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ギフテッドって何なのよ

最近よく聞く「ギフテッド」という言葉があるのですが、どうも違和感があります。

東大の5億円ギフテッド育成事業が失敗した理由 「優秀でやる気がある子が富を独り占めする懸念」

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」という故事があるように、子供時代に他の子より秀でた才能を発揮する人はいます。大体において子どもの成長における発達の程度と順序にはバラツキがある方が普通なのですが、世の親は自分の子供のことになると、その成長に一喜一憂するほうが自然というものです。「鳶が鷹を生む」という故事もありますが、まあ両親の遺伝子から出来ているのが子供なので、親が思う以上に子供は親と同じように成長していくのだと思うのですが、親自身が自分の才能に気づいていないこともあるので、まあビックリするようなこともあるのでしょう。隔世遺伝というのもあるみたいですしね。

もちろん早いうちに優れた才能を発揮する子供は素晴らしいと思いますし、その才能を伸ばしてあげるのも、もしかしたら本人も幸せだろうとも思います。ただ、その素晴らしさを感じているのは、実は大人の方であって、本人はあまり良くわかっていないのだとは思うのです。自分のしていることで大人が喜んでくれるのが嬉しいのであって、その才能自身を楽しんでいるかは微妙な気もします。ただ他の子に比べてどうして自分が違うのだろうと不思議に思っているかもしれません。

この最後の部分が大切で、子供社会はなかなか残酷なところもあるので、少なくとも同じような年頃の子供とは相容れないところがでるとは思うのです。もっとも少子化の時代、ただでさえ同年代や歳の近い子供と一緒に遊ぶ機会が少なくなっているような気もしますが、大人に囲まれて育つことを選択する羽目になるのも人格形成には大きな影響がでるような気もします。今の世の中が平凡な丸い性格ではなく、秀でた尖った性格を求めているのかもしれませんが、それは大人の都合でしょうとは思います。

こういうことを書いている私も、少しばかり背が伸びるのが早かったこともあり、あまり平凡とは言えず、多少は出来る子だったようで、だいたいは少し年上に見られて育ちました。そうすると何かと大人は便利に使うもので、大事な係を任せられたり、何かの代表にされるようになり、そういう経験が本人の人格に影響を与えるのです。

昔は年に1度くらい知能テストというのが学校で行われていて、これはテストの内容も普段のテストとぜんぜん違って、パズルのような問題ばかりを解かされるのです。それに結果がどうであったかを教えてくれることもありませんでした。私はこれが得意で最後に受けたときだと思うのですが、制限時間内に、それもかなりの時間を残して、すべての問題を問いてしまい、先生に「終わりました!」と喜び勇んで手をあげたところ「静かにしてろ!」とそれはもう目を見開いて怒られてしまい、凄くガッカリした覚えがあります。どうやら時間内にどれだけの数が解けるのかを見るのであって、普通は全部終わらないことになっているので、先生も困ったのでしょうが、こういう対応が大人への不信感を育んでいくのですね。

まあ小学生の頃は勉強で困ることはあまりなく成績も良かったのですが、公立の普通の小学校ではあったのですが、幸いなことに上には上がいるもので、学年全体ではなかなかトップになることもなく、残念ながら天狗になることは出来ませんでした。

ただ後から考えると、同じ学年から最も難しいと言われる大学に複数の同級生が進学しているので、なかなか厳しい戦い?だったようです。良かったことは当時はそんなに多くなかった進学塾と言われる塾に通う仲間がいて、何となくそれも当たり前のような気分でいられたことです。幸いにしてその後、進学校と呼ばれるような学校に通うことが出来、みんながみんな、少しばかり出来る子なので、小学生の時に感じていたような、何となくの緊張感からは解放され、今度はまったく勉強に身が入らなくなってしまったのはお察しください、

私の場合は、うまいこと居所を見つけて大いに青春を謳歌できましたが、小学生の時に天狗になっていた子は、自分の価値を見つけられず、なかなか苦しんだ子もいたように思います。若いうちに苦しむのは悪いことではないと思いますが、どうしても耐えられなくて残念な結果になってしまったケースもあるにはあります。すっかり大人になりオジサンになってこそ言えるのですが、勉強が出来たところで幸せになるかはあまり関係がなく、言えることといえば人生の選択肢が広がったに過ぎないということです。

ですから子供に対してギフテッドなどという大人の都合の呼び名を付けて、あれこれ言うのは、やはり子供に対してどうなのよ?と思うのです。好きなこと、やりたいことはそれを無理やり伸ばそうとかは考えずに好きにやらせて、本人が望めばトコトンやってもらえば充分だと思います。それで気が済めば良いのですが、もう嫌になった、飽きてしまったら次のことへ進めばいいのだと思います。そうしてもし同じことが続けられたら、それがきっと天職なんでしょう。そうならなくても、それが人生なので、決して周りで無理強いするものではないです。継続は力なりというのもあったとは思いますが、我慢するものではないので、ピボットする力も才能のうちだと思います。まあ子供は自分の少ない経験でしか物事の判断が出来ないので、できるだけ幸せに感じる経験を積ませることこそ、より成長できるのだと信じています。

ヘッダ画像は、いらすとや より
https://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_197.html

#ギフテッド #十で神童 #鳶が鷹を生む #子育て #大人の都合 #AERA

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