れる(共感力、リーダーシップ、社会的技能

自分の能力や人間関係で悩んでいる人はぜひ読んでみてください。プログラムを一切実践しなくても読むだけで効果があるそうですよ。(かくいう私もほとんど一読しただけ)


読んだ感想をちょこっとだけ述べます。

この本の一番良かった点は、チャディー・メン・タンさんのユーモアあるジョークです。

グーグルでも「陽気な善人」と呼ばれているらしいメンさんの語り口は、確かにユーモアに富んだものでした。

彼の出だしがこうです。

世界一幸せな人はどんなふうに見えるだろう?私にはぜったい似ていないはずだ。(本書28頁)

なんやねん(笑)

この柔らかな語り口によって多少難しい話でもスルスルと読めます。(逆に、悪い点を述べるとしたら、彼の個性が強すぎるところか)


2.瞑想で「多動」をなおせるか?(隙自語タイム)

最初の※注意でも言ったように「多動」とはまさに私のことである。私は以前から、自分が集中力の無いことや、ちょっとしたことに敏感であることを感じていた。

例えば、課題をしなければいけないのに大抵はスマホをいじって期限すれすれまでやらない。(図書館に自習に来て、別の階で本だけ読んで帰ることも)

そんな調子で行き当たりばったりで行動するので待ち合わせは大体ギリギリか遅刻。

他人のちょっとした発言が気になって一日中クヨクヨしたりイライラしたりしてることもしばしば。

そのくせ、妙に真面目で完璧主義で、自分のことを卑下しては落ち込む。(自分のこと「多動」って呼んじゃったりね)

そんなこんなを気にしながら生活していたら、この春出会ったのが「マインドフルネス瞑想」である。

きっかけはたまたまYouTubeでみたメンタリストDaiGoの動画だったと思う。(正確に覚えてないからURL貼れなくて申し訳ない)

なんか、集中力が鍛えられるってきいたから、軽くネットで調べて、おすすめされたアプリを入れてすぐ試した。単純。(でも、ほんとに簡単だから試してみてほしい)

主にやっているのは、さっき説明した「呼吸瞑想」で、1日10分取り組むことを目指した。(実際のとこ↓)

(アプリ(Appleのみです)→ https://apps.apple.com/jp/app/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC-%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/id1405989124)

さて、その結果の結論だが、「瞑想で『多動』をなおせるか?

答えは、限りなくYesに近いNoだと思う。

まず、Noだとした理由から説明したい。

人間の性格は50%が遺伝子、残り50%が人間関係で決まるらしい(ソースが示せんから断定できん。めんご。)そう考えると、ちょっとやそっと瞑想したぐらいでは「スグ解決!」とはならないのは納得だろう。

しかし、マインドフルネス関係の本を気なしに読むと、瞑想が「人生を根本から改善するような魔法の方法」のように感じられることも少なくないだろう。科学的根拠付きで効能をバーーーーーーーーっと示されると瞑想は万能薬のように思えてくる。

では、なぜ「No」だとするのか?それは、瞑想が「気づきの訓練だから」である。

瞑想をしてみて一番強く感じるのは、「自分の意識がいかに放散しがちか」ということである。これには最初へこまされる。

しかし、それに「気づいて」、自分を責めずに静かに修正するという訓練(すなわち瞑想)を繰り返すと、この経験が現実世界にも活きてくるのが感じられる。

たとえば、オンライン授業を受けなければいけないのに、うっかりスマホをいじっていたとしよう。

そのとき、以前の私(もしかするとあなた)なら、時間いっぱいスマホをいじったあげく、「うわぁ、授業を受けなきゃいけなかったのにスマホで時間を潰してしまった。自分はなんて駄目な奴なんだ。」と考えたことだろう。(別に今でも多少思うけど)

しかし、「マインドフルネス」に親しんでくると、まず自分が無意識にスマホに手を伸ばそうとしているのに気づきやすくなり、「つい習慣でスマホを持とうとしちゃったけど、今はその時間じゃないな。やめとこう。」と思えるかもしれない。

また、たとえば、親に頼まれていた家事をやり忘れたせいで、猛烈に怒鳴られていたとしよう。(「おまえはどうしていつもこうなんだ!」)

以前の私(もしかするとあなた)なら、100%即時応戦。口論になるだろう。(「いつもじゃないでしょ!」)

しかし、「自分の情動に気づいて立ち止まる(必要があれば戻す)」ことが習慣になっていると、(つい過剰に攻撃されたと感じて怒鳴り返そうとしてしまったけど、ここで怒鳴り返しても意味ないな。とりあえず謝って仕事をしとこう)と不毛な戦争を回避できるかもしれない。

長々と話してしまったが、つまり、「マインドフルネス」とは「自分の情動に気づく力」だと感じている。したがって、「多動」のトリガーを完全封印するのはマインドフルネスをもってしても難しいと考えている。すぐに実感できるのは「多動」のトリガーに「気づいて立ち止まる力」であって、「集中し続ける力」ではないからだ。うっかりスマホに手を伸ばしてしまったことに気づいても、そのままYouTubeのページを開くかもしれない。自分の吹き上がる怒りに気づいても、そのまま言い返してしまうかもしれない。そういうこともあるだろう。

しかし、無論、「情動に気づいて立ち止まること」は、「多動」の沼へと引きずり込まれることを大いに防いでくれる。その点で、「限りなくYesに近い」のである。

よって、私はこれからも瞑想し続けるだろう。今は「呼吸瞑想」しかしておらず、気軽にちょっとやるだけだから今回のような結論になったのかもしれない。もし、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」に書かれているプログラムをすべてこなして継続したならば、答えは変わってくるかもしれない。

ただ、無理はしないでおこう。「瞑想」はチベット語で「馴染ませる」「習慣づける」という意味だそうだ。無理をしては「馴染む」わけないし、無理はそもそも私のガラじゃない。


(あー、想定よりずっと長くなった(笑)気が向いたら次は小説で書くつもり)


既読の関連書籍(随時更新予定)

マインドフルネスのはじめ方―今この瞬間とあなたの人生を取り戻すために https://www.amazon.co.jp/dp/4772415424/ref=cm_sw_r_cp_api_i_koivFbJHYYKJD


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