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信じて進む

一面に濃いモヤが立ちこめ
前後左右もわからず途方に暮れる時

一筋のほのかな光が進むべき行方を教えてくれることがある。

微かな光を頼りに手探りで進むうちに
やがてその光源がおぼろげな輪郭を帯びていることに気づく。
その時体内ににわかに精気がよみがえり
前に踏み出す足に力がこもる。

人間はそうやって道を切り拓いてきた。
ほのかな光を信じて、おぼろげな形を信じて歩いてきた。
これまでも、そしてこれからも。

孔徳の容は、唯道に是れ従う。道の物たる、唯怳(こう)唯忽(こつ)。忽たり怳たり、其の中像有り。怳たり忽たり、其の中物有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中精有り。其の精甚(はなは)だ真、其の中信有り。古より今に及ぶまで、其の名去らず、以て衆甫を閲(す)ぶ。吾何を以て衆甫の然(しか)るを知るや。此を以てなり。  

『老子』(虚心第二十一)

孔徳の容:大いなる徳を持った者のありさま
怳(こう)忽(こつ):恍惚と同じ。ぼんやりとして、あるのかないのかわからない状態
窈(よう)たり冥(めい)たり:深く暗くてよく見えない状態
衆甫(しゅうほ):万物が生起する始めの状態

広く大きな徳を生きる中心に置いている人の姿は、まるで宇宙の根源・万物の母である「道」のようだ。ただそれはあまりに広く大きいから、「こうだ」「のようだ」と定め難い。
「道」はぼんやりとした物だからはっきりと見えないが、心を澄まして見詰めてごらん。だんだん何か像が見えてくる。
無心になって「道」を見つめていると、何かある物が見えてくる。確かに「道」はあるのだ。
深く暗い闇の中に、幽かに見えてくる「道」は、汚れや不純物を取り去った純一なものとして見えるのだ。
純一なものとしての「道」を見詰めていると、この世で最も信じられる物という気がしてくる。
そういう「道」だからこそ、万物を生成化育し続けても、尽きることがない。だから「道」という名を聞かなくなることはない。いまもこれからも万物の母で居続けるのだ。
私が万物の産みの親が「道」であることを知るのは、したがって私の虚心が教えてくれるのだ。いつも虚心になって、宇宙の根源・万物の母「道」を感じてごらん。

『老子 道徳教講義』田口佳史

【解説】
この章の趣旨も、不可知な「道」への絶対的な確信である。
「道」は茫洋としてよくわからない存在だが、よくよく目を凝らしてみると、おぼろげに何かが見えてくるという。

像・物・精という言葉が出てくるが、いずれも微かな気配の存在を意味しているようだ。おぼろげな何かの内には、信と真、つまり本質的なものがある、ということを言っている。

「道」はぼんやりとしてよくわらない存在だけれども、間違いなく存在していて、あらゆるものを産み出し、世の中を深いところで支えているということである。

不可知な対象に対して、ある確信を抱いて進む、というのは、人間が未開拓の地を切り拓きた道程とよく似ているのではないだろう。

江戸後期に儒学の頂点を究めた佐藤一斎に「暗夜の一燈」という有名な言葉がある。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」

私達は、ほのかな光を信じて、おぼろげな形を信じて、人生という暗夜を歩いていかなければならない。これまでも、そしてこれからも。


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